ソ連とその他の国の動揺について
ソ連とその他の国の動揺について考えてみます
・ソ連とその他の国の動揺について
・ソ連は、1964年にフルシチョフが解任されるということが起きた
→その後は、コスイギン首相とブレジネフ第一書記という体制にかわった
=この結果、国内外の政策に大きな変化は無かったが、
自由化への道やスターリン批判はおさえこんだ
・社会主義国の中では、アルバニアが中国を支持した
・石油資源を持つルーマニアが、ソ連と距離を取る外交を行った
・1968年にチェコスロヴァキアで、民主化を求める国際運動が起きた
→この時、共産党書記長になった改革派のドプチェクという人は、
自由化を進めていこうとした
=この動きを「プラハの春」という
→ソ連は、上のような自由化の動きが他の国にも影響を与えることを恐れていた
=そこでソ連は、ワルシャワ条約機構の4カ国軍と一緒に
チェコスロヴァキアに軍事介入して、改革の動きを封じた
※ソ連のこの動きは、国際的に非難され、東欧の社会主義圏の
指導者としての地位が揺らいだ
※さらに、社会主義圏の改革の動きも阻害されてしまった
=そのため、ソ連と東欧の社会主義の国々の政治や経済は停滞した
ポイント
・ソ連とその他の国の動揺についておさえる
このあたりが今回のポイントです