アメリカが独立する時の動きと流れ
北アメリカの東海岸に、18世紀半ばまでに、イギリス人による13植民地が成立していた
※その時に、人々が植民地ごとに議会を作って自治を行い、様々な産業を発展させた
→イギリスは、自国に必要な原料などの生産を植民地に求め、自国の利益を損なう産業を禁止した
※ただし、取り締まりは緩く、植民地の人達はイギリスとの通商の間で利益を得ていたために、対立は少なかった
しかし、1756年にオーストリアとプロイセンとの間で七年戦争が発生した
※この時にイギリスは莫大な戦費に苦しんだ
→そのためイギリスは、植民地の人々にも戦費を負担させようとして、植民地の課税を強化した
=この課税に対して反対運動が起き、独立運動の起点になっていった
課税については、植民地の人達がいない状況でイギリスの人達だけで、印紙法や茶法などを決めた
→この課税に対して、植民地の人々は反対した
※代表的な例として、ボストン茶会事件がある
※ボストン茶会事件・・茶法に反対する植民地の人達が、紅茶を港に投げ込んだ事件のこと
→ボストン茶会事件に対して、イギリスが武力で解決しようとした
=そのため、1774年に13植民地が大陸会議を開いて強く抗議した
※1775年には、独立戦争が始まった
→そして、1776年にジェファソンという人が作った独立宣言で自由と平等の戦いを宣言した
※植民地軍の総司令官は、七年戦争で活躍したワシントンという人が担当した
→ワシントンは、フランクリンという人の協力も得て、独立戦争を勝利させた
=この結果、1783年のパリ条約で独立が認められ、アメリカ合衆国が誕生した
※アメリカでは、以下のような動きが起きた
・1787年に合衆国憲法が作られた
・1789年に初代大統領としてワシントンが就任した
※合衆国憲法によって、アメリカは共和政、連邦国家、三権分立を採用した
→独立宣言や憲法は、フランス革命などにも影響を与えている
※ただし、独立宣言や憲法で示されている「自由・平等」を実現できたのは白人だけだった
=先住民や黒人奴隷は、独立後も抑圧的だった