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	<title>アラエス &#187; パリ条約</title>
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	<item>
		<title>アメリカが独立する時の動きと流れ</title>
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		<pubDate>Sat, 15 Mar 2014 20:50:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史前期]]></category>
		<category><![CDATA[13植民地]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ合衆国]]></category>
		<category><![CDATA[イギリスとアメリカ]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[ボストン茶会事件]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[先住民]]></category>
		<category><![CDATA[茶法]]></category>
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		<description><![CDATA[北アメリカの東海岸に、18世紀半ばまでに、イギリス人による13植民地が成立していた ※その時に、人々が植民地ごとに議会を作って自治を行い、様々な産業を発展させた →イギリスは、自国に必要な原料などの生産を植民地に求め、自 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2531">アメリカが独立する時の動きと流れ</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>北アメリカの東海岸に、18世紀半ばまでに、イギリス人による<strong>13植民地</strong>が成立していた</p>
<p>※その時に、人々が植民地ごとに議会を作って自治を行い、様々な産業を発展させた</p>
<p>→イギリスは、自国に必要な原料などの生産を植民地に求め、自国の利益を損なう産業を禁止した</p>
<p>※ただし、取り締まりは緩く、植民地の人達はイギリスとの通商の間で利益を得ていたために、対立は少なかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、1756年にオーストリアとプロイセンとの間で<strong>七年戦争</strong>が発生した</p>
<p>※この時にイギリスは莫大な戦費に苦しんだ</p>
<p>→そのためイギリスは、植民地の人々にも戦費を負担させようとして、植民地の課税を強化した</p>
<p>＝この課税に対して反対運動が起き、独立運動の起点になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>課税については、植民地の人達がいない状況でイギリスの人達だけで、<strong>印紙法</strong>や<strong>茶法</strong>などを決めた</p>
<p>→この課税に対して、植民地の人々は反対した</p>
<p>※代表的な例として、<strong>ボストン茶会事件</strong>がある</p>
<p>※ボストン茶会事件・・茶法に反対する植民地の人達が、紅茶を港に投げ込んだ事件のこと</p>
<p>→ボストン茶会事件に対して、イギリスが武力で解決しようとした</p>
<p>＝そのため、1774年に13植民地が大陸会議を開いて強く抗議した</p>
<p>※1775年には、独立戦争が始まった</p>
<p>→そして、1776年にジェファソンという人が作った独立宣言で自由と平等の戦いを宣言した</p>
<p>※植民地軍の総司令官は、七年戦争で活躍した<strong>ワシントン</strong>という人が担当した</p>
<p>→ワシントンは、フランクリンという人の協力も得て、独立戦争を勝利させた</p>
<p>＝この結果、1783年の<strong>パリ条約</strong>で独立が認められ、<strong>アメリカ合衆国</strong>が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※アメリカでは、以下のような動きが起きた</p>
<p>・1787年に合衆国憲法が作られた</p>
<p>・1789年に初代大統領としてワシントンが就任した</p>
<p>※合衆国憲法によって、アメリカは共和政、連邦国家、三権分立を採用した</p>
<p>→独立宣言や憲法は、フランス革命などにも影響を与えている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※ただし、独立宣言や憲法で示されている「自由・平等」を実現できたのは白人だけだった</p>
<p>＝<strong>先住民</strong>や<strong>黒人奴隷</strong>は、<span style="text-decoration: underline">独立後も抑圧的</span>だった</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2531">アメリカが独立する時の動きと流れ</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/975</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/975#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 16 Oct 2013 06:44:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史後期・末期]]></category>
		<category><![CDATA[アレクサンドロス2世]]></category>
		<category><![CDATA[インテリゲンツィア]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト＝トルコ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[クリミア戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ナロードニキ]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[ロシア]]></category>
		<category><![CDATA[ロシアの革命]]></category>
		<category><![CDATA[東方問題]]></category>
		<category><![CDATA[農奴解放令]]></category>

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		<description><![CDATA[東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について考えてみます &#160; &#160; ・東方問題について &#160; &#160; 　・１８４８年革命を経験したヨーロッパは、１９世紀の後半に入って、 　　以下のようなこ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/975">東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東方問題について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８４８年革命を経験したヨーロッパは、１９世紀の後半に入って、</p>
<p>　　以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・好況期を迎えた</p>
<p>　　　・自由主義が西欧諸国を中心に発展した</p>
<p>　　　・イタリアとドイツの統一というナショナリズムの問題を軍事力によって解決した</p>
<p>　　　　→この軍事力による解決のスタートは、</p>
<p>　　　　　１８５０年代に起きたクリミア戦争という戦争だった</p>
<p>　　　　　＝この戦争の結果、ナポレオン戦争終結から約４０年続いた、</p>
<p>　　　　　　平和な状況が変わってきてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９世紀の前半以降、オスマン帝国の支配下にある諸民族は、自由主義とナショナリズムの</p>
<p>　　風潮の中で、オスマン帝国の衰退に乗っかって、独立運動を進めてきた</p>
<p>　　※しかし、ギリシアのように、様々な民族の独立運動は、</p>
<p>　　　中東で利害関係を持つ有力な国が関わることにもなった</p>
<p>　　　＝このような流れで生まれた国際問題を、西欧の側から見て「東方問題」という</p>
<p>　　　　※特にロシアは、不凍港の獲得と勢力の拡大を目指して、何度も南下を計画した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８３１年、オスマン帝国の支配下で自治を認められていたエジプトが、</p>
<p>　　領土を求めてオスマン帝国とたたかった</p>
<p>　　＝この出来事を、エジプト＝トルコ戦争という</p>
<p>　　　※この時、ロシアはオスマン帝国を支持して南下を実現させようとした</p>
<p>　　　　→しかし、イギリスなどがこの戦争に絡んできてしまったため、成功しなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・クリミア戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８５３年に、ロシアがオスマン帝国領内のギリシア正教徒の保護を理由に、</p>
<p>　　オスマン帝国に侵入するということが起きた</p>
<p>　　＝この出来事によって起きた戦争を、クリミア戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※クリミア戦争では、次の年にイギリスとフランスがロシアとの戦いに</p>
<p>　　　加わるということが起きた</p>
<p>　　　→そのため、クリミア戦争は、ヨーロッパの有力な国どうしでの戦争になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→クリミア戦争では、ロシアが負けた</p>
<p>　　　＝そのため、１８５６年にパリ条約という条約が結ばれ、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・ダーダネルス、ボスフォラスの両方の海峡の外国軍艦の通航が禁止された</p>
<p>　　　　・黒海の中立化が約束された</p>
<p>　　　　　→結果的に、ロシアの南下政策も失敗に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　＝上のような流れによって、ロシアとイギリスが支えてきたヨーロッパの国際秩序が</p>
<p>　　大きく揺れ動くことになった</p>
<p>　　→そして、１８７０年代の初めまで戦争が頻繁に起こり、それぞれの国に大きな影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ロシアの革命について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアでは、専制政治と農奴制が強かった</p>
<p>　　→しかし、クリミア戦争の敗北によって、ロシア国内で改革が必要となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアのアレクサンドロス２世という人は、１８６１年に農奴解放令という令を出した</p>
<p>　　→この令によって、農奴に人格的な自由を認めた</p>
<p>　　　※しかし、土地は貴族の領主から買い戻さなければならなかった</p>
<p>　　　※さらに、農民個人ではなく、農村共同体（ミール）に引き渡されることが多かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアは、１８６３年のポーランドの反乱以後、皇帝が再び専制政治を</p>
<p>　　強化していくということが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時のロシアは、産業の発展が不十分だった</p>
<p>　　→そのため、改革の担い手の中心は、都市の知識人階級（インテリゲンツィア）だった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※インテリゲンツィアについて</p>
<p>　　　・インテリゲンツィアの一部は、農民を啓蒙して社会主義的改革を行うことが</p>
<p>　　　　必要であると考えた</p>
<p>　　　　→そこで、「ヴ＝ナロード（人民のなかへ）」という標語をかかげて</p>
<p>　　　　　農村に入り込んでいった</p>
<p>　　　　　＝そのため、インテリゲンツィアは、ナロードニキ（人民主義者）と呼ばれていた</p>
<p>　　　・しかし、インテリゲンツィアの運動は行き詰まった</p>
<p>　　　　→そのため、絶望した人々の間には、テロリズム（暴力主義）で</p>
<p>　　　　　政府を倒そうとする考え方が広がった</p>
<p>　　　　　※この時に、皇帝のアレクサンドロス２世や高官が暗殺された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東方問題の概要と流れについておさえる</p>
<p>・クリミア戦争の内容と各国の動きについておさえる</p>
<p>・クリミア戦争後のロシアの革命の様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/975">東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>アメリカの独立について②　－アメリカ独立戦争－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/954</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/954#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:21:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ独立戦争]]></category>
		<category><![CDATA[トマス＝ジェファソン]]></category>
		<category><![CDATA[トマス＝ペイン]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[ヨークタウンの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン]]></category>
		<category><![CDATA[大陸会議]]></category>
		<category><![CDATA[武装中立同盟]]></category>
		<category><![CDATA[独立宣言]]></category>

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		<description><![CDATA[アメリカの独立について、アメリカ独立戦争を考えてみます &#160; &#160; ・独立戦争について &#160; &#160; 　・１７７４年に、植民地側が大陸会議を開いてイギリスに抗議した 　→１７７５年には、レキ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/954">アメリカの独立について②　－アメリカ独立戦争－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>アメリカの独立について、アメリカ独立戦争を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・独立戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７７４年に、植民地側が大陸会議を開いてイギリスに抗議した</p>
<p>　→１７７５年には、レキシントンとコンコードで武力衝突が起こった</p>
<p>　　※植民地側は、ワシントンという人を総司令官に任命して戦った</p>
<p>　　　＝そして、１７７６年７月４日に、１３植民地の代表はフィラデルフィアというところで</p>
<p>　　　　独立宣言を発表した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・独立宣言は、ロックの思想的な影響と植民地時代の体験をもとにして、</p>
<p>　　トマス＝ジェファソンなどが作った</p>
<p>　　→内容は、人間の自由や平等、圧政に対する反抗の正統性を主張したものだった</p>
<p>　　　※独立宣言は、フランス革命の人権宣言とともに、近代民主政治の基本原理が</p>
<p>　　　　述べられていると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・植民地には、独立派、独立反対の国王派、中立派も存在していた</p>
<p>　　※そのような中で、１７７６年の初めに出したトマス＝ペインという人の</p>
<p>　　　「コモン＝センス」（「常識」）は独立の必要性を訴えて、大きな反響を呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・独立軍は、最初は苦戦した</p>
<p>　　→しかし、イギリスと対立していたフランス、スペインの参戦、北欧諸国を中心とする</p>
<p>　　　武装中立同盟の結成などに助けられて、独立軍がしだいに優勢になっていった</p>
<p>　　　※中には、フランスのラ＝ファイエットやポーランドのコシューシコなど、</p>
<p>　　　　独立軍に積極的に参加した人もいた</p>
<p>　　　※武装中立同盟は、ロシアのエカチェリーナ２世が提唱し、中立国船舶の航行の自由と</p>
<p>　　　　禁制品以外の物資輸送の自由を主張していて、イギリスは外交的に孤立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、１７８１年のヨークタウンの戦いというのでイギリスが負けるということが起きた</p>
<p>　　＝そこでイギリスは、１７８３年のパリ条約でアメリカ合衆国の独立を承認した</p>
<p>　　　※この時にイギリスは、ミシシッピ川以東の領地を譲った</p>
<p>　　　　→イギリスは、フランスやスペインとも条約を結んで、それぞれに領土を譲った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・独立戦争についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/954">アメリカの独立について②　－アメリカ独立戦争－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>アメリカでの植民地争奪の様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/939</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/939#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 18:27:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史前期]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ]]></category>
		<category><![CDATA[オーストリア継承戦争]]></category>
		<category><![CDATA[スペイン継承戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ニューヨーク]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[フレンチ＝インディアン戦争]]></category>
		<category><![CDATA[マリア＝テレジア]]></category>
		<category><![CDATA[メイフラワー号]]></category>
		<category><![CDATA[植民地]]></category>

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		<description><![CDATA[アメリカでの植民地争奪の様子について考えてみます &#160; &#160; &#160; ・アメリカのでの植民地争奪について &#160; &#160; 　・ポルトガル領になったブラジルを除いて、ラテンアメリカの大半を [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/939">アメリカでの植民地争奪の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>アメリカでの植民地争奪の様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・アメリカのでの植民地争奪について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ポルトガル領になったブラジルを除いて、ラテンアメリカの大半を植民地化したスペインは、</p>
<p>　　インディオと西アフリカから移入した黒人奴隷を働かせて鉱山の開発を行った</p>
<p>　　＝そのため、スペインは大量の金銀を独占した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７世紀になると、オランダが１６２１年に西インド会社を設立した</p>
<p>　　→この設立の後に、アフリカ西岸とアメリカとの通商に乗り出した</p>
<p>　　　※オランダは、北アメリカ東岸にニューネーデルラント植民地を領有して、</p>
<p>　　　　ニューアムステルダムを建設した</p>
<p>　　　　＝その後、イギリスが１６６４年に奪って、ニューヨークと改名した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランスは、１７世紀の頭からケベックを中心にカナダへ進出した</p>
<p>　　※ルイ１４世の時代には、広大なルイジアナを手に入れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でイギリスは、１７世紀の頭に北アメリカ東岸に最初の植民地であるヴァージニアを設けた</p>
<p>　　→その後、多くのピューリタンがイギリスでの迫害を逃れて、北アメリカに移住し、</p>
<p>　　　ニューイングランド植民地が作られた</p>
<p>　　　※１６２０年には、ピューリタンの一団（ピルグリム＝ファーザーズ）が</p>
<p>　　　　メイフラワー号でアメリカにわたり、プリスマに定着して、</p>
<p>　　　　ニューイングランド植民地の基礎を作った</p>
<p>　　　　＝そして、１８世紀の前半までにはイギリスの１３の植民地が南北に並ぶ形となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、イギリスからの入植者は多様だった</p>
<p>　　　→この入植者は、ラテンアメリカのヨーロッパ人植民地の場合と違い、</p>
<p>　　　　先住民のインディアンと融合しなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８世紀には、イギリスとフランスとの戦いが繰り返された</p>
<p>　　→イギリスは、スペイン継承戦争の結果、フランスから北アメリカの領土を獲得した</p>
<p>　　→イギリスは、オーストリア継承戦争で、フランスの兵力を</p>
<p>　　　ヨーロッパ内にとどめておくために、マリア＝テレジアを援助した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北アメリカはその後、七年戦争と並行する形で、フレンチ＝インディアン戦争と</p>
<p>　　呼ばれるイギリスとフランスの植民地争いの戦争が行なわれた</p>
<p>　　※この戦争では、イギリスが勝利した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・フレンチ＝インディアン戦争の後に、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　→・イギリスは、１７６３年のパリ条約で、カナダとミシシッピ川以東のルイジアナ、</p>
<p>　　　　　フロリダ、セネガル、西インド諸島の一部を獲得した</p>
<p>　　　　・フランスは逆に、ミシシッピ川以西のルイジアナをスペインに譲った</p>
<p>　　　　　＝そのため、北アメリカの領土を全て失い、</p>
<p>　　　　　　この土地にイギリス植民地帝国の基礎が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・アメリカの植民地を取り合う様子と流れについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/939">アメリカでの植民地争奪の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/902</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/902#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 07:42:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[アウラングゼーブ帝]]></category>
		<category><![CDATA[インド]]></category>
		<category><![CDATA[オーストリア継承戦争]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
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		<category><![CDATA[ムガル帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァスコ＝ダ＝ガマ]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>

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		<description><![CDATA[西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について考えてみます &#160; &#160; ・西ヨーロッパ勢力の進出について &#160; 　※西欧の国々の進出までの流れについて 　　・西欧の勢力が進出する以前のインド洋世 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/902">西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西ヨーロッパ勢力の進出について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※西欧の国々の進出までの流れについて</p>
<p>　　・西欧の勢力が進出する以前のインド洋世界には、港市を結ぶネットワークが形成されていた</p>
<p>　　　→このネットワークでは、ムスリム商人やインド商人が活躍していた</p>
<p>　　・１５世紀の終わりにヴァスコ＝ダ＝ガマという人によってインドへの直接の航路が</p>
<p>　　　発見されるようになった</p>
<p>　　　→すると、ヨーロッパの商業勢力がインド洋世界への新たな参加者として登場した</p>
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<p>・西ヨーロッパ勢力の動きとインドの植民地化について</p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパの商業勢力の活動が本格化する１７世紀から１８世紀にかけてのインドは、</p>
<p>　　商品経済の発展を背景に、各地で政治経済活動が活発化し、</p>
<p>　　地方政権が力をつけていった時期だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・オランダ、イギリス、フランスなど、ヨーロッパ各国の東インド会社が、</p>
<p>　　以下のようなことを行っていた</p>
<p>　　→・ヨーロッパで需要が大きかったインド産の綿布の獲得を目指していた</p>
<p>　　　・そこで、インドに各地に着々と商館を建設し、商業活動を拡大した</p>
<p>　　　・その対価として、インドへ金や銀を大量に持ち込んできた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝このような、綿布を中心の輸出商品とする対外交易の拡大と、大量の金や銀の流入は、</p>
<p>　　　農業生産物を現物で分配するということを基礎として成り立ってきたという</p>
<p>　　　今までのインド経済の構造に大きな変化をもたらす要因になった</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>　・地方政権の台頭に悩まされていたアウラングゼーブ帝が１８世紀の初めに死去する</p>
<p>　　ということが起きた</p>
<p>　　→すると、ムガル帝国は支配領域をまとめていく政治的な力を急速に失っていった</p>
<p>　　　＝結果的に、ムガル帝国は名目的な存在になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、地方の様々な勢力は、独立性をさらに高めていった</p>
<p>　　※そのため、お互いに軍事的な抗争を繰り返すようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパの国々のうち、イギリスとフランスの両方の東インド会社は、</p>
<p>　　１８世紀にはいってからも活発な商業活動を続けていた</p>
<p>　　→両方の東インド会社は、これらの抗争に関わらないでいつづけることが出来ず、</p>
<p>　　　だんだんと抗争に巻き込まれていった</p>
<p>　　　※さらに、両方の東インド会社は、インドとは無関係のヨーロッパでの対立を</p>
<p>　　　　持ち込むこともあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような対立の例として、以下のようなものがある</p>
<p>　　　・１８世紀のなかばに、インド南部のカーナティックと呼ばれた地域を舞台に、</p>
<p>　　　　オーストリア継承戦争や七年戦争と関連してイギリス、フランス、インドなどの</p>
<p>　　　　地方勢力が入り乱れて繰り広げられた戦争</p>
<p>　　　・インド東部でベンガル地方政権とフランスとの連合勢力がイギリスと抗争した</p>
<p>　　　　１７５７年のプラッシーの戦い</p>
<p>　　　　＝結局、軍事力と資金力が高かったイギリスは、１７６３年のパリ条約で</p>
<p>　　　　　インドでのイギリスとフランスとの戦いに決着をつけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→イギリスは、他のような争いも起きた</p>
<p>　　　・インドの様々な勢力に対して、１７６５年にイギリスは東部でベンガルとビバールの</p>
<p>　　　　両方の地域の徴税権を獲得して、財政基盤を確保した</p>
<p>　　　・南部で４回にわたるマイソール戦争、西部でのマラーター戦争、</p>
<p>　　　　西北部でのシク王国との戦争でイギリスはそれぞれ勝利をおさめた</p>
<p>　　　　＝結果的にイギリスは、１９世紀の半ばにインド全域を支配することに成功した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のような流れを受けてイギリスは、一部は藩王国として間接統治とし、</p>
<p>　　　他は直接支配するという体制を作った</p>
<p>　　　※この体制によって、インドの政治的植民地化を完成させたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・西欧の国々の進出についておさえる</p>
<p>・イギリスがインドを支配するまでの流れをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
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