冷戦の時の第三世界の様子と各国の動きについて
冷戦の時の第三世界の様子について考えてみます
・冷戦の時の第三世界の様子について
・アジアやアフリカ諸国の間には、冷戦による東西両陣営の対立が
アジアとアフリカに持ち込まれた
→そこで、朝鮮戦争やインドシナ戦争がアメリカとソ連の主導で
解決される状況を見て、自立を強めた
=その結果、アメリカやソ連の陣営とは違う、
第三勢力を形成しようとする考え方が出てきた
・1954年に、以下のようなことが起きた
→・アジア・アフリカ諸国会議の開催
・核実験停止の提案
・中国の周恩来首相がインドのネルー首相と会談して平和五原則を発表した
※平和五原則・・領土保全と主権の尊重、不侵略、内政不干渉、
平等と互恵、平和的共存を指す
・1955年に、以下のようなことが起きた
→・インドネシアのバンドンというところで、
アジア=アフリカ会議(バンドン会議)が行なわれた
→アジア=アフリカ会議には、アジアやアフリカの29カ国の代表が参加した
→この会議で、平和共存や反植民地主義などを提唱した十原則が採択された
・1961年にユーゴスラヴィアなどが呼びかけ、ベオグラードに25カ国が参加して
第1回非同盟諸国首脳会議が開かれた
※第1回非同盟諸国首脳会議について
・この会議は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国を米ソの対立に巻き込まず、
第三世界として積極的な中立の立場にまとめることを考えて行なわれた
・会議は、平和共存、民族解放の支援、植民地主義の打破を宣言した
・この会議で共同の方向に向かうことを誓った
・エジプトでは、1952年にナギブやナセルという人達などが指導する将校団が
王政を倒すということが起きた
=この出来事をエジプト革命という
※次の年の1953年に、共和国が誕生した
・その後、ナセルが大統領になり、以下のことを考えた
→・積極的中立政策を提唱した
・社会主義国に近づける方向を目指そうとした
・国内の近代化を進めるためにアスワン=ハイダムの建設を目指した
→イギリスやアメリカは、ナセルの外交政策に反発して、
エジプトへの経済的な援助を停止した
・1956年にナセルが、ダム建設の資金を得るために、スエズ運河の国有化を宣言した
→この宣言に対して、イギリス、フランス、イスラエルがエジプトに軍事行動を起こした
=この時に起きた戦争を、スエズ戦争(第2次中東戦争)という
※しかし、スエズ戦争は国際世論の批判を生んだ
→この批判に加えて、アメリカとソ連が警告を出したので、
軍事行動を起こした3国は撤退した
=この後エジプトは、アラブ民族主義の指導的な地位についた
・フランス支配下の北アフリカ地域では、1956年にモロッコとチュニジアが独立する
ということが起きた
・アルジェリアでは、独立に抵抗するフランス人入植者、現地軍部、
民族解放戦線(FLN)との間で武装抗争が続いた
→その後、1962年に独立が達成された
・ガーナが、1957年にエンクルマという人を指導者にして、
最初の自力独立の黒人共和国になった
・1960年に、アフリカで17カ国の新興独立国が生まれた
=そのため、この年は「アフリカの年」と呼ばれた
・1963年に、エチオピアのアジスアベバというところで
アフリカ諸国首脳会議が行なわれた
→この会議には、30カ国が参加し、アフリカ統一機構(OAU)を結成した
※OAUでは、アフリカ諸国の連帯、植民地主義の克服などを目指すことになった
・一方で、ポルトガルの植民地はアフリカに残った
・経済的な利益を逃したくない旧本国のなかには、ベルギーのように独立後も関わって、
コンゴ動乱を引き起こした例もあった
・新興独立国の経済は、植民地保有国の経済的な利益にそって開発された
※そのため、自立の基盤が弱かった
・多くの地域では、交通網や電気などのインフラ、教育や福祉などの
社会制度の整備が不十分だった
→そのため、以下のようなことが起きた
・独立後の政治や経済が不安定だった
・部族主義の対立による内戦やクーデタが繰り返された
・軍事独裁政権が何度か登場した
・上のような流れがあり、新興独立国家の最初の勢いは失われた
→その結果、欧米諸国の援助によって近代化を目指す方向が優勢になった
ポイント
・第三世界の考えが出てくるまでの流れについておさえる
・第三世界に関する各国の動きをおさえる
このあたりが今回のポイントです