アメリカの繁栄・西欧と日本の復興の動きについて
アメリカの繁栄・西欧と日本の復興の動きについて考えてみます
・アメリカの繁栄について
・第二次大戦後のアメリカでは、自分の国の軍事や経済力の自信を背景に、ソ連に対抗して
アメリカが国際社会を引っ張っていくことが大切だという考え方が強くなっていた
・アメリカ国内では、1947年にワグナー法の代わりに、労働組合活動を制約する
タフト・ハートレー法が作られた
・さらに、アメリカの中で、ソ連の原爆保有や朝鮮戦争の長期化に対して
いらだちが強まってきた
→すると、左翼運動や共産主義の考え方を追及する動きが出てきた
=この動きを赤狩り(マッカーシズム)という
※赤狩り・・共和党の上院議員のマッカーシーという人が知識人や公務員の
思想活動の先頭に立ったこと
・1952年の大統領選挙で当選した共和党のアイゼンハウアーという人は、
冷戦の枠組みを維持しつつ、朝鮮戦争を終わらせ、ソ連との対話を
進めていこうとした
※この時に、アメリカ経済は安定して成長を続けた
→この経済成長につれて、今まで繁栄の影で差別を受けていた黒人の中から、
平等な公民権を求める運動が広がっていった
・西欧と日本の復興の動きについて
・西ヨーロッパの国々は、マーシャル=プランの効果による経済の回復が著しかった
※そのため、西ヨーロッパの国々は、1950年~1970年の20年間は
高い経済成長率が続いた
・西ヨーロッパでは、第一次と第二次の世界大戦の反省を土台にして
経済を復興させるために、エネルギー資源や工業資源を共同で管理して、
アメリカとソ連の対立を防止しようとする考えが出てきた
・1952年に、フランスのシューマン外相の提案(シューマン=プラン)によって、
フランス、イタリア、西ドイツ、ベネルクス3国は
ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSE)を発足させた
→この動きは、ソ連社会主義圏との対立にも促された
=そのため、1958年には、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、
ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)の設立へと発展していった
※この動きの後に、以下のようなことが起きた
・関税の相互の引き下げ
・共同の商業政策や農業政策
・資本や労働力の移動の自由化 など
→1967年に、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体、ヨーロッパ経済共同体、
ヨーロッパ原子力共同体の3つの共同体が合併して、ヨーロッパ共同体(EC)となり、
西ヨーロッパ統合の基礎が作られていった
・フランスでは、1958年に、第四共和政がアルジェリア独立問題を解決できずに倒れ、
第五共和政が誕生した
・大統領になったド=ゴールは、アルジェリアの独立を認めると同時に、
フランスを第4の核保有国にした
→これに加えて、1964年に中国を承認し、1966年にNATOへの
軍事協力を拒否した
※ド=ゴールは、アメリカとソ連との間で、独自の立場を主張した
・西ドイツは、アデナウアーという人のもとで、「奇跡」と呼ばれた経済成長をとげた
→そして、1966年の選挙の結果、キリスト教民主同盟などに
社会民主党を加えた大連合政府が成立した
・イギリスは、EECに参加せず、1960年にヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を
結成して対抗した
・1964年の選挙で労働党が勝利してウィルソン内閣が成立した
→すると、スエズ以東からの撤兵を決めた
※これに加えて、経済危機からポンドの切り下げを実行した
・日本は、朝鮮戦争が起きてから、国連軍への物資の供給を引き受け
鉱工業の生産を飛躍的に発展させた
※この時の、国連軍への物資の供給を引き受けによる、日本の景気向上を
朝鮮特需という
・1955年に自由民主党が出来て、その後から長期にわたって政権を握る体制が出来た
※この時に出来た体制を55年体制という
・1956年に、ソ連との国交を回復し、国際連合に加盟したことで、国際社会に復帰した
・1960年に日米相互協力および安全保障条約が改定された
→この時に、日米間のつながりが強くなった
※しかし、国内では改定をめぐって激しい対立が起きた
・1960年代の高度経済成長を経て、日本は先進工業国の一員にになった
・1960年代の終わりには、フランスや西ドイツなどの西ヨーロッパの先進国や日本で、
戦後の政治や社会の制度と、経済成長によって変わった社会とのズレを
批判した学生運動や労働運動が広がった
・1969年には、フランスのド=ゴールが退陣した
→その後、西ドイツで戦後はじめて、社会民主党のブラントを
首相とする政府が成立した
ポイント
・アメリカの繁栄についておさえる
・西欧と日本の復興の動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです