あっさりとした中世ヨーロッパ史 【封建社会と教会】
事前に読むと理解が深まる記事
ゲルマン人の一部は、フランク人として大陸西北部に王国を形成した
→フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、フランク王国を作った
=その結果、800年にカール大帝という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった
カール大帝は、ローマ=カトリック教会の守護者になった
→カール大帝は守護者として西ヨーロッパを、東ローマ帝国に対抗するための統一した地域としてまとめた
※東ローマ帝国は、後にビザンツ帝国になる
→その後、フランク王国は分裂し、別々の国として発展した
時代が進むにつれ、西ヨーロッパでは社会での役割に応じた、以下のような身分制度が確立し、はっきり区別された
・神へ奉仕する聖職者
・土地を支配して、武力を独占する戦士
・土地の支配者の所有地で働く生産者(領主の荘園で労働する農奴)
※戦士は、国王などから土地を授かって騎馬戦士として仕える騎士(騎馬戦士)に分かれた
=このような、身分階層を持った社会を、封建社会という
一方で、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、西ヨーロッパ帝国が滅亡した後も、皇帝の支配のもとで続いた
→東ローマ帝国のトップだったユスティニアヌス帝は、6世紀の時に東ヨーロッパを大帝国へ復興させた
※ただし、その後はだんだんと領土が縮小した
東ローマ帝国は、専制君主(世俗の支配権と最高の宗教的権威を持つ制度)だった
→東ローマ帝国は、11世紀にローマ=カトリック教会と完全に分けたギリシア正教会を成立させた
※ギリシア正教会の成立によって、東ローマ帝国はギリシア文化を継承した
※東ヨーロッパでは、ゲルマン人が西側に移動したとき、スラヴ人という人達が入ってきた
→スラヴ人は、ビザンツ帝国の影響を受け、ギリシア正教会を受け入れていった
11~12世紀には、ヨーロッパの封建社会が大きく発展した
※この時に、ローマ=カトリック教会の勢いも強まってきていた
→そのため、ローマ=カトリック教会は、以下のようなことを行った
・教皇や司祭などの強固な階層組織を築いて独立した
・教えを整え、民衆の信仰心をローマ=カトリック教会の教えの中に取り込んだ
・小さな集落に教会堂という高い塔ができ、民衆に支えられるようになった
教皇(ローマ=カトリック教会のトップ)は、聖地イエルサレムをイスラームから奪うことを考えて、十字軍を作った
※十字軍は、何度も作られながらも、結果的に失敗した
→この失敗によって、教皇の権威が衰えた
→一方で、十字軍をきっかけとして東方との交流が増えた
10世紀までのヨーロッパ社会は、自給自足的な農業生活に頼ってきた
→11~12世紀には、農業生産力の上昇、人口増加、ヒトとモノとの活発な移動が起きた
※この移動によって、農村から離れる人達が出てきた
→農村から離れた人たちからは、職人などの専門職や商人などが多く出てきた
=職人や商人などは、農村とは違う別の生活や仕組みが見られるようになり、都市が誕生した
※都市は周囲を巻き込んでどんどん発展し、のちのルネサンス文化の誕生に貢献した
ヨーロッパの中でもイギリスは、国王の力が強かった
→そのため、13世紀に国王の暴走を抑えようと考えた貴族の動きが強まった
=その結果、マグナ=カルタが発布された
→さらに、14~15世紀になると、凶作、飢餓、ペストの流行などによる人口の激減、民衆の反乱や百年戦争などの危機的な出来事が起きた
=この結果、以下の2つの動きが見られた
・弱小の領主が没落した
・国王や大諸侯は軍事力を使って危機を克服し、領地を拡大して富と権威を増やした
→そして、富と権威を増やした国王や大諸侯は、中央集権的な国家を作った
※同時に、イベリア半島でレコンキスタを達成した王権の力が強まった
→その勢いは、海外進出にも向けられた
※レコンキスタ・・イベリア半島からイスラーム王朝を追い出して、国土を再征服しようとした運動のこと