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	<title>アラエス &#187; アッバース朝</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>イスラーム国家経済について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/818</link>
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		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 16:11:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
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		<category><![CDATA[イクター制]]></category>
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		<category><![CDATA[カリフ]]></category>
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		<category><![CDATA[古代オリエント]]></category>
		<category><![CDATA[国家経済]]></category>

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		<description><![CDATA[イスラーム国家経済について考えてみます &#160; &#160; ・イスラーム国家経済について　　 &#160; &#160; 　・西アジア社会では、古代オリエント時代から貨幣の使用が盛んに行われていた &#160;  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/818">イスラーム国家経済について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>イスラーム国家経済について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イスラーム国家経済について　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西アジア社会では、古代オリエント時代から貨幣の使用が盛んに行われていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム時代になると、貨幣経済が一段と発達していった</p>
<p>　　</p>
<p>　・アッバース朝やウマイヤ朝の政府は、以下の２つを行った</p>
<p>　　→・都市と農村から貨幣と現物という形で租税を徴収した</p>
<p>　　　・官僚や軍隊には予算に基づいて現金の俸給を支払っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝カリフの力が強く、官僚制が整っている間は上のような流れを維持することが出来ていた</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、９世紀の半ばからマムルーク軍人が出てくるようになり、</p>
<p>　　地方に独立の小さい王朝が作られるようになった</p>
<p>　　→すると、カリフの権力が衰え、国庫の収入が段々と減少していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、バグダードに入城したブワイフ朝は、土地の徴税権を軍人に与えて、</p>
<p>　　それぞれの俸給に見合う金額を直接農民や都市部から徴税させることにした</p>
<p>　　＝この制度をイクター制という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※イクター制について</p>
<p>　　　・イクターとは、国家から与えられた土地、またはそこからの徴税権のことを指す</p>
<p>　　　・イクター制は、セルジューク朝の時に西アジアに広く施行されるようになった</p>
<p>　　　・イル＝ハン朝、デリー＝スルタン朝、ティムール朝、オスマン帝国、</p>
<p>　　　　ムガル帝国、サファヴィー朝では、イクター制と同じような制度が行なわれた</p>
<p>　　　・エジプトには、アイユーブ朝のサラディンによって導入された</p>
<p>　　　　→アイユーブ朝の次であったマムルーク朝時代に制度が整えられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→都市に住む軍人は、代理人をイクターとして与えられた土地に派遣して取り分を徴収して、</p>
<p>　　　この収入を使って軍備を整えて参戦するという義務を負っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→セルジューク朝以降、イクター制が西アジアに広く施行された後も、</p>
<p>　　　スルタンやイクター保有者の保護のもとに、</p>
<p>　　　地中海とインド洋を結ぶ商業活動が活発に行われていた</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ムスリム商人は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・キャラヴァンサライ（隊商宿）を結んで、奴隷や香辛料の交易に関わった</p>
<p>　　　・中国、インド、東南アジア、アフリカ大陸へイスラーム教を伝播することにも貢献した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イスラームの国家経済についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/818">イスラーム国家経済について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>バグダードからカイロへの流れについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/816</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/816#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:58:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アイユーブ朝]]></category>
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		<description><![CDATA[バグダードからカイロへの動きについて考えてみます &#160; &#160; ・バグダードからカイロへの動きと流れについて &#160; &#160; 　・クルド人のサラディン（サラーフ＝アッディーン）という人が以下のよ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/816">バグダードからカイロへの流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>バグダードからカイロへの動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・バグダードからカイロへの動きと流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・クルド人のサラディン（サラーフ＝アッディーン）という人が以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・エジプトにアイユーブ朝という王朝を作った</p>
<p>　　　・サラディンは、ファーティマ朝を倒してスンナ派の信仰を回復した</p>
<p>　　　・１１８７年に十字軍を破って、聖地のイェルサレムを奪い返した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、第３回十字軍は聖地の征服を再び目指したが、成功しなかった</p>
<p>　　→そこで、十字軍はサラディンと和解して帰国した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アイユーブ朝のスルタンも、トルコ人の奴隷を買ってマムルーク軍団を作ったが、</p>
<p>　　段々とその勢いが活発になった</p>
<p>　　→その後、スルタンが１２５０年にアイユーブ朝を倒して</p>
<p>　　　エジプト・シリアにマムルーク朝という王朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※第５代スルタンだったバイバルスという人は以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・シリアに侵入したモンゴル軍を撃退した</p>
<p>　　　・アッバース朝のカリフをカイロに復活させた</p>
<p>　　　・メッカ・メディナの両方の聖都を保護した</p>
<p>　　　　＝これらの内容を行うことで、イスラーム国家としてのマムルーク朝の権威を高めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アイユーブ朝からマムルーク朝中期へかけてのエジプトでは、以下のようなことが起きていた</p>
<p>　　→・ナイル川が順調に増水していた</p>
<p>　　　・安定した政治が行なわれていた</p>
<p>　　　　＝この２つによって、小麦や大豆などの主要作物の生産が増え、</p>
<p>　　　　　商品作物としてのサトウキビ栽培が普及した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その他にも、以下のような動きが見られた</p>
<p>　　　・歴代のスルタンは、国家が統制する中で、地中海・インド洋貿易の利潤を独占していた</p>
<p>　　　・首都のカイロは、バグダードのかわりに、</p>
<p>　　　　イスラーム世界の政治、経済、文化の中心地として繁栄した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ファーティマ朝時代に建設されたアズハル学院が、この時代にスンナ派イスラーム教の信仰と</p>
<p>　　　学問活動の分野で中心的な役割を果たすようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・バグダードからカイロへの流れと動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/816">バグダードからカイロへの流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>東方イスラーム世界の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/815</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/815#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:55:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アッバース朝]]></category>
		<category><![CDATA[カザン＝ハン]]></category>
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		<description><![CDATA[東方イスラーム世界の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・東方イスラーム世界の動きについて &#160; &#160; 　・アッバース朝のカリフは、９世紀の初めころからマムルークと呼ばれる 　　トルコ人 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/815">東方イスラーム世界の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東方イスラーム世界の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東方イスラーム世界の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アッバース朝のカリフは、９世紀の初めころからマムルークと呼ばれる</p>
<p>　　トルコ人奴隷を親衛隊として使うようになった</p>
<p>　　※遊牧民だったトルコ人は騎馬戦士として優れていた</p>
<p>　　※親衛隊として使ってた時、マムルーク勢力が拡大するにつれて、</p>
<p>　　　カリフの権力が低下していくことになった</p>
<p>　　　→しかし、他の地域からマムルークを買って軍事力の中心とする動きが、</p>
<p>　　　　イスラーム世界で一般的になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・セルジューク朝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・トルコ人のセルジューク朝という王朝が中央アジアから西方に進出していった</p>
<p>　　　※セルジューク朝もマムルークを使った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・セルジューク朝はトゥグリル＝ベクという人が作った</p>
<p>　　　→トゥグリル＝ベクは、１０５５年にブワイフ朝を倒してバグダードに入城した</p>
<p>　　　　※この時に、アッバース朝のカリフからスルタン（支配者）の称号を授けられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・セルジューク朝はスンナ派を信仰していたため、シーア派を信仰していた</p>
<p>　　　ファーティマ朝に対抗する形で、セルジューク朝の土地内部の主要な都市に</p>
<p>　　　学院（マドラサ）を作った</p>
<p>　　　＝学院を作ることで、スンナ派の神学と法学を奨励して学問の育成を行った</p>
<p>　　　　※これらの学院は、建設の指導を行ったニザーム＝アルムルクという人にちなんで、</p>
<p>　　　　　ニザーミーヤ学院と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・セルジューク朝は、シリアの海岸地帯にも進出していき、ビザンツ領を圧迫していった</p>
<p>　　　※この動きは、後にヨーロッパのキリスト教団が十字軍を誕生させるきっかけになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　</p>
<p>　・カラ＝ハン朝とガズナ朝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・トルコ人のカラ＝ハン朝は、東と西のトルキスタンを組み合わせて、</p>
<p>　　　この地方にイスラーム文化を導入した</p>
<p>　　</p>
<p>　　・アフガニスタンのガズナ朝は１０世紀の終わりから北インドへの侵入を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝イスラーム世界は分裂していたにも関わらず、上のようなトルコ人の活躍があったために、</p>
<p>　　　　イスラーム世界が着実に拡大していったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような動きの後、モンゴルの勢力が発展していった</p>
<p>　　→フラグという人が連れていたモンゴル軍は、西アジアに進出して、</p>
<p>　　　１２５８年にバグダードを陥れた</p>
<p>　　　＝その結果、アッバース朝は滅亡し、カリフの制度が一度消滅した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フラグは、イランとイラクを領有してイル＝ハン国という国を作った</p>
<p>　　→イル＝ハン国はエジプトのマムルーク朝と敵対した</p>
<p>　　　＝結果的にカザン＝ハンという人の時にイル＝ハン国はイスラーム教を国教に定めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カザン＝ハンは、地租を中心とするイスラーム式の税制を導入した</p>
<p>　　→この税制の導入によって、農村の復興を目指した</p>
<p>　　→一方で、イスラーム文化の保護も目指した</p>
<p>　　　＝そのため、モンゴル人の支配のもとにイラン＝イスラーム文化が成長していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東方のイスラーム世界の概況をおさえる</p>
<p>・セルジューク朝についておさえる</p>
<p>・カラ＝ハン朝とガズナ朝についておさえる</p>
<p>・モンゴル勢力の発達の様子とイル＝ハン国についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/815">東方イスラーム世界の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>イスラーム帝国の様子と分裂について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/814</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/814#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:39:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アッバース朝]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム帝国]]></category>
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		<category><![CDATA[マワーリー]]></category>
		<category><![CDATA[大アミール]]></category>

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		<description><![CDATA[イスラーム帝国の様子と分裂について考えてみます &#160; &#160; ・イスラーム帝国の様子について &#160; 　※前提として「コーラン」は、全ての信者は平等である、 　　ということを説いていることをおさえてお [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/814">イスラーム帝国の様子と分裂について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>イスラーム帝国の様子と分裂について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イスラーム帝国の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※前提として「コーラン」は、全ての信者は平等である、</p>
<p>　　ということを説いていることをおさえておく</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・征服地の新しい改宗者（マワーリー）は、ウマイヤ朝の様々な政策を</p>
<p>　　「コーラン」の教えにそむくと考えた</p>
<p>　　※アラブ人のなかにも、ウマイヤ朝による支配を批判する人達が出てきた</p>
<p>　　　→その後、上のようにウマイヤ朝を批判する人々が、ムハンマドの叔父の子孫だった</p>
<p>　　　　アッバース家の革命運動に協力した</p>
<p>　　　　＝この革命運動が結果的に成功し、７５０年にアッバース朝が開かれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※第２代カリフのマンスールという人は、肥沃なイラク平原の中心に円形の首都である</p>
<p>　　　バグダードを作って、イスラーム帝国の基礎を固めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アッバース朝の時代には、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・イラン人を中心とする新しい改宗者が要職につけられるようになった</p>
<p>　　　・宰相が統率する形を採用した官僚制度が発達していった</p>
<p>　　　　＝結果的に、行政の中央集権化が進んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→すると、アラブ人とそれ以外の人達との関係が以下のように変わってきた</p>
<p>　　　・アラブ人の特権が失われるようになっていった</p>
<p>　　　・イスラーム教徒であれば、アラブ人以外でも人頭税が課せられないようになった</p>
<p>　　　・アラブ人でも、征服地に土地があったら地租が課せられるようになった</p>
<p>　　　・公用語はアラビア語が継続して使われた</p>
<p>　　　・民族による差別は廃止された</p>
<p>　　　・カリフの政治はイスラーム法（シャリーア）にもとづいて実施されるようになった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　※イスラーム法について</p>
<p>　　　・イスラーム法は「コーラン」を土台として９世紀ころまでに整えられた</p>
<p>　　　・イスラーム法は、儀礼的規範と法的規範を中心に作られている</p>
<p>　　　・儀礼的規範・・礼拝、断食、巡礼などに関係する規範のこと</p>
<p>　　　・法的規範・・婚姻、相続、刑罰などに関係する規範のこと</p>
<p>　　　・租税や戦争の規定などカリフ政治の基本も書かれていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イスラーム帝国の分裂について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アッバース朝が作られると、ウマイヤ朝の一族がイベリア半島に逃げて、</p>
<p>　　７５６年にコルドバを首都とする後ウマイヤ朝を建設した　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・後ウマイヤ朝は、アッバース朝に対抗する政治を行った</p>
<p>　　→その後、バグダードを中心に発達した学問や文化を積極的に吸収していった</p>
<p>　　　＝その結果、イベリア半島にレベルの高いイスラーム文明を作り出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アッバース朝は、ハールーン＝アッラシードが治めている時に、黄金時代を迎えた</p>
<p>　　→しかし、ハールーン＝アッラシードが亡くなってから</p>
<p>　　　帝国内のエジプトやイランに独立の王朝が次々と誕生した</p>
<p>　　　＝そのため、カリフの主権が影響を与える範囲は次第に縮小していった</p>
<p>　　　　※代表的な独立王朝に、エジプトのトゥールーン朝やイランのサーマーン朝などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・シーア派の中でも、過激な一派だったファーティマ朝という王朝が、</p>
<p>　　１０世紀の初めの北アフリカに誕生した</p>
<p>　　※ファーティマ朝は、アリーを父と、ムハンマドの娘のファーティマを母とするものの</p>
<p>　　　子孫であると自称した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ファーティマ朝は、９６９年にはエジプトを征服して首都のカイロを作った</p>
<p>　　→ファーティマ朝は、作り始めた時からカリフの称号を使って、</p>
<p>　　　アッバース朝の権威を全面から否定した</p>
<p>　　→一方で、後ウマイヤ朝の君主も、ファーティマ朝に対抗する形でカリフの称号を使った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝結果的に、イスラーム世界は３人のカリフが並び立つという分裂した状態になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・その後、イラン人の軍事政権だったブワイフ朝という王朝が</p>
<p>　　９４６年にバグダードに入城するということが起きた</p>
<p>　　→すると、カリフから大アミール（軍司令官たちのなかの第一人者のこと）に任じられた</p>
<p>　　→それと同時に、イスラーム法を施行する権限を与えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のようにして、新しい変革の時代が始まったと言われている</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イスラーム帝国の様子についておさえる</p>
<p>・イスラーム帝国の分裂についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/814">イスラーム帝国の様子と分裂について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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