戦後の南アジア・西アジア・アラブ世界について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/18 01:44      
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戦後の南アジア・西アジア・アラブ世界について考えてみます

 

 

・戦後の南アジア・西アジア・アラブ世界について

 

 

 

 ・インドは、戦後に独立が予定されていた

  ※しかし、インドはジンナーという人とガンディーという人などとの間で対立していた

   ・ジンナー・・パキスタンの分離と独立を目指す全インド=ムスリム連盟の人

   ・ガンディー・・統一インドを主張する人

 

  =その後、1947年にインド独立法という法律が作られると、

   ヒンドゥー教を中心とするインド連邦とイスラーム教徒による

   パキスタンの2国に分かれて独立した

 

  →しかし、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒との対立はその後も終わらなかった

   ※しかも、1948年にガンディーは、急進派ヒンドゥー教徒に暗殺された

 

  =インドは、初代首相のネルーという人を中心に、1950年にカーストによる

   差別の禁止など社会の近代化を目指す憲法を発布して、共和国になった

 

 

 

 ・スリランカ(セイロン)は、1948年にイギリス連邦内の自治領になった

 

 

 ・ミャンマーは、1948年にイギリス連邦から離れて独立した

 

 

 ・イギリスの支配下にあったマレー半島は、1957年にマラヤ連邦になった

  →その後、1963年にシンガポールとイギリス領ボルネオの2つと組み合わさって、

   マレーシア連邦になった

   =しかし、1965年にこの中から、華人(中国系住民)が多くを占める

    シンガポールが、別個の国家として分離し、独立した

 

 

 

 ・イランは、第二次大戦中に中立を表明しつつも、イギリスとソ連の軍隊の駐留を許した

  →そのため、戦後は外国が関わってくることに抗議する民族運動が広がった

   ※中でも、イラン産の石油を独占するイギリス系企業の

    アングロ=イラニアン石油会社の国有化を求める声が強くなった

 

  →そこで、1951年に政権についたモサデグという人は、国有化の声に応える形で、

   実際に国有化した

   ※しかし、イギリスとの関係の悪化を恐れた国王のパフレヴィー2世という人は、

    クーデタによってモサデグを追放した

    =そのため、イランでの民族運動の動きはおさえこまれた

 

 

 

 ・エジプトなどアラブ7カ国は、1945年3月にアラブ連盟(アラブ諸国連盟)を

  結成して、アラブの統一を目指した

  ※アラブ7カ国・・エジプト、シリア、イラク、レバノン、トランスヨルダン、

           イエメン、サウジアラビアを指す

 

 

 

 ・パレスチナは、イギリスの委任統治が戦後に終了した

  →この出来事をきっかけに、国際連合によってアラブ人とユダヤ人地域への

   分割案が出された

   ※ユダヤ人はこれを受け入れて1948年にイスラエルの建国を宣言した

   ※しかし、アラブ連盟は反対して、イスラエルと戦った

    =この戦争を、パレスチナ戦争(第一次中東戦争)という

 

  →この後、国際連合の調停によってイスラエルが独立を確保した

   ※しかし、パレスチナから追放された100万人以上のアラブ人が

    難民(パレスチナ人)になった 

 

  →1964年に、パレスチナ難民は、アラブ諸国の支援のもとに、

   パレスチナ奪回を目標とするパレスチナ解放機構(PLO)を設立した

   ※PLOは、イスラエルに対する闘争や国際世論への働きかけを指導した

 

 

ポイント

・戦後の南アジア・西アジア・アラブ世界の様子をおさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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