朝鮮戦争について
朝鮮戦争について考えてみます
・朝鮮戦争について
※朝鮮半島は、冷戦の影響で南北に分断されている状況だった
→そこで、1950年6月に中国革命の成功に刺激を受けた北朝鮮が、
武力の統一を目指すために北緯38度線を越えて、韓国に侵略して攻撃を始める
という出来事が起きた
=この出来事を朝鮮戦争という
・北朝鮮軍は韓国のソウルという地域を占拠して、韓国をどんどん攻撃していった
→しかし、アメリカ軍が国連軍ということで朝鮮戦争に介入した結果、
北朝鮮軍の勢力を弱らせることに成功した
※北朝鮮への武力による制裁は、ソ連がいない状態での国連の安全保障理事会で
決められた
・1950年9月にアメリカ軍は、仁川上陸作戦という作戦をきっかけにして
北緯38度線を越えて、中国の国境に近づくという出来事が起きた
→このようなアメリカの行動に対して、中国人民義勇軍という軍が北朝鮮側について
戦争に参加した
=そのため、戦争が北緯38度線の近くで、ダラダラと続いてしまった
※この時の戦争の状況について、国連軍のトップだったマッカーサーは、
戦争に動きを見せるために中国の東北地方を爆撃するべきだと主張していた
→この主張に対して、当時のアメリカ大統領だったトルーマンという人は、
爆撃によって戦争が広がるのを恐れて、マッカーサーを国連軍のトップから降ろした
→1951年の7月から朝鮮戦争の休戦会談という会談が始まった
=そして、1953年7月に板門店というところで休戦協定が調印された
・朝鮮戦争が始まった時に、日本にいるアメリカ軍の人が朝鮮戦争のために呼ばれて、
朝鮮に向かった
→その時に、アメリカ軍が日本からいなくなることで、日本の軍事が弱くなってしまうと
GHQが考えた
=そこでGHQは、日本に指令を出して警察予備隊という機関を作らせた
※当時は、元軍人の公職追放が無くなっていき、元軍人が警察予備隊に
採用されていった
※警察予備隊・・日本の治安維持と防衛を行った機関のこと
・この後GHQは、日本共産党の幹部の公職追放を指令して、共産主義の人達を追放する
ということを行った
=共産主義の人達を追放することを、レッドパージという
※レッドパージは、後にマスコミ、民間企業、官公庁などにも広がっていった
・労働運動については、左派の産別会議の勢いが弱くなってきた
→そこで、1950年に、産別会議に反対する人達が、GHQの後押しもあって、
日本労働組合総評議会(総評)という組織を作った
=総評は、労働運動の主導権を握ったと言われている
※総評は、後に起きた講和問題というのをきっかけに考え方を変えた
→その結果、日本社会党と手を組んで、アメリカに反抗的な態度を取る姿勢を見せた
ポイント
・朝鮮戦争の内容と、それによる影響を押さえる
このあたりが今回のポイントです