アメリカでの植民地争奪の様子について
アメリカでの植民地争奪の様子について考えてみます
・アメリカのでの植民地争奪について
・ポルトガル領になったブラジルを除いて、ラテンアメリカの大半を植民地化したスペインは、
インディオと西アフリカから移入した黒人奴隷を働かせて鉱山の開発を行った
=そのため、スペインは大量の金銀を独占した
・17世紀になると、オランダが1621年に西インド会社を設立した
→この設立の後に、アフリカ西岸とアメリカとの通商に乗り出した
※オランダは、北アメリカ東岸にニューネーデルラント植民地を領有して、
ニューアムステルダムを建設した
=その後、イギリスが1664年に奪って、ニューヨークと改名した
・フランスは、17世紀の頭からケベックを中心にカナダへ進出した
※ルイ14世の時代には、広大なルイジアナを手に入れた
・一方でイギリスは、17世紀の頭に北アメリカ東岸に最初の植民地であるヴァージニアを設けた
→その後、多くのピューリタンがイギリスでの迫害を逃れて、北アメリカに移住し、
ニューイングランド植民地が作られた
※1620年には、ピューリタンの一団(ピルグリム=ファーザーズ)が
メイフラワー号でアメリカにわたり、プリスマに定着して、
ニューイングランド植民地の基礎を作った
=そして、18世紀の前半までにはイギリスの13の植民地が南北に並ぶ形となった
※当時、イギリスからの入植者は多様だった
→この入植者は、ラテンアメリカのヨーロッパ人植民地の場合と違い、
先住民のインディアンと融合しなかった
・18世紀には、イギリスとフランスとの戦いが繰り返された
→イギリスは、スペイン継承戦争の結果、フランスから北アメリカの領土を獲得した
→イギリスは、オーストリア継承戦争で、フランスの兵力を
ヨーロッパ内にとどめておくために、マリア=テレジアを援助した
・北アメリカはその後、七年戦争と並行する形で、フレンチ=インディアン戦争と
呼ばれるイギリスとフランスの植民地争いの戦争が行なわれた
※この戦争では、イギリスが勝利した
・フレンチ=インディアン戦争の後に、以下のようなことが起きた
→・イギリスは、1763年のパリ条約で、カナダとミシシッピ川以東のルイジアナ、
フロリダ、セネガル、西インド諸島の一部を獲得した
・フランスは逆に、ミシシッピ川以西のルイジアナをスペインに譲った
=そのため、北アメリカの領土を全て失い、
この土地にイギリス植民地帝国の基礎が作られた
ポイント
・アメリカの植民地を取り合う様子と流れについておさえる
このあたりが今回のポイントです
コメント
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