近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命
16世紀頃に、イギリス、フランス、オランダを中心に、ヨーロッパが近代国家へ向かい始めた
〇近代国家への歴史的流れ
・宗教対立をきっかけに、1618年から三十年戦争が起きた
※三十年戦争は、宗教対立であったが途中から国家間の利害対立が争いの中心になった
=その結果、1648年にウェストファリア条約という、史上初の国際条約が出来た
※中世では、教皇と皇帝の権力はヨーロッパの全てを支配する秩序だったが、ウェストファリア条約によって、中世での国際秩序が崩れた
=代わりに、主権国家体制が作られ、新しい枠組みとなった
※主権国家体制・・一定の領域と独立した主権を持った国々が、対等な外交関係で結びつくという国際的秩序のこと
※国家間の対立は、戦争を避けるために、外交や条約、国際会議などで調整されるようになった
フランスのルイ14世は、絶対君主(王を絶対的な主権者とするというスタイル)の典型となった
→この時にフランスは、以下のようなことを行った
・官僚制や常備軍を用意した
・重商主義政策を進めた
・君主を中心に、君主が前面にたって自国内の政治や経済の一体化を目指した
※他のヨーロッパの国々も、フランスと同様の政策を進め、対外進出を行った
イギリスは、エリザベス1世の時に、以下のようなことを行い、イギリスの発展の基礎を作った
・国教会を確立した
・東インド会社を作った
・北アメリカ植民地の開拓など、対外進出を行った
エリザベス1世の後、イギリスで専制政治(国王が意図的に統治する政治)が強まった
→専制政治によって、議会との対立が強まった
※1649年には、清教徒のクロムウェルが当時の国王チャールズ1世を処刑し、共和制を実現した
=この動きを清教徒革命という
→クロムウェルは、アイルランドを征服し、独裁政治を行った
※ただし、クロムウェルの死で復活した王政(復古王政)も専制的だった
=そのため1688年に、議会はオランダから新しい王様を迎えた
※この新しい王様を受け入れる動きは、無血で成功したため、名誉革命という
→名誉革命の時に、権利章典が定められ、王権に対して議会が優位になった
※権利章典・・王が議会に従うことを明らかにしたもの
※名誉革命によって、王家が断絶した
→その後、18世紀に責任内閣制、その後に憲法と立憲君主制が作られた
※17世紀は、「科学の世紀」と呼ばれた
→当時は、ガリレオやニュートンなどによって、自然科学が急激に進歩した
※この進歩の中で、理論(法則)を数学によって正確に表現し、業績を競い合う自然科学のスタイルが生まれた
→理論は、実用的な技術にも応用された
=そのため、航海術や軍事技術も発展し、ヨーロッパの世界進出に大きな役割を果たした