ロシア革命について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/17 16:15      
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ロシア革命について考えてみます

 

 

・ロシア革命について

 

 

 ・ロシアは、第一次世界大戦が始まってから、何度も負けていた

  ※さらに、輸送危機の重なって、都市への食料や燃料の供給が難しくなった

   =しかし、供給の低下に対して、ロシアの皇帝や政府は十分な対策をしなかった

 

 

 ・一方で、国民の間では戦争の継続に反対する声が広がった

  →そのため、以下のようなことが起きた

   ・1916年の夏に、戦争へ人を送ることに抗議する中央アジアの民族が

    蜂起を起こした

   ・1917年3月8日に、首都のペトログラードで、パンと平和を求める人々のデモや

    ストライキが起きた

    ※この時に、軍隊も加わって各地に広がっていった

    ※また、労働者や兵士はソヴィエトを組織して、革命を推進した

 

 

  →結果的に、皇帝のニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が消滅して帝政が崩壊した

 

  →そして、ドゥーマ(国会)の自由主義の党派の議員は、社会革命党などの

   支持を受けていた

   ※そこで、ロシアで臨時政府を樹立した

    =これを、ロシアの二月革命(三月革命)という

 

 

   ※臨時政府は、普通選挙による議会の招集を決めた

    →しかし、戦争は継続した

 

   ※一方で、労働者やソヴィエトの兵士も存続し続けた

    =そのため、特殊なスタイルの二重構造による権力の状態が続いた

 

 

 

 

 ・農村では、土地を求める農民革命が起きていた

 

 ・また、ウクライナやフィンランドでは、民族革命が起きていた

 

 

 

 

 ・1917年4月に、ボリシェヴィキの指導者であったレーニンという人が

  スイスから帰国して革命をさらに進める方針を示し、

  ソヴィエト内でボリシェヴィキの勢力の拡大を目指した

  =これを四月テーゼという

   →そこで、新しく首相となったケレンスキーと対立した

 

 

 ・1917年9月に、ボリシェヴィキの勢力が全国に拡大した

 

 ・1917年11月7日に、レーニンやトロツキーなどが、武装蜂起を指揮して、

  政府を倒し、権力を握った

  →次の日に、全ロシア=ソヴィエト会議で新政権の成立が宣言された

   ※この宣言の時に、以下の内容が採択された

    ・「平和に関する布告」・・全交戦国に無併合、無償金、民族自決の原則による

                 講和の呼びかけのこと

    ・「土地に関する布告」・・農民革命を認めた布告のこと

 

  =これら一連の流れによるロシア国内の革命を、十月革命(十一月革命)という

 

 

ポイント

・二月革命についておさえる

・十月革命についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです 

 

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