ロシア革命について
ロシア革命について考えてみます
・ロシア革命について
・ロシアは、第一次世界大戦が始まってから、何度も負けていた
※さらに、輸送危機の重なって、都市への食料や燃料の供給が難しくなった
=しかし、供給の低下に対して、ロシアの皇帝や政府は十分な対策をしなかった
・一方で、国民の間では戦争の継続に反対する声が広がった
→そのため、以下のようなことが起きた
・1916年の夏に、戦争へ人を送ることに抗議する中央アジアの民族が
蜂起を起こした
・1917年3月8日に、首都のペトログラードで、パンと平和を求める人々のデモや
ストライキが起きた
※この時に、軍隊も加わって各地に広がっていった
※また、労働者や兵士はソヴィエトを組織して、革命を推進した
→結果的に、皇帝のニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が消滅して帝政が崩壊した
→そして、ドゥーマ(国会)の自由主義の党派の議員は、社会革命党などの
支持を受けていた
※そこで、ロシアで臨時政府を樹立した
=これを、ロシアの二月革命(三月革命)という
※臨時政府は、普通選挙による議会の招集を決めた
→しかし、戦争は継続した
※一方で、労働者やソヴィエトの兵士も存続し続けた
=そのため、特殊なスタイルの二重構造による権力の状態が続いた
・農村では、土地を求める農民革命が起きていた
・また、ウクライナやフィンランドでは、民族革命が起きていた
・1917年4月に、ボリシェヴィキの指導者であったレーニンという人が
スイスから帰国して革命をさらに進める方針を示し、
ソヴィエト内でボリシェヴィキの勢力の拡大を目指した
=これを四月テーゼという
→そこで、新しく首相となったケレンスキーと対立した
・1917年9月に、ボリシェヴィキの勢力が全国に拡大した
・1917年11月7日に、レーニンやトロツキーなどが、武装蜂起を指揮して、
政府を倒し、権力を握った
→次の日に、全ロシア=ソヴィエト会議で新政権の成立が宣言された
※この宣言の時に、以下の内容が採択された
・「平和に関する布告」・・全交戦国に無併合、無償金、民族自決の原則による
講和の呼びかけのこと
・「土地に関する布告」・・農民革命を認めた布告のこと
=これら一連の流れによるロシア国内の革命を、十月革命(十一月革命)という
ポイント
・二月革命についておさえる
・十月革命についておさえる
このあたりが今回のポイントです