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	<title>アラエス &#187; ベトナム戦争</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>東南アジアの工業について　－ＡＳＥＡＮと地域の工業－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1424</link>
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		<pubDate>Thu, 31 Oct 2013 15:04:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[州や大陸という視点からの地域]]></category>
		<category><![CDATA[ASEAN]]></category>
		<category><![CDATA[アジアNIEｓ]]></category>
		<category><![CDATA[エレクトロニクス製品]]></category>
		<category><![CDATA[シンガポール]]></category>
		<category><![CDATA[ドイ・モイ]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム戦争]]></category>
		<category><![CDATA[出稼ぎ労働者]]></category>
		<category><![CDATA[東南アジア]]></category>
		<category><![CDATA[第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[輸出指向型]]></category>

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		<description><![CDATA[東南アジアの工業について、ＡＳＥＡＮと地域の工業を中心に考えてみます &#160; &#160; ・ＡＳＥＡＮの誕生までの歴史について &#160; &#160; 　・近代以降の東南アジアは、タイ以外の国々が欧米の植民地 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1424">東南アジアの工業について　－ＡＳＥＡＮと地域の工業－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東南アジアの工業について、ＡＳＥＡＮと地域の工業を中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ＡＳＥＡＮの誕生までの歴史について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・近代以降の東南アジアは、タイ以外の国々が欧米の植民地とされてきた</p>
<p>　　→しかし、第二次世界大戦が終わると、つぎつぎに独立を果たしていった</p>
<p>　　　※東南アジアの独立には、以下のような動きがあった</p>
<p>　　　　・１９４５年・・インドネシアが、オランダから独立</p>
<p>　　　　・１９４６年・・フィリピンが、アメリカ合衆国から独立</p>
<p>　　　　・１９４８年・・ミャンマー（ビルマ）が、イギリスから独立</p>
<p>　　　　・１９４９年・・ラオスが、フランスから独立</p>
<p>　　　　・１９５３年・・カンボジアが、フランスから独立</p>
<p>　　　　・１９５７年・・マラヤ連邦が、イギリスから独立</p>
<p>　　　　・１９６３年・・マラヤ連邦が、シンガポールなどとマレーシアを結成</p>
<p>　　　　・１９６５年・・シンガポールが、マレーシアから分離</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後１９６７年に、ベトナム戦争（１９６５年～１９７５年）が激しくなる</p>
<p>　　　ということが起きた</p>
<p>　　　※この時に、インドシナ半島の社会主義勢力に対抗することを考えた</p>
<p>　　　　＝そこで、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、タイの５カ国は、</p>
<p>　　　　　東南アジア諸国連合（ＡＳＥＡＮ）を結成した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ＡＳＥＡＮの地域は、ベトナム戦争やカンボジア内戦の後に安定してきた</p>
<p>　　　　＝すると、ＡＳＥＡＮは、経済、社会、文化の面での協力を目指すようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※その後、ＡＳＥＡＮに以下のような国々が加わった</p>
<p>　　　　・１９７６年・・南北ベトナムが統一し、ベトナム社会主義共和国になる</p>
<p>　　　　・１９８４年・・ブルネイが、イギリスから独立して、ＡＳＥＡＮに加盟</p>
<p>　　　　・１９９５年・・ベトナムが、ＡＳＥＡＮに加盟</p>
<p>　　　　・１９９７年・・ラオスとミャンマーが、ＡＳＥＡＮに加盟</p>
<p>　　　　・１９９９年・・カンボジアが、ＡＳＥＡＮに加盟</p>
<p>　　　　　→この結果、ＡＳＥＡＮが東南アジア全体に関わる経済地域になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ＡＳＥＡＮ結成後の約４０年間に、第一次産業の比率が低下して、</p>
<p>　　　　第二次産業と第三次産業の比率が著しく伸びる、というように</p>
<p>　　　　ＡＳＥＡＮの産業構造が変化した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東南アジアの工業と他の地域との関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※東南アジアは、原油、天然ガス、すず、などの豊かな天然資源を持つ地域だとされている</p>
<p>　　→植民地時代は、これらの資源が宗主国の利益を増やすために開発された</p>
<p>　　　＝そのため、東南アジアの天然ガスは、東南アジアの工業の発展には結びつかなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・独立後、東南アジアの国々は、国民の生活の向上のために、どの国も工業化政策をとった</p>
<p>　　→１９７０年代からは、資本と技術を持った外国企業を積極的に誘致した</p>
<p>　　　＝その結果、輸出指向型の工業化を進めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※輸出指向型の工業化によって、先進国の企業は、低賃金の労働力や</p>
<p>　　　安い工業用地などを求めて、</p>
<p>　　　次々とＡＳＥＡＮ諸国に進出し、各国の工業化が急速に進んでいった</p>
<p>　　　＝その結果、１９８０年代に、多くの国での輸出品目の第１位は、</p>
<p>　　　　工業製品になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東南アジアの工業化の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ＡＳＥＡＮのなかで、最もはやく工業化に成功したのは、シンガポールだった</p>
<p>　　→シンガポールは、水も食料も自給できない小さな島国ながらも、</p>
<p>　　　積極的に工業化政策を進めた</p>
<p>　　　＝その結果、シンガポールはアジアＮＩＥｓの一員になるまでに成長した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、マレーシアとタイが外国企業の誘致によって工業化をなしとげた</p>
<p>　　　※さらにその後に、インドネシアとフィリピンが工業化した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上で出てきた国々は、ＡＳＥＡＮのなかでも工業の成長が著しかった</p>
<p>　　　※なかには、他のアジアの国々に投資を行って進出を目指す企業も出てきていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９９７年には、ＡＳＥＡＮの国々などで過度なインフレーションが起こって、</p>
<p>　　輸出が減った</p>
<p>　　→そのため、経済が一時停滞したものの、現在は輸出が回復した</p>
<p>　　　※この時の経済の停滞を、アジア経済危機という</p>
<p>　　　　＝結果的に、その後のＡＳＥＡＮ諸国は、エレクトロニクス製品の供給基地としての</p>
<p>　　　　　地位を確立している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東南アジアの後発国の工業について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※インドシナ半島では、第二次世界大戦後も各地で紛争が続いた</p>
<p>　　＝その影響もあって、工業化が遅れている国が東南アジアに多い</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベトナムについて</p>
<p>　　→・１９８６年から、ベトナム戦争の終結後に続けてきた閉鎖的な統制経済を改めた</p>
<p>　　　　→その後は、ドイ・モイ（刷新）と呼ばれる市場開放政策をとるようになった</p>
<p>　　　・１９９５年に、アメリカ合衆国がベトナム戦争から続けた経済制裁を解除し、</p>
<p>　　　　ベトナムがＡＳＥＡＮに加盟した</p>
<p>　　　　→そのため、日本、韓国、シンガポール、台湾などの外国からの投資が</p>
<p>　　　　　ベトナムに増えた</p>
<p>　　　　　※これは、ベトナムがほかのＡＳＥＡＮの国々に比べて</p>
<p>　　　　　　生産コストが安かったためだと言われている</p>
<p>　　　　　　＝そのため、ベトナムの国内各地で工業化が進みつつあると言われている</p>
<p>　　　・ベトナム政府は、日本の政府開発援助（ＯＤＡ）や日本企業からの投資を</p>
<p>　　　　強く期待している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カンボジア、ミャンマー、ラオス</p>
<p>　　→・内戦の影響、政情不安、経済の停滞などで工業化が遅れている</p>
<p>　　　・これらの国々の人々は、工業化が進んでいるシンガポール、マレーシア、タイなどに</p>
<p>　　　　合法または非合法の出稼ぎ労働者として流入している</p>
<p>　　　　※この人たちは、低賃金できつい労働を行わされている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ＡＳＥＡＮの誕生までの歴史についておさえる</p>
<p>・東南アジアの工業と他の地域との関係についておさえる</p>
<p>・東南アジアの工業化の動きについておさえる</p>
<p>・東南アジアの後発国の工業についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1424">東南アジアの工業について　－ＡＳＥＡＮと地域の工業－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>ドル＝ショックについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1341</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1341#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 29 Oct 2013 17:50:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[高度成長・平成時代]]></category>
		<category><![CDATA[インドシナ難民問題]]></category>
		<category><![CDATA[サミット]]></category>
		<category><![CDATA[ドル危機]]></category>
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		<category><![CDATA[変動相場制]]></category>
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		<category><![CDATA[第四次中東戦争]]></category>
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		<description><![CDATA[ドル＝ショックについて考えてみます &#160; &#160; ・ドル＝ショックまでの流れについて &#160; 　・アメリカのニクソン政権は、アメリカ経済にダメージを与えていたベトナム戦争を 　　終わらせるために、ソ連 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1341">ドル＝ショックについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ドル＝ショックについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ドル＝ショックまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカのニクソン政権は、アメリカ経済にダメージを与えていたベトナム戦争を</p>
<p>　　終わらせるために、ソ連の軍事的な圧力と戦っている中国との関係を改善した上で、</p>
<p>　　中国を通じて北ベトナムとの平和を考えた</p>
<p>　　→そこで、１９７１年７月にニクソン大統領は中国訪問を決め、</p>
<p>　　　アメリカと中国との関係の改善を考えた</p>
<p>　　　＝その結果、台湾に代わって国連代表権を獲得した中国を１９７２年に訪問して、</p>
<p>　　　　アメリカと中国との敵対関係を終了させた</p>
<p>　　　　（１９７９年に米中国交正常化）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上の流れの中の時に、アメリカ国内ではベトナム反戦運動が盛り上がってきたこともあり、</p>
<p>　　　１９７３年にベトナム和平協定という協定が成立し、アメリカ軍はベトナムから撤退した</p>
<p>　　　※この後、南ベトナムは１９７５年に崩壊し、ベトナム社会主義共和国という名前で、</p>
<p>　　　　南北の統一が実現した</p>
<p>　　　※しかし、インドシナ半島というところでは、カンボジアの内戦や</p>
<p>　　　　中越（中国とベトナム）戦争などといった紛争が途絶えず、</p>
<p>　　　　この紛争の時に多くの難民が出てきてしまい、難民が日本を含めた海外に流出した</p>
<p>　　　　＝この問題を、インドシナ難民問題という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→アメリカは、ベトナム戦争などで軍事面の支出を膨らませ、西側の国々への</p>
<p>　　　大量の援助を続けていた</p>
<p>　　→さらに、復興した先進国がアメリカに大量に輸出をするようになった</p>
<p>　　　＝そのため、アメリカは国際収支が悪化し、金の準備の減少が深刻になった</p>
<p>　　　　※この問題をドル危機という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ドル＝ショックについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９７１年８月、ニクソン大統領は新経済政策を発表した</p>
<p>　　→この時に、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・ドルを守って、国際収支を悪化することを防ごうとした</p>
<p>　　　・アメリカ国内のインフレを抑えるために、金とドルの交換を停止した　</p>
<p>　　　・西ドイツや日本など、国際収支が黒字の国に、為替レートの引き上げを要求した</p>
<p>　　　　→このような動きの結果、ドルの基軸通貨としての価値が大きく揺らいできた</p>
<p>　　　　　＝この動きを、ドル＝ショックという</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ドル＝ショック後の流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９７１年末に、１０カ国蔵相会議という会議の結果、</p>
<p>　　円を１ドル＝３６０円から３０８円に切り上げる、などの通貨調整が行われた</p>
<p>　　→その後、西ヨーロッパの国々は、変動相場制にどんどん移っていった</p>
<p>　　　※日本も１９７３年に変動相場制に移った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９７３年に第一次石油危機という出来事が起きた</p>
<p>　　※第一次石油危機・・１９７３年１０月に、第四次中東戦争という戦争が起き、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　ＯＡＰＥＣ（アラブ石油輸出国機構）が日本に対する輸出制限を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　かけたことで、ＯＰＥＣ（石油輸出国機構）が</p>
<p>　　　　　　　　　　　　原油価格を４倍に引き上げたという出来事のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※変動相場制と石油危機によって、世界がどのように動いたのか</p>
<p>　　</p>
<p>　　・固定相場制によって、資本主義の国々の経済が結びついていた状態</p>
<p>　　（ＩＭＦ体制）が変動相場制によって崩れた</p>
<p>　　　→固定相場制から変動相場制への移行は、アメリカの衰退を表していた</p>
<p>　　　　＝そのため、１９７５年にアメリカ、ドイツ、日本、イギリス、フランス、イタリアの</p>
<p>　　　　　６カ国の首脳が話し合い、世界不況にどのように対応していくかを協議した</p>
<p>　　　　　さらに、次の年からはカナダを加えて、先進国首脳会議（サミット）が</p>
<p>　　　　　毎年開かれるようになった</p>
<p>　　　　　※先進国首脳会議では、貿易や通貨の問題など、先進国の間での経済政策について</p>
<p>　　　　　　話し合うようになった</p>
<p>　　</p>
<p>　　・経済成長の条件だった低価格な石油というのが失われてしまった</p>
<p>　　　→そのため、西側の先進国の国々の成長は、石油危機の１９７３年から成長が難しくなった</p>
<p>　　　　＝結果的に資本主義の国々は長期不況の時代に突入した</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ドル＝ショックまでの流れとその内容についておさえる</p>
<p>・ドル＝ショックによる影響と世界の動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1341">ドル＝ショックについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>保守政権の時代について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1336</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1336#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 29 Oct 2013 17:22:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[高度成長・平成時代]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム戦争]]></category>
		<category><![CDATA[佐藤栄作]]></category>
		<category><![CDATA[国民所得倍増計画]]></category>
		<category><![CDATA[大学紛争]]></category>
		<category><![CDATA[日韓基本条約]]></category>
		<category><![CDATA[朴正煕]]></category>
		<category><![CDATA[民主社会党]]></category>
		<category><![CDATA[池田勇人]]></category>
		<category><![CDATA[沖縄問題]]></category>
		<category><![CDATA[非核三原則]]></category>

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		<description><![CDATA[保守政権の時代について考えてみます &#160; &#160; ・保守政権について &#160; 　・１９６０年７月に、岸信介内閣に代わって、池田勇人という人を首相とした 　　内閣が誕生した &#160; 　　→池田勇人 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1336">保守政権の時代について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>保守政権の時代について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・保守政権について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９６０年７月に、岸信介内閣に代わって、池田勇人という人を首相とした</p>
<p>　　内閣が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→池田勇人内閣は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・「寛容と忍耐」というスローガンを出して、革新の勢力と</p>
<p>　　　　　真正面からぶつかることを避けた</p>
<p>　　　・「所得倍増」というものをスローガンに掲げた</p>
<p>　　　・「政経分離」という方針によって、中華人民共和国との貿易を拡大させようとした</p>
<p>　　　　→その結果、１９６２年に国交が無かった中国と、準政府間貿易（LT貿易）を</p>
<p>　　　　　することを決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※所得倍増・・１９６０年から１０年後の１９７０年までに、国民総生産（GNP）</p>
<p>　　　　　　　　　　という指標と一人当たりの国民所得を２倍にすることを</p>
<p>　　　　　　　　　　目指した計画のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　→実際は、計画を大きく上回る勢いで経済成長していったため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　１９６７年には、目標を達成した</p>
<p>　　　　　　　　　　→この時の計画を、国民所得倍増計画という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※LT貿易・・この時の交渉を担当した廖承志（L）という人と高碕達之助（T）という人の</p>
<p>　　　　　　　　　頭文字を取って名付けられた貿易のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９６４年に、佐藤栄作という人による内閣が誕生した</p>
<p>　　→経済成長が順調だったこともあって、７年半以上の長期政権になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・佐藤栄作内閣が行ったこと</p>
<p>　　　→・日本と韓国との交渉を行い、１９６５年に日韓基本条約という条約を結んだ</p>
<p>　　　　　※この条約によって、１９１０年より前の様々な条約の無効を認め、</p>
<p>　　　　　　韓国政府を、「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と認め、</p>
<p>　　　　　　韓国との国交を樹立した</p>
<p>　　　　　※１９５２年から、日本と韓国との話し合いは植民地や漁業などの問題で</p>
<p>　　　　　　中断と再開を繰り返していた</p>
<p>　　　　　　→しかし、１９６１年に朴正煕という人の政権が韓国で誕生してから、</p>
<p>　　　　　　　韓国側の日本に対する姿勢が変わったため、</p>
<p>　　　　　　　１９６４年からの第７次会談で合意が決まった</p>
<p>　　　　　　→この時に結ばれた協定の内容は、基本条約に加えて、漁業、請求権・経済協力、</p>
<p>　　　　　　　文化協力、在日外国人の法的地位の４つの協定が結ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　・非核三原則（持たず、作らず、持ち込ませず）を出して、海外との交渉を進めた</p>
<p>　　　　　→１９６８年に小笠原諸島の返還を達成した</p>
<p>　　　　　→１９６９年の日米首脳会談（佐藤・ニクソン会談）は「核抜き」の</p>
<p>　　　　　　沖縄返還で合意された</p>
<p>　　　　　→１９７１年に沖縄返還協定という協定が調印され、１９７２年に協定が</p>
<p>　　　　　　発効されたことで沖縄が日本に復帰した</p>
<p>　　　　　　※しかし、この時にアメリカの軍事基地は残ることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※沖縄問題について</p>
<p>　　・１９６５年以降、アメリカがベトナムに本格的に介入していった</p>
<p>　　　（＝この時の戦争をベトナム戦争という）</p>
<p>　　　→この時に、沖縄や日本本土はアメリカ軍の前線基地になった</p>
<p>　　　　※そのため、戦争によって日本にドルでお金が入ってくるようになり、</p>
<p>　　　　　経済成長を後押しした</p>
<p>　</p>
<p>　　・一方で、「基地の島」と言われた沖縄では、日本に復帰することを求める住民運動が続いた</p>
<p>　　　→この時に、ベトナム戦争が激しくなると同時に、沖縄返還の問題が</p>
<p>　　　　改めて出てくるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※沖縄問題の歴史について</p>
<p>　　・第二次世界大戦後の沖縄は、日本本土から切り離されてアメリカ軍の直接的な</p>
<p>　　　軍事の支配下に置かれた</p>
<p>　　　→日本の独立が回復した後も、沖縄はアメリカの政権下に置かれていた</p>
<p>　　　　※しかし、ベトナム戦争に伴う基地用地の強制的な取り上げと</p>
<p>　　　　　アメリカ兵の犯罪の増加があった</p>
<p>　　　→上のような流れがあって、沖縄の祖国復帰運動が本格的になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・池田勇人、佐藤栄作内閣の時の政治の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・この時、自由民主党が国会で安定して多数の議席を獲得していた</p>
<p>　　　※ただし、与党の内部では総裁の地位をめぐって派閥間の抗争が繰り返されていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・野党側では、社会党から民主社会党（後の民社党）という政党が分立した</p>
<p>　　・さらに、１９６４年に新しく公明党という政党が結成された</p>
<p>　　・そして、日本共産党という政党が議席を増やしていった</p>
<p>　　　→この時代は、多党化現象が進んだといわれている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・そして、革新政党を批判する学生を中心に、新左翼が組織された</p>
<p>　　　→新左翼が、ベトナム戦争や大学の在り方などに反発する運動を行った</p>
<p>　　　　※１９６８年から１９６９年にかけて、東京大学をはじめとして全国の大学で、</p>
<p>　　　　　大学と対立した学生たちがキャンパスをバリケードで封鎖するなどの紛争も起きた</p>
<p>　　　　　＝このような紛争を大学紛争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・池田勇人内閣の動きについておさえる</p>
<p>・佐藤栄作内閣の動きについておさえる</p>
<p>・沖縄問題についておさえる</p>
<p>・当時の政治の様子をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1336">保守政権の時代について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>冷戦の動きと世界の様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1332</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1332#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 29 Oct 2013 16:19:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[高度成長・平成時代]]></category>
		<category><![CDATA[インドシナ休戦協定]]></category>
		<category><![CDATA[バンドン会議]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム戦争]]></category>
		<category><![CDATA[冷戦]]></category>
		<category><![CDATA[平和十原則]]></category>
		<category><![CDATA[文化大革命]]></category>
		<category><![CDATA[核兵器拡散防止条約]]></category>
		<category><![CDATA[第三勢力]]></category>
		<category><![CDATA[部分的核実験停止条約]]></category>
		<category><![CDATA[雪どけ]]></category>

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		<description><![CDATA[冷戦の動きと当時の世界の様子について考えてみます &#160; &#160; ・冷戦の動きについて &#160; &#160; ※朝鮮戦争が休戦した後に、アメリカとソ連は水爆や大陸間弾道ミサイル（ＩＣＢＭ）の 　使用など [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1332">冷戦の動きと世界の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>冷戦の動きと当時の世界の様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・冷戦の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※朝鮮戦争が休戦した後に、アメリカとソ連は水爆や大陸間弾道ミサイル（ＩＣＢＭ）の</p>
<p>　使用などで軍備拡大競争が広がっていった</p>
<p>※さらに、１９５７年のソ連の人工衛星スプートニクの打ち上げや、</p>
<p>　１９６９年のアメリカの宇宙船アポロ１１号による人類初の月面着陸など、</p>
<p>　宇宙の分野でもアメリカとソ連の競争が行われた</p>
<p>　</p>
<p>　→このような動きの中で、軍備拡大競争が詰まるようになってきた</p>
<p>　→そのため、１９５０年代半ばから東西の対決が緩和される動きが出てきた</p>
<p>　　＝この動きを、雪どけという</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ソ連では、独裁者のスターリンが亡くなった後に、フルシチョフという人が、</p>
<p>　　東西平和共存路線を出してきた</p>
<p>　　→その後、１９５９年にアメリカに行き、当時の大統領だったアイゼンハウアーという人と</p>
<p>　　　首脳会談を行った</p>
<p>　　→さらにその後、１９６３年に部分的核実験停止条約、</p>
<p>　　　１９６８年に核兵器拡散防止条約などが調印された</p>
<p>　　　＝このような動きによって、核軍縮交渉が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>・アメリカとソ連以外の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※アメリカとソ連以外の国々は、それぞれの陣営の中で多極化が進むようになった</p>
<p>　　→そのため、アメリカとソ連の圧倒的な力の強さと地位が怪しくなってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・西側の国々は、基本的にアメリカに依存する形で復興を進めてきていた</p>
<p>　　→しかし、１９５７年にヨーロッパ経済共同体（ＥＥＣ）、</p>
<p>　　　１９６７年にヨーロッパ共同体（ＥＣ）が作られ、</p>
<p>　　　経済の統合を目指して、依存するスタイルから自立しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時のフランスの大統領だったド＝ゴールという人は、独自の外交を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ドイツや日本は、驚くほどの経済成長を行ったため、</p>
<p>　　アメリカの産業に影響を与えかねない状況までになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東側陣営の内部では、中国とソ連の対立が表面化した</p>
<p>　　※特に、１９６４年に中国は核実験を成功させ、１９６６年に「文化大革命」を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・第三勢力の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※第三勢力・・２つの大きな対立に関わってない、別の勢力のこと</p>
<p>　　　　　　　　（ここでは、アメリカとソ連の陣営以外の国々）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５５年に、中国やインドなどを中心にして、アジア＝アフリカ会議（バンドン会議）が</p>
<p>　　開かれた</p>
<p>　　→この時に、新興独立国家の多くが結集することが考えられた</p>
<p>　　→１９６０年代には、アジアとアフリカの国々が国連加盟国の過半数を占めるまでになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※１９５４年に、中国とインドは、周恩来とネルーという人の２人が会談を行った</p>
<p>　　　→この時に、中国とインドの友好の土台として、「平和五原則」というものを確認している</p>
<p>　　　　＝バンドン会議では、平和五原則を基礎に、</p>
<p>　　　　　平和共存や反植民地主義を提唱した「平和十原則」が決議された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベトナムでは、１９５４年にインドシナ休戦協定という協定によって、</p>
<p>　　フランスが撤退するということが起きた</p>
<p>　　※しかし、南北が分けられている状況で、内戦は続いていた</p>
<p>　　　→そのため、１９６５年からは、南ベトナム政府側についているアメリカが</p>
<p>　　　　北ベトナムに爆撃（北爆）を始めとした軍事介入を始めた</p>
<p>　　　→結果的に、北べトナムと南ベトナム解放民族戦線は中国とソ連の援助を受けて、</p>
<p>　　　　南ベトナムに交戦した</p>
<p>　　　　＝このようにして起きた戦争を、ベトナム戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・冷戦の時のそれぞれの世界の動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1332">冷戦の動きと世界の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>ベトナム戦争とインドシナ半島について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1063</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1063#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 17:31:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後世界史・冷戦・第三世界]]></category>
		<category><![CDATA[ゴ＝ディン＝ジエム政権]]></category>
		<category><![CDATA[パテト＝ラオ]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム和平協定]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム社会主義共和国]]></category>
		<category><![CDATA[ラオス人民民主共和国]]></category>
		<category><![CDATA[北爆]]></category>
		<category><![CDATA[民主カンボジア]]></category>

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		<description><![CDATA[ベトナム戦争とインドシナ半島について考えてみます &#160; &#160; ・ベトナム戦争について &#160; &#160; 　・ベトナム共和国（南ベトナム）では、１９５５年にアメリカ合衆国の 　　支援を受けたゴ＝デ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1063">ベトナム戦争とインドシナ半島について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ベトナム戦争とインドシナ半島について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ベトナム戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベトナム共和国（南ベトナム）では、１９５５年にアメリカ合衆国の</p>
<p>　　支援を受けたゴ＝ディン＝ジエム政権が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９６０年に、ベトナム統一をめざす南ベトナム解放民族戦線が結成された</p>
<p>　　→この戦線は、ベトナム民主共和国（北ベトナム）と手を組んで</p>
<p>　　　ゲリラ戦を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９６３年に、ジエム政権が軍のクーデタによって倒されるということが起きた</p>
<p>　　※この後、解放民族戦線の攻撃が激しくなった</p>
<p>　　　→すると、アメリカがこの動きを共産主義勢力の侵略だとして</p>
<p>　　　　本格的に軍事援助を始めた</p>
<p>　　　　＝結果的に、１９６５年から北ベトナムへの爆撃（北爆）を行い始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、北ベトナムと解放戦線はソ連と中国の援助を受けたこともあり</p>
<p>　　持ちこたえた</p>
<p>　　＝そのため、戦いの状況が泥沼化することになった</p>
<p>　　　※この時に、アメリカの軍事的な介入に対して、アメリカ国内で</p>
<p>　　　　意見が二つに分かれた</p>
<p>　　　※また、この行動に対して国際的にも多くの批判を受けていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９６８年にアメリカは、北爆を停止した</p>
<p>　　→その後、パリで北ベトナム側と和平交渉に入っていった</p>
<p>　　　＝結果的に、１９７３年１月にベトナム（パリ）和平協定に調印することで</p>
<p>　　　　南ベトナムから撤退した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、１９７５年４月に、北ベトナム軍と解放戦線が</p>
<p>　　サイゴンというところを占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝そして、１９７６年に南北を統一したベトナム社会主義共和国が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カンボジアでは、１９７０年に以下の２つの勢力がぶつかっていた</p>
<p>　　→・クーデタでシハヌーク元首を追放した親米右派　</p>
<p>　　　・ポル＝ポトという人が指導する赤色クメールなどの解放勢力</p>
<p>　　　　＝この争いは、１９７５年に解放勢力が勝利して、</p>
<p>　　　　　民主カンボジア（民主カンプチア）を名乗った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ラオスでは、１９６０年代の前半から、政権を握る右派と、</p>
<p>　　左派のラオス愛国戦線（パテト＝ラオ）の間で内戦が続いていた</p>
<p>　　＝結果的に、愛国戦線が勝利し、１９７５年にラオス人民民主共和国が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ベトナムの様子についておさえる</p>
<p>・カンボジアとラオスの様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1063">ベトナム戦争とインドシナ半島について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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