朝鮮戦争と冷戦体制の始まりについて
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朝鮮戦争と冷戦体制の始まりについて考えてみます
・朝鮮戦争について
・1950年6月に、北朝鮮軍が南北統一を目指して境界線を越えて侵攻し、
朝鮮半島南端の釜山地区にせまるということが起きた
・国連安全保障理事会は、北朝鮮軍の行動を侵略と認めた
→そのため、韓国の支援のためにアメリカ軍を主体とする国連軍を派遣した
※当時、ソ連は理事会をボイコットしていたため、
拒否権を使うことが出来なかった
→国連軍は、共和国軍に反撃し、中国の国境近くまで追撃する
ということを行なった
→そこで中国は、共和国側を支援して、人民義勇軍を派遣した
※以後、38度線を境に攻防が続いていた
=結果的に、1953年に休戦が成立し、38度線をはさむ停戦ラインで
南北朝鮮の分断が固定化された
・朝鮮戦争という出来事をきっかけに、東西の対立がアジア・太平洋地域にも広がった
※アメリカは、1953年から「まき返し政策」をかかげ、同盟網を張りめぐらせた
・朝鮮戦争が始まった後に、日本は警察予備隊(のちの自衛隊)を設置した
→さらに、1951年に社会主義国と一部のアジア諸国の不参加や反対を推して、
サンフランシスコ講和会議で平和条約に調印した
=この結果、日本は独立を回復し、朝鮮、台湾、南樺太、千島を正式に放棄した
※北方領土は、1855年の日露和親条約以降、日本の領土と認められている
※しかし、第二次世界大戦後に旧ソ連とロシアは北方領土を占領し続けているため、
日本はその返還を求めている
→同時に日本は、日米安全保障条約を結んだ
※この時に以下のようなことが決められた
・アメリカは事実上、日本の防衛を引き受けた
・日本はアメリカ軍の駐留、軍事基地と関係施設の存続を認めた
※1960年に条約が改定された時に、アメリカの日本防衛の
義務が明文化された
・1951年以降、アメリカは以下のような動きを見せた
→・1951年にフィリピンと軍事援助条約を結んだ
・オーストラリア、ニュージーランドと太平洋安全保障条約(ANZUS)を結んだ
・1954年に、アンザス諸国などにフィリピン、タイ、パキスタンをあわせて、
東南アジア条約機構(SEATO)を結成した
・ジュネーヴ休戦協定後に、ベトナム民主共和国に対抗して
軍事境界線南部に成立したベトナム共和国を支援した
・また、中東地域では1955年に、トルコ、イラク、イギリス、パキスタン、イランが
参加するバグダード条約機構(中東条約機構「METO」)が結成された
※1958年に、イラクは革命によって王政から共和政になった
※1959年に、イラクがバグダード条約機構から脱退した
→この2つを理由に、バグダード条約機構は中央条約機構(CENTO)と改称した
・ソ連と東欧の8カ国が、1955年に
東ヨーロッパ相互援助条約(ワルシャワ条約機構)を結成して、
北大西洋条約機構に対抗した
・冷戦体制の始まりについて
・戦後、アメリカの核兵器の独占が、1949にソ連の原子爆弾製造によって終了した
※この後すぐに、イギリスも核保有国になった
・1952年に、アメリカが最初の水素爆弾の実験を行った
※すると、1953年にソ連も水爆の保有を明らかにした
・アメリカとソ連の両国は、核兵器開発の競争を続けた
※その一方で、核戦争による共倒れを恐れていた
→そのため、直接対決や相手側陣営への介入をさけ、自分達の陣営の結束を固めた
→そして、同盟国の獲得による勢力の拡大や、
中立諸国への支援などによって対抗した
=このような状態を、冷たい戦争(冷戦)という
→冷戦によって、各国では以下のようなことが起きた
・冷戦がその後の国際関係を規定した
・それぞれの陣営内の国々の自主的な動きが制約された
・国際連合の活動も、厳しい枠にはめられた
ポイント
・朝鮮戦争についておさえる
・冷戦体制の始まりについておさえる
このあたりが今回のポイントです