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	<title>アラエス &#187; ローマ＝カトリック教会</title>
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	<item>
		<title>あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2465</link>
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		<pubDate>Mon, 03 Feb 2014 22:06:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[ユスティニアヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[レコンキスタ]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[聖職者]]></category>

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		<description><![CDATA[ゲルマン人の一部は、フランク人として大陸西北部に王国を形成した →フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、フランク王国を作った ＝その結果、800年にカール大帝という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった &#038; [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ゲルマン人の一部は、<strong>フランク人</strong>として大陸西北部に王国を形成した</p>
<p>→フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、<strong>フランク王国</strong>を作った</p>
<p>＝その結果、800年に<strong>カール大帝</strong>という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>カール大帝は、<strong>ローマ＝カトリック教会</strong>の守護者になった</p>
<p>→カール大帝は守護者として西ヨーロッパを、東ローマ帝国に対抗するための統一した地域としてまとめた</p>
<p>※東ローマ帝国は、後に<strong>ビザンツ帝国</strong>になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→その後、フランク王国は分裂し、別々の国として発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>時代が進むにつれ、西ヨーロッパでは社会での役割に応じた、以下のような身分制度が確立し、はっきり区別された</p>
<p>・神へ奉仕する<strong>聖職者</strong></p>
<p>・土地を支配して、武力を独占する<strong>戦士</strong></p>
<p>・土地の支配者の所有地で働く生産者（領主の荘園で労働する<strong>農奴</strong>）</p>
<p>※戦士は、国王などから土地を授かって騎馬戦士として仕える騎士（<strong>騎馬戦士</strong>）に分かれた</p>
<p>＝このような、身分階層を持った社会を、<strong>封建社会</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方で、東ローマ帝国（ビザンツ帝国）は、西ヨーロッパ帝国が滅亡した後も、皇帝の支配のもとで続いた</p>
<p>→東ローマ帝国のトップだった<strong>ユスティニアヌス帝</strong>は、6世紀の時に東ヨーロッパを大帝国へ復興させた</p>
<p>※ただし、その後はだんだんと領土が縮小した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>東ローマ帝国は、<strong>専制君主</strong>（世俗の支配権と最高の宗教的権威を持つ制度）だった</p>
<p>→東ローマ帝国は、11世紀にローマ＝カトリック教会と完全に分けた<strong>ギリシア正教会</strong>を成立させた</p>
<p>※ギリシア正教会の成立によって、東ローマ帝国はギリシア文化を継承した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※東ヨーロッパでは、ゲルマン人が西側に移動したとき、<strong>スラヴ人</strong>という人達が入ってきた</p>
<p>→スラヴ人は、ビザンツ帝国の影響を受け、ギリシア正教会を受け入れていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>11～12世紀には、ヨーロッパの<strong>封建社会</strong>が大きく発展した</p>
<p>※この時に、ローマ＝カトリック教会の勢いも強まってきていた</p>
<p>→そのため、ローマ＝カトリック教会は、以下のようなことを行った</p>
<p>・教皇や司祭などの強固な階層組織を築いて独立した</p>
<p>・教えを整え、民衆の信仰心をローマ＝カトリック教会の教えの中に取り込んだ</p>
<p>・小さな集落に教会堂という高い塔ができ、民衆に支えられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>教皇（ローマ＝カトリック教会のトップ）は、聖地イエルサレムをイスラームから奪うことを考えて、<strong>十字軍</strong>を作った</p>
<p>※十字軍は、何度も作られながらも、結果的に失敗した</p>
<p>→この失敗によって、教皇の権威が衰えた</p>
<p>→一方で、十字軍をきっかけとして東方との交流が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>10世紀までのヨーロッパ社会は、自給自足的な農業生活に頼ってきた</p>
<p>→11～12世紀には、農業生産力の上昇、人口増加、ヒトとモノとの活発な移動が起きた</p>
<p>※この移動によって、農村から離れる人達が出てきた</p>
<p>→農村から離れた人たちからは、職人などの専門職や商人などが多く出てきた</p>
<p>＝職人や商人などは、農村とは違う別の生活や仕組みが見られるようになり、<strong>都市</strong>が誕生した</p>
<p>※都市は周囲を巻き込んでどんどん発展し、のちのルネサンス文化の誕生に貢献した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ヨーロッパの中でもイギリスは、国王の力が強かった</p>
<p>→そのため、13世紀に国王の暴走を抑えようと考えた貴族の動きが強まった</p>
<p>＝その結果、<strong>マグナ＝カルタ</strong>が発布された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→さらに、14～15世紀になると、凶作、飢餓、<strong>ペスト</strong>の流行などによる人口の激減、民衆の反乱や百年戦争などの危機的な出来事が起きた</p>
<p>＝この結果、以下の2つの動きが見られた</p>
<p>・弱小の領主が没落した</p>
<p>・国王や大諸侯は軍事力を使って危機を克服し、領地を拡大して富と権威を増やした</p>
<p>→そして、富と権威を増やした国王や大諸侯は、<strong>中央集権的な国家</strong>を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※同時に、イベリア半島で<strong>レコンキスタ</strong>を達成した王権の力が強まった</p>
<p>→その勢いは、海外進出にも向けられた</p>
<p>※レコンキスタ・・イベリア半島からイスラーム王朝を追い出して、国土を再征服しようとした運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>封建社会の時の教会について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/836</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/836#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:51:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[インノケンティウス3世]]></category>
		<category><![CDATA[カノッサの屈辱]]></category>
		<category><![CDATA[クリュニー修道院]]></category>
		<category><![CDATA[グレゴリウス7世]]></category>
		<category><![CDATA[ハインリヒ4世]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[教会]]></category>
		<category><![CDATA[教会法]]></category>
		<category><![CDATA[聖職叙任権]]></category>

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		<description><![CDATA[封建社会の時の教会について考えてみます &#160; &#160; ・封建社会の時の教会について &#160; &#160; 　・当時のローマ＝カトリック教会は、西ヨーロッパ全体に普遍的に権威を及ぼしていった &#038;nbsp [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/836">封建社会の時の教会について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>封建社会の時の教会について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・封建社会の時の教会について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時のローマ＝カトリック教会は、西ヨーロッパ全体に普遍的に権威を及ぼしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ローマ＝カトリック教会には、教皇を頂点として、大司教、司教、司祭、修道院長など、</p>
<p>　　聖職者の序列を定めたピラミッド型の階層制組織が作られていた</p>
<p>　　※大司教や修道院長国王や貴族から荘園を渡されて大領主になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・教会は、農民から十分の一税を取り立て、教会法にもとづく独自の裁判権を持っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・位の高い聖職者が諸侯と並ぶ支配階級になると、皇帝や国王などの世俗権力が、</p>
<p>　　何度か本来聖職者ではない人物（俗人）を聖職者の地位に任命し、</p>
<p>　　教会に介入するようになっていった</p>
<p>　　</p>
<p>　　※以上のような、世俗権力の影響を受けた教会では、聖職売買など様々な弊害が生じていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、１０世紀以降に、フランス中東部のクリュニー修道院というところを中心に、</p>
<p>　　改革の運動が起こった</p>
<p>　　→教皇のグレゴリウス７世という人は、この改革を推し進めるために、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・聖職売買や聖職者の妻帯を禁止した</p>
<p>　　　・聖職叙任権（聖職者を任命する権利）を世俗権力から教会の手に取り戻して、</p>
<p>　　　　教皇権を強化しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような動きに対して、皇帝のハインリヒ４世という人は反発した</p>
<p>　　　＝そのため、教皇のグレゴリウス７世と皇帝のハインリヒ４世との間で、</p>
<p>　　　　叙任権闘争というのが始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※叙任権闘争について</p>
<p>　　　・皇帝（ハインリヒ4世）は、教皇（グレゴリウス7世）の改革を無視しようとした</p>
<p>　　　　→そのため、教皇は皇帝を破門（信者を教会から追放すること）にした</p>
<p>　　　・その裏で、ドイツの諸侯は破門の解除が無ければ皇帝を廃位にすると決議された</p>
<p>　　　　→そのため、１０７７年に皇帝はイタリアのカノッサというところで教皇に謝罪して、</p>
<p>　　　　　許してもらった</p>
<p>　　　　　＝この出来事を、カノッサの屈辱という</p>
<p>　　　　→その後、１１２２年のヴォルムス協約というので、教皇と皇帝の間での妥協が成立した</p>
<p>　　　　　＝結果的に、皇帝はドイツ以外での聖職叙任権を事実上、放棄した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のような流れを受けて、教会の指導権が確立していった</p>
<p>　　　※教皇権が絶頂になったのは、１３世紀のインノケンティウス３世の時だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・教会の仕組みと対立についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/836">封建社会の時の教会について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>カール大帝と当時のヨーロッパの様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/832</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/832#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:14:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[カール大帝]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[ザクセン人]]></category>
		<category><![CDATA[シャルルマーニュ]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ皇帝]]></category>
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		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[西ローマ帝国]]></category>

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		<description><![CDATA[カール大帝とフランク帝国の分裂について考えてみます &#160; &#160; ・カール大帝について &#160; &#160; 　※ローマ教会とフランク王国との関係は、ピピンの子どものカール大帝（シャルルマーニュ）の  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/832">カール大帝と当時のヨーロッパの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>カール大帝とフランク帝国の分裂について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・カール大帝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※ローマ教会とフランク王国との関係は、ピピンの子どものカール大帝（シャルルマーニュ）の</p>
<p>　　時代にもっとも深まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カール大帝は、ランゴバルド王国を征服して北東のザクセン人を服従させた</p>
<p>　　→その結果、大陸における多くのゲルマン部族が統合され、</p>
<p>　　　ローマ＝カトリックに改宗させられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カール大帝は、東ではモンゴルのアヴァール人を、南ではイスラーム教徒を撃退した</p>
<p>　　→そして、西ヨーロッパの主要な部分はフランク王国によって統一された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カールは、広大な領土をまとめて支配するために、以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・全国を州に分けた</p>
<p>　　　・地方の有力な豪族を各州の長官である伯に任命した</p>
<p>　　　・巡察使を派遣して伯を監督させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のような流れを受けて、フランク王国はビザンツ帝国に並ぶ強大な国になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、ローマ教会はビザンツ皇帝に匹敵する政治的保護者がカールだと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８００年のクリスマスの日に、教皇のレオ３世はカールにローマ教皇の帝冠を与えて、</p>
<p>　　「西ローマ帝国」の復活を宣言した</p>
<p>　　→カールの戴冠は、西ヨーロッパ世界が政治的、文化的、宗教的に独立したという</p>
<p>　　　重要な歴史的意義がある</p>
<p>　　　＝そして、ローマ以来の古典古代文化、キリスト教、ゲルマン人が融合した</p>
<p>　　　　西ヨーロッパ中世世界が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、ローマ教会はビザンツ皇帝への従属から独立した</p>
<p>　　→そして１１世紀にキリスト教世界は、以下の２つに完全に分裂してしまった</p>
<p>　　　・教皇を首長とするローマ＝カトリック教会</p>
<p>　　　・ビザンツ皇帝を首長とするギリシア正教会</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のように、ローマ帝国以来存続してきた地中海世界は、</p>
<p>　　　西ヨーロッパ世界、東ヨーロッパ世界、イスラーム世界の３つに分かれ、</p>
<p>　　　以後それぞれ独自の歴史を歩むようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・カール大帝を中心としたヨーロッパの動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/832">カール大帝と当時のヨーロッパの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>ローマ＝カトリック教会の流れについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/831</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/831#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:10:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[カール＝マルテル]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティノープル教会]]></category>
		<category><![CDATA[ピピン]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[ランゴバルド王国]]></category>
		<category><![CDATA[レオ3世]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ教会]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[五本山]]></category>
		<category><![CDATA[聖像禁止令]]></category>

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		<description><![CDATA[ローマ＝カトリック教会の流れについて考えてみます &#160; &#160; ・ローマ＝カトリック教会の流れについて &#160; &#160; 　※フランク王国と協同して西ヨーロッパ世界の形成に貢献したのが、 　　ロー [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/831">ローマ＝カトリック教会の流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ローマ＝カトリック教会の流れについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ローマ＝カトリック教会の流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※フランク王国と協同して西ヨーロッパ世界の形成に貢献したのが、</p>
<p>　　ローマ＝カトリック教会だった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ローマ帝政の末期には、五本山と呼ばれるキリスト教会が重要だった</p>
<p>　　→中でも有力だったのはローマ教会とコンスタンティノープル教会だった</p>
<p>　　　※五本山・・ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、イェルサレム、</p>
<p>　　　　　　　　　アレクサンドリアの５教会を指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ローマ帝国が滅亡すると、ローマ教会はしだいにビザンツ皇帝が支配していた</p>
<p>　　コンスタンティノープル教会から分離する傾向を見せ始めて、</p>
<p>　　独自の活動を展開するようになっていった</p>
<p>　　→そして、６世紀末の教皇であるグレゴリウス１世以来、ローマ教会は</p>
<p>　　　ゲルマン人への布教を熱心に行った</p>
<p>　　　※さらに、６世紀から広がった修道院運動は、民衆の教化に貢献していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような流れを受けて、ローマ教会は西ヨーロッパに勢力を拡大していった</p>
<p>　　　※特に、使徒殉教の地だったローマの司教は、教皇（法王）として</p>
<p>　　　　権威を高めるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そして、東西の教会の断絶を深めたのは、聖像をめぐる対立だった</p>
<p>　　※キリスト教徒は以前からキリスト、聖母、聖人の聖像を礼拝していた</p>
<p>　　　→この動きが、偶像崇拝を禁止するキリスト教の初期の教理に反すると考えられた</p>
<p>　　　→さらに、偶像を厳しく否定するイスラーム教と対抗する必要に迫られた</p>
<p>　　　　＝そのため、７２６年にビザンツ皇帝のレオン（レオ）３世が</p>
<p>　　　　　聖像禁止令というルールを出した</p>
<p>　　　　　※聖像禁止令・・聖像崇拝は、９世紀のなかばに復活した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ゲルマン人への布教に聖像を必要としていたローマ教会は聖像禁止令に反発した</p>
<p>　　→そのため、東西の両方の教会が対立と分裂を一層強めていくことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような動き以降、ローマ教会はビザンツ皇帝に対抗できる</p>
<p>　　　強力な政治勢力を保護者として求める必要が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、このころにカール＝マルテルがイスラーム軍を倒して西方キリスト教世界を守った</p>
<p>　　→そこで、ローマ教皇はフランク王国に近づくことを狙った</p>
<p>　　　＝その結果、カール＝マルテルの子どものピピンがフランク王位を継承することを認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのお返しに、ピピンはイタリアのランゴバルド王国を攻め、</p>
<p>　　　奪ったラヴェン地方を教皇に渡した</p>
<p>　　　＝これが教皇領の始まりとなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※利害が一致したローマ教会とフランク王国は、さらに結びつきを強めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ローマ＝カトリック教会の動きと、対立についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/831">ローマ＝カトリック教会の流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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