ベトナム戦争とインドシナ半島について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/18 02:31      
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ベトナム戦争とインドシナ半島について考えてみます

 

 

・ベトナム戦争について

 

 

 ・ベトナム共和国(南ベトナム)では、1955年にアメリカ合衆国の

  支援を受けたゴ=ディン=ジエム政権が誕生した

 

 

 ・1960年に、ベトナム統一をめざす南ベトナム解放民族戦線が結成された

  →この戦線は、ベトナム民主共和国(北ベトナム)と手を組んで

   ゲリラ戦を行った

 

 ・1963年に、ジエム政権が軍のクーデタによって倒されるということが起きた

  ※この後、解放民族戦線の攻撃が激しくなった

   →すると、アメリカがこの動きを共産主義勢力の侵略だとして

    本格的に軍事援助を始めた

    =結果的に、1965年から北ベトナムへの爆撃(北爆)を行い始めた

 

 ・しかし、北ベトナムと解放戦線はソ連と中国の援助を受けたこともあり

  持ちこたえた

  =そのため、戦いの状況が泥沼化することになった

   ※この時に、アメリカの軍事的な介入に対して、アメリカ国内で

    意見が二つに分かれた

   ※また、この行動に対して国際的にも多くの批判を受けていた

 

 ・1968年にアメリカは、北爆を停止した

  →その後、パリで北ベトナム側と和平交渉に入っていった

   =結果的に、1973年1月にベトナム(パリ)和平協定に調印することで

    南ベトナムから撤退した

 

 ・その後、1975年4月に、北ベトナム軍と解放戦線が

  サイゴンというところを占領した

 

  =そして、1976年に南北を統一したベトナム社会主義共和国が成立した

 

 

 

 

 

 ・カンボジアでは、1970年に以下の2つの勢力がぶつかっていた

  →・クーデタでシハヌーク元首を追放した親米右派 

   ・ポル=ポトという人が指導する赤色クメールなどの解放勢力

    =この争いは、1975年に解放勢力が勝利して、

     民主カンボジア(民主カンプチア)を名乗った

 

 

 

 ・ラオスでは、1960年代の前半から、政権を握る右派と、

  左派のラオス愛国戦線(パテト=ラオ)の間で内戦が続いていた

  =結果的に、愛国戦線が勝利し、1975年にラオス人民民主共和国が誕生した

 

 

ポイント

・ベトナムの様子についておさえる

・カンボジアとラオスの様子についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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