戦後の南アジア・西アジア・アラブ世界について
戦後の南アジア・西アジア・アラブ世界について考えてみます
・戦後の南アジア・西アジア・アラブ世界について
・インドは、戦後に独立が予定されていた
※しかし、インドはジンナーという人とガンディーという人などとの間で対立していた
・ジンナー・・パキスタンの分離と独立を目指す全インド=ムスリム連盟の人
・ガンディー・・統一インドを主張する人
=その後、1947年にインド独立法という法律が作られると、
ヒンドゥー教を中心とするインド連邦とイスラーム教徒による
パキスタンの2国に分かれて独立した
→しかし、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒との対立はその後も終わらなかった
※しかも、1948年にガンディーは、急進派ヒンドゥー教徒に暗殺された
=インドは、初代首相のネルーという人を中心に、1950年にカーストによる
差別の禁止など社会の近代化を目指す憲法を発布して、共和国になった
・スリランカ(セイロン)は、1948年にイギリス連邦内の自治領になった
・ミャンマーは、1948年にイギリス連邦から離れて独立した
・イギリスの支配下にあったマレー半島は、1957年にマラヤ連邦になった
→その後、1963年にシンガポールとイギリス領ボルネオの2つと組み合わさって、
マレーシア連邦になった
=しかし、1965年にこの中から、華人(中国系住民)が多くを占める
シンガポールが、別個の国家として分離し、独立した
・イランは、第二次大戦中に中立を表明しつつも、イギリスとソ連の軍隊の駐留を許した
→そのため、戦後は外国が関わってくることに抗議する民族運動が広がった
※中でも、イラン産の石油を独占するイギリス系企業の
アングロ=イラニアン石油会社の国有化を求める声が強くなった
→そこで、1951年に政権についたモサデグという人は、国有化の声に応える形で、
実際に国有化した
※しかし、イギリスとの関係の悪化を恐れた国王のパフレヴィー2世という人は、
クーデタによってモサデグを追放した
=そのため、イランでの民族運動の動きはおさえこまれた
・エジプトなどアラブ7カ国は、1945年3月にアラブ連盟(アラブ諸国連盟)を
結成して、アラブの統一を目指した
※アラブ7カ国・・エジプト、シリア、イラク、レバノン、トランスヨルダン、
イエメン、サウジアラビアを指す
・パレスチナは、イギリスの委任統治が戦後に終了した
→この出来事をきっかけに、国際連合によってアラブ人とユダヤ人地域への
分割案が出された
※ユダヤ人はこれを受け入れて1948年にイスラエルの建国を宣言した
※しかし、アラブ連盟は反対して、イスラエルと戦った
=この戦争を、パレスチナ戦争(第一次中東戦争)という
→この後、国際連合の調停によってイスラエルが独立を確保した
※しかし、パレスチナから追放された100万人以上のアラブ人が
難民(パレスチナ人)になった
→1964年に、パレスチナ難民は、アラブ諸国の支援のもとに、
パレスチナ奪回を目標とするパレスチナ解放機構(PLO)を設立した
※PLOは、イスラエルに対する闘争や国際世論への働きかけを指導した
ポイント
・戦後の南アジア・西アジア・アラブ世界の様子をおさえる
このあたりが今回のポイントです