ベトナム戦争とインドシナ半島について
ベトナム戦争とインドシナ半島について考えてみます
・ベトナム戦争について
・ベトナム共和国(南ベトナム)では、1955年にアメリカ合衆国の
支援を受けたゴ=ディン=ジエム政権が誕生した
・1960年に、ベトナム統一をめざす南ベトナム解放民族戦線が結成された
→この戦線は、ベトナム民主共和国(北ベトナム)と手を組んで
ゲリラ戦を行った
・1963年に、ジエム政権が軍のクーデタによって倒されるということが起きた
※この後、解放民族戦線の攻撃が激しくなった
→すると、アメリカがこの動きを共産主義勢力の侵略だとして
本格的に軍事援助を始めた
=結果的に、1965年から北ベトナムへの爆撃(北爆)を行い始めた
・しかし、北ベトナムと解放戦線はソ連と中国の援助を受けたこともあり
持ちこたえた
=そのため、戦いの状況が泥沼化することになった
※この時に、アメリカの軍事的な介入に対して、アメリカ国内で
意見が二つに分かれた
※また、この行動に対して国際的にも多くの批判を受けていた
・1968年にアメリカは、北爆を停止した
→その後、パリで北ベトナム側と和平交渉に入っていった
=結果的に、1973年1月にベトナム(パリ)和平協定に調印することで
南ベトナムから撤退した
・その後、1975年4月に、北ベトナム軍と解放戦線が
サイゴンというところを占領した
=そして、1976年に南北を統一したベトナム社会主義共和国が成立した
・カンボジアでは、1970年に以下の2つの勢力がぶつかっていた
→・クーデタでシハヌーク元首を追放した親米右派
・ポル=ポトという人が指導する赤色クメールなどの解放勢力
=この争いは、1975年に解放勢力が勝利して、
民主カンボジア(民主カンプチア)を名乗った
・ラオスでは、1960年代の前半から、政権を握る右派と、
左派のラオス愛国戦線(パテト=ラオ)の間で内戦が続いていた
=結果的に、愛国戦線が勝利し、1975年にラオス人民民主共和国が誕生した
ポイント
・ベトナムの様子についておさえる
・カンボジアとラオスの様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです