<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; ゲルマン人</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e3%82%b2%e3%83%ab%e3%83%9e%e3%83%b3%e4%ba%ba/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e3%82%b2%e3%83%ab%e3%83%9e%e3%83%b3%e4%ba%ba/feed" />
	<item>
		<title>ざっくりとした古代ヨーロッパ史　【地中海とキリスト】</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2464</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2464#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 03 Feb 2014 21:57:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オリエント地中海古代史]]></category>
		<category><![CDATA[アレクサンドロス]]></category>
		<category><![CDATA[オクタウィアヌス]]></category>
		<category><![CDATA[キリスト教]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人]]></category>
		<category><![CDATA[ヘレニズム]]></category>
		<category><![CDATA[ポリス]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[地中海]]></category>
		<category><![CDATA[奴隷]]></category>
		<category><![CDATA[直接民主制]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=2464</guid>
		<description><![CDATA[ヨーロッパ史のスタート・・南ヨーロッパの地中海を中心とする地域 &#160; ※なぜ地中海から始まったのか ＝地中海が、地中海沿岸にある様々な都市を結ぶ交通路として機能したから →交通路になることで、ヒトやモノの交流を促 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2464">ざっくりとした古代ヨーロッパ史　【地中海とキリスト】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ヨーロッパ史のスタート・・南ヨーロッパの<strong>地中海</strong>を中心とする地域</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※なぜ地中海から始まったのか</p>
<p>＝地中海が、地中海沿岸にある様々な都市を結ぶ交通路として機能したから</p>
<p>→交通路になることで、ヒトやモノの交流を促し、まとまった古代文明を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・文明は最初、東部の<strong>エーゲ海</strong>から始まった</p>
<p>→その後、文明の中心がギリシア本土に移っていった</p>
<p>＝この時、各地に<strong>ポリス</strong>と呼ばれる<strong>都市国家</strong>が誕生した</p>
<p>※当時、中でも有名だったアテネというところでは、<strong>直接民主制</strong>を使って<strong>民会</strong>が行われた</p>
<p>※民会・・成年男子の市民全体が出席する集まりのこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→そして、紀元前4世紀に、北方の<strong>マケドニア</strong>というところがギリシア全土を征服した</p>
<p>※マケドニアの王様だった<strong>アレクサンドロス</strong>は、東方に遠征した</p>
<p>→この遠征によって、インダス川流域にまでいたる大帝国を建設した</p>
<p>＝その結果、ギリシア文化と東方文化が融合する<strong>ヘレニズム文化</strong>という文化を成立させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・一方、イタリア半島では、紀元前8世紀ころに、イタリア人の一派だった<strong>ラテン</strong>がローマという都市国家を作った</p>
<p>＝ローマは、強力な軍事力を使って、<strong>イタリア半島を統一</strong>させた</p>
<p>→そして、紀元前1世紀に<strong>オクタウィアヌス</strong>が地中海沿岸地域を統一した</p>
<p>※この時に、オクタウィアヌスが帝政を作った</p>
<p>→その後約2世紀間は、<strong>ローマ帝国</strong>として繁栄し、「ローマの平和」が維持された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※ギリシアとローマの違い</p>
<p>・ギリシア・・精神文化が栄えた、哲学や自然科学に関する学者が学問の基礎を築いた</p>
<p>・ローマ・・実用的な文化を発展させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※一方で、ギリシアとローマは、共通点もあった</p>
<p>・両方とも、労働の大半を<strong>奴隷</strong>が担当していた</p>
<p>・キリスト教がギリシアとローマのそれぞれの世界を形作っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※キリスト教は、イエスの教えから出発していて、キリスト教が各帝国に広がっていった</p>
<p>※ただし、キリスト教の信者は、皇帝を崇拝することを拒否した</p>
<p>→そのため、キリスト教信者は激しい迫害を受けた</p>
<p>→しかし、迫害を受けてもキリスト教の普及は進んだ</p>
<p>＝その結果、ローマ帝国は仕方なくキリスト教を公認した</p>
<p>※4世紀の終わりには、キリスト教を国教とした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・4世紀の後半に、ドナウ川の下流域（ヨーロッパ東部）に<strong>西ゴート人</strong>という人達がいた</p>
<p>→西ゴート人は、内陸アジアから<strong>フン人</strong>という人達が押し寄せてきたことを恐れて、ローマ帝国に入ってきた</p>
<p>※この時に、<strong>ゲルマン人</strong>という人達も一緒に大移動を始めてヨーロッパ内部や北アフリカに進出した</p>
<p>＝この移動の結果、西ローマ帝国が被害を受け、5世紀の後半に西ローマ帝国が滅亡した</p>
<p>※ローマ帝国は、当時戦乱や混乱で東西に分裂していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→加えて、イスラームの人達が地中海に進出してきた</p>
<p>＝そのため、ローマ帝国のもとで存在していた地中海沿岸の一体的なまとまりも無くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→これらの動きによって、<strong>西ヨーロッパ</strong>は地中海のまとまりから切り離された</p>
<p>※さらに、<strong>キリスト教</strong>がかなり普及していた</p>
<p>＝そのため、西ヨーロッパはキリストの影響も受けながら、独自の道を進んだ</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2464">ざっくりとした古代ヨーロッパ史　【地中海とキリスト】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/2464/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/2464" />
	</item>
		<item>
		<title>スラヴ人と周辺民族の動きについて①　－スラヴ人の概要と東スラヴ人－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/843</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/843#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 12 Oct 2013 14:12:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[イヴァン4世]]></category>
		<category><![CDATA[ウラディミル1世]]></category>
		<category><![CDATA[キエフ公国]]></category>
		<category><![CDATA[キプチャク＝ハン国]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人]]></category>
		<category><![CDATA[スラヴ人]]></category>
		<category><![CDATA[タタールのくびき]]></category>
		<category><![CDATA[ツァーリ]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[東スラヴ人]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=843</guid>
		<description><![CDATA[スラヴ人と周辺民族の動きについて、スラヴ人の概要と東スラヴ人を考えてみます &#160; &#160; ・スラヴ人と周辺民族の動きについて &#160; 　※スラヴ人とは・・カルパティア山脈の北方を原住地とする民族のこと [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/843">スラヴ人と周辺民族の動きについて①　－スラヴ人の概要と東スラヴ人－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>スラヴ人と周辺民族の動きについて、スラヴ人の概要と東スラヴ人を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・スラヴ人と周辺民族の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※スラヴ人とは・・カルパティア山脈の北方を原住地とする民族のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・スラヴ人は、６世紀になると移動するまえに、</p>
<p>　　ゲルマン人が住んでいたビザンツ帝国北側の広い地域に急速に拡大した</p>
<p>　　→それぞれの地方のスラヴ人は、以下のように周辺の影響を受けつつ、</p>
<p>　　　自立と建国を目指していった</p>
<p>　　　・東スラヴと南スラヴ・・ビザンツ文化とギリシア正教の影響を受ける</p>
<p>　　　・西スラヴ・・西欧文化とローマ＝カトリックの影響を受ける</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・それぞれの地方のスラヴについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東スラヴ人について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※東スラヴ人・・ロシアのドニエプル川中流域に展開した民族のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　・東スラヴ人は、９世紀にスウェーデン系ノルマン人がノヴゴロド国を、</p>
<p>　　　その後にキエフ公国を作った</p>
<p>　　　→そして、先住民に同化してスラヴ化していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１０世紀の終わりころに、ウラディミル１世という人が周辺の民族と戦って、領土を広げた</p>
<p>　　　※この時に、キエフ公国が最盛期だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ウラディミル１世はギリシア正教に改宗し、ビザンツのような専制君主制をまねた</p>
<p>　　　※そのため、この動き以降のロシアは西欧とは別の文化圏に入ることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その後、農民の農奴化と貴族の大土地所有が進んだ</p>
<p>　　　※ただし、その後は大土地所有者である諸侯が様々に分立したため、国内は分裂した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１３世紀にバトゥが連れているモンゴル人が南ロシアに侵入するということが起きた</p>
<p>　　　→すると、モンゴル人は南ロシアにキプチャク＝ハン国を作った</p>
<p>　　　→その後、キエフ公以下の諸侯は、キプチャク＝ハン国に屈服した</p>
<p>　　　　＝結果的に２４０年の間、モンゴル支配に従うことになった</p>
<p>　　　　　※この出来事を、タタールのくびきという</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１５世紀になると商業都市のモスクワを中心としてモスクワ大公国が急激に勢力を伸ばした</p>
<p>　　　※大公イヴァン３世の時に東北ロシアを統一した</p>
<p>　　　　＝結果的に１４８０年にモンゴルの支配から脱出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・イヴァン３世は以下のようなことを行った</p>
<p>　　　→・諸侯の力をおさえて権力を握った</p>
<p>　　　　・ビザンツ帝国の最後の皇帝の姪であるソフィアという人と結婚して</p>
<p>　　　　　ローマ帝国の後継者を自任した</p>
<p>　　　　・初めてツァーリ（皇帝）という称号を用いた</p>
<p>　　　　・農奴を土地に縛り付けて農奴制を強化した</p>
<p>　　　　・イヴァン３世の孫のイヴァン４世の中央集権化のための道を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・スラヴ人の概要をおさえる</p>
<p>・東スラヴ人についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/843">スラヴ人と周辺民族の動きについて①　－スラヴ人の概要と東スラヴ人－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/843/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/843" />
	</item>
		<item>
		<title>ゲルマン人の大移動について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/829</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/829#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 12:49:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[アングロ＝サクソン七王国]]></category>
		<category><![CDATA[イベリア半島]]></category>
		<category><![CDATA[カタラウヌムの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[ケルト人]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人の大移動]]></category>
		<category><![CDATA[ドナウ川]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[フン人]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=829</guid>
		<description><![CDATA[ゲルマン人の大移動について考えてみます &#160; &#160; ・ゲルマン人の大移動について &#160; &#160; 　・アルプスより北側の地域には、紀元前６世紀ころからケルト人という人達が住んでいた 　　→一方 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/829">ゲルマン人の大移動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ゲルマン人の大移動について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ゲルマン人の大移動について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アルプスより北側の地域には、紀元前６世紀ころからケルト人という人達が住んでいた</p>
<p>　　→一方で、バルト海沿岸を原住地とするゲルマン人という人達が、</p>
<p>　　　ケルト人を西に追いやりながら勢力を広げていった</p>
<p>　　　＝結果的にゲルマン人は、紀元前後ころにライン川から黒海沿岸にいたるまでの</p>
<p>　　　　広い地域に拡大していった</p>
<p>　　　　※この時に、ローマ帝国と境界が接するまでになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※紀元前後のゲルマン人の社会については、以下のような資料が重要だと言われている</p>
<p>　　　　　・カエサルという人の「ガリア戦記」</p>
<p>　　　　　・タキトゥスという人の「ゲルマニア」　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時のゲルマン人には、以下のような特徴があった</p>
<p>　　→・数十の部族に分かれていて、それぞれの部族に１人の王や数人の首長を持っていた</p>
<p>　　　・貴族、平民、奴隷の身分差がすでに発生していた</p>
<p>　　　　※ただし、重要な決定は貴族と平民で構成される成年男性自由人の全体の集会である</p>
<p>　　　　　民会が行なった</p>
<p>　　　・農業が主な生活の手段となり、人口が増えてくると同時に耕地が不足した</p>
<p>　　　　※この耕地不足が民族移動の内的な原因になったと言われている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→以上のような特徴があったため、ローマ帝政後期になるとゲルマン人は</p>
<p>　　　ドナウ川流域にまで広がった</p>
<p>　　→さらに、ローマの下級官吏、傭兵、コロヌスとして、平和的に帝国内に</p>
<p>　　　移住する人も多くなってきた</p>
<p>　　　＝同時に、ゲルマン人の社会では小部族が軍事的指導者である王のもとに</p>
<p>　　　　まとめられて大部族に成長していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・４世紀の後半に、アジア系のフン人がドン川という川をこえて西に進むということが起きた</p>
<p>　　→その後、フン人がゲルマン人の一派である東ゴート人の大半を征服し、</p>
<p>　　　西ゴート人も圧迫した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、西ゴート人は３７５年に南へ移動を始め、</p>
<p>　　　次の年にドナウ川を渡ってローマ帝国領内に移住した</p>
<p>　　　※この動きをきっかけに、他のゲルマンの様々な部族も</p>
<p>　　　　大規模な移動を開始するようになった</p>
<p>　　　　＝この流れの結果、約２００年におよぶゲルマン人の大移動が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ゴート人は４１０年にローマを略奪した</p>
<p>　　→その後、ガリア西南部とイベリア半島に移動して建国をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・他の民族については、以下のような動きを見せた</p>
<p>　　→・ヴァンダル人は北アフリカに建国した</p>
<p>　　　・ブルグンド人はガリア東南部に建国した</p>
<p>　　　・フランク人はガリア北部に建国した</p>
<p>　　　・アングロ＝サクソン人は大ブリテン島に渡った</p>
<p>　　　　※アングロ＝サクソン人は９世紀までの間に</p>
<p>　　　　　アングロ＝サクソン七王国（ヘプターキー）を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でフン人は、５世紀前半にアッティラ王という人がパンノニア（現在のハンガリー）を</p>
<p>　　中心に大帝国を作った</p>
<p>　　→しかし、４５１年にカタラウヌムの戦いでフン人が西ローマとゲルマンの連合軍に負ける</p>
<p>　　　ということが起きた</p>
<p>　　　＝そのため、アッティラの死後に大帝国が崩壊してしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような混乱の中で、４７６年に西ローマ帝国がゲルマン人傭兵隊長の</p>
<p>　　　オドケアルという人に滅ぼされた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東ゴート人は、テオドリック大王という人のもとでフン人の支配から脱出した</p>
<p>　　→その後、東ゴート人はイタリア半島に移動してオドケアルの王国を倒し、</p>
<p>　　　イタリア半島に建国した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝そして、５６８年に北イタリアにランゴバルド王国が作られたのを最後に、</p>
<p>　　　民族大移動の波は一度終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※先住民のケルト人は、現在のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、</p>
<p>　　　ブルターニュ半島に追いやられたが、その後も独自の文化を保ち続けていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→ゲルマンの様々な民族の国家の多くが短命だったのに対して、その後着実に領土を広げ、</p>
<p>　　最有力国として西ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たしたのは、</p>
<p>　　フランク王国というところだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ゲルマン人の大移動とその内容、動きなどについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/829">ゲルマン人の大移動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/829/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/829" />
	</item>
		<item>
		<title>北方民族の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/790</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/790#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 06:04:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[東アジア千年史]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人]]></category>
		<category><![CDATA[ユーラシア大陸]]></category>
		<category><![CDATA[匈奴]]></category>
		<category><![CDATA[北方民族]]></category>
		<category><![CDATA[後漢]]></category>
		<category><![CDATA[江南]]></category>
		<category><![CDATA[華北]]></category>
		<category><![CDATA[遊牧民]]></category>
		<category><![CDATA[隋]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=790</guid>
		<description><![CDATA[北方民族の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・北方民族の動きについて &#160; &#160; 　・ユーラシア大陸では、４世紀から５世紀にかけて、遊牧民の大規模な移動が始まった 　　※遊牧民の移動の [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/790">北方民族の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>北方民族の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・北方民族の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ユーラシア大陸では、４世紀から５世紀にかけて、遊牧民の大規模な移動が始まった</p>
<p>　　※遊牧民の移動の影響を受けて、南方の農耕地帯も大きく変動した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※東アジアでの周辺民族の華北進出も、ヨーロッパ人のゲルマン人の大移動と</p>
<p>　　　関連するこの動きの一部だと見られる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１世紀なかばに、匈奴が分裂するということが起きた</p>
<p>　　→すると、南匈奴のなかには中国の内部に移住する人が増えてきた</p>
<p>　　　※その他に、匈奴の別の種類の羯、東北方面から来た鮮卑、西方から来た羌や氐なども</p>
<p>　　　　中国に侵入していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上の人達は、戦闘力に優れていて、最初は後漢などの王朝のもとで、</p>
<p>　　　傭兵として活動していた</p>
<p>　　　※そして、４世紀初めの中国内部の政治的な混乱に乗っかって、大挙や華北に進出した</p>
<p>　　　　＝その後は、華北に遊牧民の建てた国が盛り上がったり、滅んだりした</p>
<p>　　　　＝その一方で、多くの漢人が華北から江南（長江下流域）に移住した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・後漢の滅亡から隋の統一にいたる３世紀半あまりの時期は、分裂と戦争の時代だった</p>
<p>　　→その過程で、華北では遊牧社会の要素を取り入れた新しい文化が生まれた</p>
<p>　　→その一方で、江南では開発がおしすすめられた</p>
<p>　　　＝結果的に、後の隋や唐の帝国の統一の基礎が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・北方民族の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/790">北方民族の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/790/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/790" />
	</item>
	</channel>
</rss>
