戦後の国際政治の動きについて -冷戦の歴史-

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投稿者:       投稿日時:2013/11/18 01:05      
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戦後の国際政治の動きについて考えてみます

 

 

・東西冷戦について

 

 ・第二次世界大戦の後に、東ヨーロッパやアジアに社会主義の国が生まれた

  →アメリカや西ヨーロッパは資本主義だったので、西側の資本主義の国と、

   東側の社会主義の国が対立するようになった

   =この対立のことを、冷戦と呼ぶ

 

 

 

 ・冷戦によって、どのようなことが起きたのか

  

  ・アメリカ側が北大西洋条約機構(NATO)を、ソ連側がワルシャワ条約機構を作る、

   という軍事面での対立が起きた

 

  ・東と西で軍拡(軍事面での拡張)の競争が起きた

 

 

  ・2つに分けられる国が出てきた

   →例:東西ドイツ、南北ベトナム、南北朝鮮 etc

      

    ※分けられることは、何が問題なのか

     →世界各地で対立したり、国境はどこかということで紛争が起きたりした

 

      例・1961年にベルリンの壁が作られた

       ・1950年に朝鮮戦争という戦争が起きた

       ・1965年以降、アメリカがベトナム戦争に参加していった

 

 

 

 

・第三世界と非同盟諸国について

 

 ・第二次世界大戦の後に、アジアやアフリカで植民地だった国の中で、

  独立する国が多く出てきた

 

  →独立した国々は、1955年にアジア・アフリカ会議(バンドン会議)という会議を開いて

   「平和10原則」という原則を採用して、アメリカの側にもソ連の側にも所属しないで、

   中立の立場を取った

   =このように、どちらにも所属しないで中立の立場を取った国々を、非同盟諸国と言う

 

  ※国連では、1960年に植民地独立付与宣言という宣言を出し、

   植民地主義(植民地ありきの考え方)を無くしていくことを決めた

 

 

 ・1961年に、非同盟諸国首脳会議という会議がベオグラードという場所で開催された

  →これによって、大きい国の権力や植民地主義には、

   非同盟諸国が結束して反対するようになった

 

 ※非同盟諸国の行動は、第三世界の意見を国際社会に反映させる、

  という面で重要な役割を果たしたと言われている

  ・第三世界・・アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの、

         元々植民地だった国をまとめた呼び方のこと

 

 

 

 

・冷戦の多極化という動きと平和の共存について

 

 ・冷戦は1962年のキューバ危機という出来事によって、

  状況が変わったと言われている

  ※キューバ危機・・キューバにソ連がミサイル基地を作っていたので、

           アメリカがキューバを海上封鎖した事件のこと

 

  →キューバ危機をきっかけに、アメリカとソ連は核戦争を避けるために、

   平和共存政策という政策を出した

   =これによって、緊張緩和(デタント)が起きた

 

 

 ・平和共存政策以降の動き

 

  ・東ヨーロッパの国々で、自立する国々が出てきた

 

  ・西側で、フランスがNATOから抜けた

 

  ・西側の国々の経済的な成長が起きた

 

   →このような動きがあり、非同盟諸国首脳会議に参加するようになる国が増えて行った

 

   =結果的に、アメリカとソ連がにらみ合うという、

    二極のスタイルから多極化のスタイルに変わっていった

 

 

 

 

・冷戦の終わりについて

 

 ・1980年に、ソ連のゴルバチョフという人が、ペレストロイカという改革を行い、

  アメリカと仲良くしていこうとする動きを取るようになる

 

  ※なぜ、ソ連はペレストロイカを行ったのか

   →ソ連は経済の成長が止まり、

    アメリカは「双子の赤字」(財政赤字と貿易赤字の両方を持つこと)という

    状況になっていたからだと言われている

    =アメリカも、ソ連も、軍拡の競争に使うお金は、

     お互いの国の経済にダメージを与えていた

 

   →そこで、アメリカとソ連は、中距離核戦力(INF)全廃条約という条約に調印をした

    ※中距離核戦力全廃条約・・核兵器を削減していくための条約のこと

 

 

 

 ・調印してからの、様々な国の動きについて

 

  ・1989年に共産党の政権がどんどんなく無くなっていった

  

  ・ベルリンの壁が無くなった

 

  ・1989年12月にマルタ会談という会談を開いて、

   アメリカとソ連は冷戦の終わりを認めた

 

  ・1990年に東ドイツと西ドイツが統一された

 

  ・1991年にワルシャワ条約機構が無くなった

 

  ・1991年に独立国家共同体(CIS)が作られて、ソ連が無くなった

 

   →このような動きもあり、東西の対立は無くなった

 

 

 

 

・ヨーロッパの安全について

 

 ・ヨーロッパでは、1975年に全欧安保協力会議(CSCE)という会議が

  ヘルシンキで行われた

 

  ※全欧安保協力会議(CSCE)について

 

   ・CSCE以降、東西が一緒に行える「共通の安全保障」というシステムが

    考えられるようになった

 

   ・この会議でヘルシンキ宣言という宣言が出た

    →ヘルシンキ宣言によって、信頼醸成措置(CBMs)などが

     取り入れられるようになった

     ※信頼醸成措置・・敵の関係にある国とコミュニケーションや情報交換などを

              行うことで、誤解や不信を減らしていくための措置のこと

 

   ・1990年に開かれた時は、「欧州の対立と分断の時代は終結した」と宣言する、

    パリ憲章というのが採用された

    ※日本は1992年に、準加盟国になった

 

   ・1994年にCSCEは、全欧安保協力機構(OSCE)になった

    =全欧安保協力会議が、常設の組織になった

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