冷戦の開始と東アジアの様子について
冷戦の開始と東アジアの様子について考えてみます
・冷戦の開始の様子について
※戦後はアメリカが世界の中心になったという背景がある
→アメリカは、IMF(国際通貨基金)や世界銀行を作ったり、
GATT(関税及び貿易に関する一般協定)を結んだリしていた
=これは、アメリカ中心の経済体制を作ろうとした背景があると言われている
※実際にアメリカは、ドルを基軸通貨とする固定相場制と自由貿易を中心とした
資本主義の世界経済を作ることを考えていた
※一方で、ソ連に占領された東欧の国々(ヨーロッパの東側)では、ソ連によって
共産主義の体制が作られ、ソ連が小さな国を支配するという
「衛星国」化という動きが進んだ
→この時に、アメリカの考え方とソ連の考え方が違っていて、対立するようになった
・上のような状況でアメリカは、以下のようなことを行った
・1947年以降に、トルーマン・ドクトリンやマーシャル・プランというものを
通して、ヨーロッパの西側にある自由主義の国々を団結させるようにした
・共産主義の範囲が広がらないように、「封じ込め政策」というものを使った
・北大西洋条約機構(NATO)というものを作って、ヨーロッパの西側の
軍事的な団結力を高めた
※・トルーマン・ドクトリン・・アメリカのトルーマン大統領という人が、
ギリシャとトルコに軍事的な
援助を議会でお願いした演説で明らかになった、
冷戦の時のアメリカの外交の基本的なルールのこと
・マーシャル・プラン・・マーシャルというアメリカの国務長官が提唱した、
ヨーロッパの戦後の復興を支援するための計画のこと
→このプランに、ソ連とヨーロッパの東側の国々が
参加しなかったため、ヨーロッパが東西に
分裂してしまう大きな原因の一つとなった
・封じ込め政策・・アメリカが資本主義の国と協力をして、ソ連と共産主義の勢いを
抑えつけようとした政策のこと
→結果的には失敗に終わっている
・一方でソ連は、以下のようなことを行った
・1949年に原爆の開発に成功した
・1955年にワルシャワ条約機構(WTO)というものを作り、
ヨーロッパの東側の国々とソ連の軍事の面での団結力を高めた
→以上のような状況になり、結果的にアメリカをトップに置く西側(資本主義・自由主義)と
ソ連をトップに置く東側(社会主義・共産主義)という二大陣営が誕生した
※二大陣営は政治面(イデオロギー的)や軍事面など対立することになってしまった
=これを、冷戦体制という
・当時の東アジアの様子について
・中国では、農民に熱く支持された共産党と、アメリカに支援された国民党との間で
内戦が起きた
→この戦いは共産党が勝利した
=その結果、1949年10月に毛沢東という人をトップに置いて、
北京で中華人民共和国の成立を宣言した
→次の年の1950年に、中ソ友好同盟相互援助条約という条約が成立した
=この結果、中国は冷戦の東側陣営に参加した
・一方で、負けた国民党は台湾に逃げて、蒋介石をトップに置くことで
中華民国政府を続けさせた
・朝鮮半島は、1948年にソ連軍とアメリカ軍によって南北に分けられてしまった
→・ソ連軍は、ソ連軍の占領地域に金日成という人をトップに置いて
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という国を作った
・アメリカ軍は、アメリカ軍の占領地域に李承晩という人をトップに置いて
大韓民国(韓国)という国を作った
→この結果、南北に分断された状態が固定してしまった
ポイント
・冷戦の開始について押さえる
・東アジアの様子について押さえる
このあたりが今回のポイントです