ソヴィエト政権とソ連の誕生について
ソヴィエト政権とソ連の誕生の背景を中心に、戦時共産主義やネップなどを考えてみます
・ソヴィエト政権について
・ソヴィエト政権は、ドイツと休戦をした
※しかし、ソヴィエトは国際的な孤立の状況とドイツの優勢な軍事力を
見せつけられることになった
→そこで、1918年3月に、不利な条件でドイツ側と
ブレスト=リトフスク条約を結んだ
・国内では、ボリシェヴィキは憲法制定議会を封鎖した
→この封鎖によって、ソヴィエトを基盤とする体制に移動した
=その結果、社会主義を目指す方針を明らかにした
・ボリシェヴィキは共産党と改称され、首都がモスクワに移された
→18年半後には、ソヴィエト体制が事実上、ボリシェヴィキの一党支配になった
=その結果、以下のようなことが起きた
・地主からの土地を無償で没収し、農民へ分配した
・工業、銀行、貿易を国営化にし、国家で管理した など
・レーニンが、ロシアで社会主義を成功させるためには、
先進資本主義国での革命(世界革命)が必要だと考えた
→そこでレーニンは、1919年3月に、モスクワでコミンテルン
(共産主義インターナショナル、第3インターナショナル)を作って、
世界革命の推進を行っていった
※しかし、ハンガリーやドイツなどの敗戦国での革命は長続きしなかった
→そのため、世界革命の期待は破れた
=しかし、社会主義を提唱する国家が出てきたことは、資本主義とは
別の方向を示したことに加えて、資本主義の行き過ぎや欠陥などを修正する
という面でも重要な役割を果たしたと言われている
・革命後に、旧帝政派の軍人やボリシェヴィキに反対する政党が、
各地に反革命政権を誕生させた
※革命が広がることをおそれる連合国も反革命政権を援助した
→そして、直接シベリアなどの各地に軍を派遣した
=その結果、対ソ干渉戦争というのが始まった
・ソヴィエト政府は赤軍を組織した
→さらに、チェカ(非常委員会)を設置して反革命運動を取り締まった
→その一方で、危機的な食料状況の解決のために、戦時共産主義を実施した
※戦時共産主義・・農民から穀物を強制的に回収し、
都市住民や兵士に配給するスタイルのこと
=その結果、1920年に国内の反革命政権がほぼ制圧され、外国軍が次第に撤退していった
・ソ連の誕生について
・戦時共産主義は、農業や工業の生産の混乱や低下を招いた
※この裏で、多くの餓死者を出すという深刻な事態を引き起こした
=そこで、1921年の初めには、労働者や兵士の中からも
共産党一党支配への反抗が出てきた
・そこでレーニンは、以下のような行動を取った
→・国有化を緩めた ・穀物の回収をやめた ・農民に余剰農産物の自由販売を認めた
・中小企業の私的な営業を認めた など
=これら一連の転換を、新経済政策(ネップ)という
※ただし、ネップの時にも、共産党一党体制、銀行や外国貿易の国家管理は変えなかった
→ネップによって、国民経済は回復に向かい、生産が戦前の水準にまで復活した
・1922年12月に、シベリアから日本軍が撤退した後、ロシア、ウクライナ、
ベラルーン(白ロシア)、ザカフカースの4つのソヴィエト共和国が連合した
=この連合によって、ソヴィエト連合社会主義共和国連邦(ソ連)が誕生した
※1924年1月には、新憲法が公布された
ポイント
・ソヴィエト政権の動きについておさえる
・ソ連の誕生についておさえる
このあたりが今回のポイントです