戦後の世界の様子について
戦後の世界の様子について考えてみます
・戦後の世界の様子について
・1941年の大西洋憲章で示された新しい国際機関の創設を協議するために、
1944年8月~10月にワシントン郊外のダンバートン=オークスで、
アメリカ、イギリス、ソ連、中国の四カ国会議が行なわれた
※この会議の時に、国際連合憲章草案がまとまった
→この草案は、1945年4月~6月に50カ国の連合国が参加した
サンフランシスコ会議で正式に採択された
=その結果、1945年10月に、国際連盟に代わって国際連合が発足した
※国際連合について
・国際連合とは、国際平和を維持し、紛争の原因を取りのぞき、
経済・文化・教育の発展と交流を助け、基本的人権を擁護することを
目的にした常設の国際機関のこと
・1948年の第3回総会で、基本的人権の目標が示された世界人権宣言が採択された
・ニューヨークに本部が置かれた
・国際連合は、全加盟国が平等に参加する総会の決定で運営される
・アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国の五大国を拒否権を持つ
常任理事国とする安全保障理事会を設置した
→安全保障理事会に、経済的かつ軍事的な制裁を決定する強力な権限を与えた
・国際連合は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)、国際労働機関(ILO)、
世界保健機関(WHO)などの様々な分野の専門機関や、
ユニセフ(国連児童基金)などの補助機関を持っている
・国際連合と並行する形で、戦後の国際金融・経済協力体制の構築が、
以下のような流れで進んだ
→・1944年7月に、連合国の代表がアメリカ合衆国のブレトン=ウッズの会議に集まった
→この会議で、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD、世界銀行)の
設立に合意した
=IMFとIBRDの両方の組織は、1945年12月に発足した
・1947年10月に、「関税と貿易に関する一般協定」(GATT)が成立した
→これは、貿易の壁を取り除いて、世界の貿易を促す体制を作ったと言われている
→上のような制度は、どれもアメリカのドルを基軸通貨にした
=この時に用いられたのが、金1オンス=35ドルの固定相場制だった
※なぜドルが基軸通貨になったのか
・アメリカが世界の鉱工業生産の6割を占めた
・世界の金の7割近くを持っていた
→この2つによって、経済面でかなりの力を握っていたからだと言われている
・敗戦国については、戦後に以下のような扱いを受けた
→・1945年8月のポツダム協定で、ドイツへの方針が決定された
→ポツダム協定で、以下のようなことが決められていた
・フランスを含めた4国による分割占領と共同管理
・旧首都ベルリンの分割管理
・民主化の徹底 など
→これらに加えて、ニュルンベルクに国際軍事裁判所が設置された
※この裁判所で、ナチス=ドイツの指導者の戦争犯罪責任が追及された
=結果的に、裁判でナチス=ドイツの指導者12名が死刑判決を受けた
・オーストリアは、ドイツと分離されて4国の共同管理下に置かれた
・イタリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、フィンランドの旧枢軸国との間で、
1947年にパリ講和条約が結ばれた
※この時に、イタリアは海外の領土を放棄した
・日本は、アメリカ軍を中心とした連合国軍に占領された
→そのため、アメリカ主導で、軍隊の解散、財閥解体、農地改革、教育改革などの
民主的な改革が行なわれた
※さらに、東京に極東国際軍事裁判所が設置されて戦争犯罪が裁かれ、
東条英機など7人が死刑判決を受けた
=結果的に、1946年に、主権在民や戦争放棄などが含まれた
日本国憲法が公布された
ポイント
・国際連合についておさえる
・戦後の経済体制についておさえる
・敗戦国に対する動きをおさえる
このあたりが今回のポイントです