フランスとルイ14世の時代について
フランスとルイ14世の時代について考えてみます
・ルイ14世の時代について
・フランスでは、国王のルイ14世という人が1661年に親政を始めた
→ルイ14世は、強大な権力を奮って「太陽王」と呼ばれていた
・ルイ14世は以下のようなことを行った
→・「朕は国家なり」といったとされている
・王権神授説を主張したボシュエという人を活用した
・コルベールを財務総監に任じて重商主義政策を展開した
・大規模な宮殿をヴェルサイユに作り、その宮廷に貴族や芸術家を集めた
・宮廷の生活は、細部にいたるまで儀式化された
※この細部の生活が国王の権威を高めていった
・治安、交通、衛星などに関わる様々な問題に積極的に取り組んだ
※しかし、当時は貴族や都市自治体などの特権団体が依然として大きな勢力を持っていた
→そのため、王権による中央集権化の進み方がゆるやかだった
・ルイ14世は、軍隊を増強して、侵略戦争をたびたびおこした
※侵略戦争は、南ネーデルラント継承戦争、オランダ戦争、
ファルツ戦争(アウクスブルク同盟戦争)などを行った
→この侵略戦争に対して、周囲の国々は連合して侵略戦争に抵抗した
※ルイ14世の后は、スペインの王女だった
→そのため、1700年にスペインのハプスブルク家が断絶した時に、ルイ14世の孫が
フェリペ5世として王位を継承した
・フランスは、イギリス、オランダなどと連合したハプスブルク家のオーストリアと戦った
=この戦いを、スペイン継承戦争といい、1701年~1713年まで続いた
→この戦争によって、ユトレヒト条約が結ばれた
※この条約で、スペイン・フランスの両国は合同しないという条件で、
ブルボン家のスペイン王位継承を認めさせた
※スペイン王位継承の代償として、イギリスがスペインからジブラルタル・ミノルカ島、
フランスからニューファンドランド・アカディア・ハドソン湾地方を得た
→この動きは、イギリスがスペイン継承戦争で勝利したことを示している
※オーストリアは、1714年のラシュタット条約で、
スペイン領ネーデルラント(ベルギー)を得た
・しかし、スペイン継承戦争の裏で、一般の国民は多額の戦費と宮廷費をまかなう税金の
負担に苦しんでいた
※さらに、1685年にナントの王令の廃止によって、
ユグノーの商工業者が大量に亡命したことで国内産業の発展も阻害された
・1715年に、ルイ14世の曾孫のルイ15世という人が王位についた
※ルイ15世が政治を行っていた時に、外国の貿易が急増していた
※その一方で、国王は政治的な指導力に欠けていた
ポイント
・ルイ14世の時の様子についておさえる
・スペイン継承戦争の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです