冷戦の動きと世界の様子について
冷戦の動きと当時の世界の様子について考えてみます
・冷戦の動きについて
※朝鮮戦争が休戦した後に、アメリカとソ連は水爆や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の
使用などで軍備拡大競争が広がっていった
※さらに、1957年のソ連の人工衛星スプートニクの打ち上げや、
1969年のアメリカの宇宙船アポロ11号による人類初の月面着陸など、
宇宙の分野でもアメリカとソ連の競争が行われた
→このような動きの中で、軍備拡大競争が詰まるようになってきた
→そのため、1950年代半ばから東西の対決が緩和される動きが出てきた
=この動きを、雪どけという
・ソ連では、独裁者のスターリンが亡くなった後に、フルシチョフという人が、
東西平和共存路線を出してきた
→その後、1959年にアメリカに行き、当時の大統領だったアイゼンハウアーという人と
首脳会談を行った
→さらにその後、1963年に部分的核実験停止条約、
1968年に核兵器拡散防止条約などが調印された
=このような動きによって、核軍縮交渉が始まった
・アメリカとソ連以外の動きについて
※アメリカとソ連以外の国々は、それぞれの陣営の中で多極化が進むようになった
→そのため、アメリカとソ連の圧倒的な力の強さと地位が怪しくなってきた
・西側の国々は、基本的にアメリカに依存する形で復興を進めてきていた
→しかし、1957年にヨーロッパ経済共同体(EEC)、
1967年にヨーロッパ共同体(EC)が作られ、
経済の統合を目指して、依存するスタイルから自立しようとした
・当時のフランスの大統領だったド=ゴールという人は、独自の外交を行った
・西ドイツや日本は、驚くほどの経済成長を行ったため、
アメリカの産業に影響を与えかねない状況までになった
・東側陣営の内部では、中国とソ連の対立が表面化した
※特に、1964年に中国は核実験を成功させ、1966年に「文化大革命」を起こした
・第三勢力の動きについて
※第三勢力・・2つの大きな対立に関わってない、別の勢力のこと
(ここでは、アメリカとソ連の陣営以外の国々)
・1955年に、中国やインドなどを中心にして、アジア=アフリカ会議(バンドン会議)が
開かれた
→この時に、新興独立国家の多くが結集することが考えられた
→1960年代には、アジアとアフリカの国々が国連加盟国の過半数を占めるまでになった
※1954年に、中国とインドは、周恩来とネルーという人の2人が会談を行った
→この時に、中国とインドの友好の土台として、「平和五原則」というものを確認している
=バンドン会議では、平和五原則を基礎に、
平和共存や反植民地主義を提唱した「平和十原則」が決議された
・ベトナムでは、1954年にインドシナ休戦協定という協定によって、
フランスが撤退するということが起きた
※しかし、南北が分けられている状況で、内戦は続いていた
→そのため、1965年からは、南ベトナム政府側についているアメリカが
北ベトナムに爆撃(北爆)を始めとした軍事介入を始めた
→結果的に、北べトナムと南ベトナム解放民族戦線は中国とソ連の援助を受けて、
南ベトナムに交戦した
=このようにして起きた戦争を、ベトナム戦争という
ポイント
・冷戦の時のそれぞれの世界の動きを押さえる
このあたりが今回のポイントです
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