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	<title>アラエス &#187; 吉田茂</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>戦後の政党政治の復活について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1327</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1327#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 14:23:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[公職追放指令]]></category>
		<category><![CDATA[吉田茂]]></category>
		<category><![CDATA[日本共産党]]></category>
		<category><![CDATA[日本協同党]]></category>
		<category><![CDATA[日本社会党]]></category>
		<category><![CDATA[日本自由党]]></category>
		<category><![CDATA[日本進歩党]]></category>
		<category><![CDATA[衆議院議員選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[進歩党]]></category>
		<category><![CDATA[ＧＨＱ]]></category>

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		<description><![CDATA[政党政治の復活について考えてみます &#160; 　 ・政党政治の復活について &#160; 　 　※民主化の政策が行われている裏で、様々な政党が復活するようになってきた &#160; &#160; 　・１９４５年１０月 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1327">戦後の政党政治の復活について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>政党政治の復活について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>・政党政治の復活について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　※民主化の政策が行われている裏で、様々な政党が復活するようになってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１０月に、ＧＨＱの指令によって牢屋を出た徳田球一という人などを中心に、</p>
<p>　　日本共産党という政党が合法の政党ということで行動を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１１月に、以下のような政党が出てきた</p>
<p>　　→・昔の無産政党を組み合わせてできた、日本社会党</p>
<p>　　　・昔の立憲政友会の系統で、翼賛選挙の時に推薦されなかった議員を</p>
<p>　　　　中心にして作られた、日本自由党</p>
<p>　　　・昔の立憲民政党の系統で、翼賛体制の時期に大日本政治会に所属していた議員を</p>
<p>　　　　中心に作られた、日本進歩党</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１２月に、以下のような政党ができた</p>
<p>　　→労使協調（労働者と資本家がお互いに協力し合うこと）を</p>
<p>　　　方針として作られた、日本協同党</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→上のような状況の中で、ＧＨＱは総選挙の時に、戦争に協力した人が</p>
<p>　　立候補することを嫌がった</p>
<p>　　＝そのため、１９４６年１月に公職追放指令というものを出し、</p>
<p>　　　翼賛選挙の時に推薦された議員を全員失格にした</p>
<p>　　　※公職追放指令によって、政治界は大混乱になってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１２月に、衆議院議員選挙法という法律を大きく改正した</p>
<p>　　＝その結果、女性参政権が認められるようになり、満２０歳以上の成人男女に</p>
<p>　　　選挙権が与えられるようになった</p>
<p>　　　→そのため、有権者数（選挙権を持っている人の数）は、</p>
<p>　　　　今までの３倍近くにまで拡大した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４６年４月に戦後初の総選挙が行われ、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・３９人の女性議員が誕生した</p>
<p>　　　・日本自由党が第一党になった</p>
<p>　　</p>
<p>　・１９４６年５月に、戦前から親英米派の外交官だった吉田茂という人が、</p>
<p>　　進歩党の協力をもらいつつ、第1次吉田茂内閣を誕生させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・戦後の政党政治に復活の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1327">戦後の政党政治の復活について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1325</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1325#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 12:42:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[サンフランシスコ平和条約]]></category>
		<category><![CDATA[サンフランシスコ講和会議]]></category>
		<category><![CDATA[ダレス]]></category>
		<category><![CDATA[全面講和]]></category>
		<category><![CDATA[冷戦]]></category>
		<category><![CDATA[吉田茂]]></category>
		<category><![CDATA[日米安全保障条約]]></category>
		<category><![CDATA[日米行政協定]]></category>
		<category><![CDATA[日華平和条約]]></category>
		<category><![CDATA[賠償協定]]></category>

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		<description><![CDATA[サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について考えてみます &#160; &#160; ・サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について &#160; &#160; 　・アメリカは、朝鮮戦争の時に、思った以上に日 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1325">サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカは、朝鮮戦争の時に、思った以上に日本に価値があることを改めて感じた</p>
<p>　　→そのため、アメリカは日本の占領を終わらせて、日本を冷戦の西側に取り入れる</p>
<p>　　　動きを早めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカのダレスという外交顧問などは、日本との講和からソ連などを除外し（単独講和）、</p>
<p>　　講和後もアメリカ軍が日本に留まることを条件に、日本の占領を終わらせる準備を進めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※日本で南原繁や大内兵衛という人や日本社会党、日本共産党などは、ソ連や中国とも</p>
<p>　　　講和をするべき（全面講和）という考え方を持っていた人達もいた</p>
<p>　　　→特に、日本社会党については党の内部で対立が激しくなり、</p>
<p>　　　　１９５１年に左派と右派に分かれている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→当時の内閣だった第３次吉田茂内閣は、様々なことを考えたが、</p>
<p>　　　以下のような結論を出した</p>
<p>　　　・日本の独立や講和の時期に関する問題は、アメリカ軍の基地にあると考えた</p>
<p>　　　・アメリカ軍に日本に留まってもらえると、日本が軍備をわざわざ用意する必要が無い</p>
<p>　　　・軍事を用意する分の時間や資金を、日本経済の復活に充てて、</p>
<p>　　　　全力で経済を復興させたいと考えた</p>
<p>　　　　＝このような考え方から、ソ連や中国などとの講和をやめて、</p>
<p>　　　　　アメリカを中心とした西側の国々とだけ講和をすることにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→第３次吉田茂内閣の考えによって、西側とだけ講和を行った結果、</p>
<p>　　　以下のようなことになった</p>
<p>　　　・西側との講和によって、日本の占領が終わることが考えられるようになった</p>
<p>　　　・日本がアメリカ軍に基地を提供することになった</p>
<p>　　　・基地の提供の代わりに、独立した後の日本の安全保障を</p>
<p>　　　　アメリカに任せることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５１年９月に、サンフランシスコ講和会議という会議が開かれた　　　</p>
<p>　　→この会議で、日本とその他４８カ国との間で、サンフランシスコ平和条約</p>
<p>　　　という条約を結んだ</p>
<p>　　　＝１９５２年４月に条約がスタートして、アメリカの日本占領は終了し、</p>
<p>　　　　日本は独立国になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※サンフランシスコ平和条約について</p>
<p>　　　・ソ連などは、サンフランシスコ講和会議には出席したが、調印はしなかった</p>
<p>　　　・インドやビルマ（現在のミャンマー）などは、サンフランシスコ平和条約の内容に</p>
<p>　　　　不満があったため、会議に出席しなかった</p>
<p>　　　・中華人民共和国と中華民国は、両方とも会議に呼ばれなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※日本は、サンフランシスコ平和条約とは別に、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　　　・１９５２年に中華民国と日華平和条約という条約を結んだ</p>
<p>　　　　　・１９５２年にインドと、１９５４年にビルマとも平和条約を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※サンフランシスコ平和条約の内容について</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・領土について様々なルールが決められた</p>
<p>　　　　→・朝鮮を独立させた</p>
<p>　　　　　・台湾、南樺太、千島列島などを放棄させた</p>
<p>　　　　　・奄美諸島が１９５３年に日本に返された　</p>
<p>　　　　　・沖縄と小笠原諸島はアメリカが支配することになった</p>
<p>　　　　　　※アメリカは、国連に相談しないで沖縄と小笠原諸島を支配した</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　・日本の戦争に対する賠償について決められた</p>
<p>　　　　→・日本が戦った国の戦争被害については、サービスや生産物の提供という形で</p>
<p>　　　　　　賠償を払う義務を定めた</p>
<p>　　　　　　※ただし、冷戦が激しくなったこともあり、アメリカを始めとして</p>
<p>　　　　　　　多くの国は日本の賠償を拒否した</p>
<p>　　　　　・日本に占領されたフィリピン、インドネシア、ビルマ、南ベトナムの４カ国は、</p>
<p>　　　　　　日本と賠償協定という協定を結んだ</p>
<p>　　　　　　→そのため日本は、１９７６年までにトータルで１０億ドルの賠償を支払った</p>
<p>　　　　　　　※ただし支払い方法は、現金ではなく、サービスや生産物の提供だった</p>
<p>　　　　　　　　＝この支払い方法が、日本の商品や企業が東南アジアに進出するきっかけ</p>
<p>　　　　　　　　　でもあったと言われている</p>
<p>　　　　　・直接は戦っていないタイや韓国に対しては、賠償と同じような支払いを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・サンフランシスコ平和条約の調印と同じ日に、日米安全保障条約（安保条約）</p>
<p>　　という条約が調印された</p>
<p>　　→この条約によって、日本が独立した後も日本国内にアメリカ軍が</p>
<p>　　　「極東の平和と安全」のために、留まることで、日本の防衛に貢献することが決められた</p>
<p>　　　※さらに、条約の中では、アメリカが必要だと考えれば、日本のどの地域でも</p>
<p>　　　　基地として求めることが出来た</p>
<p>　　　※日本に留まるアメリカ軍の行動範囲である「極東」は、定義があいまいだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→日米安全保障条約にもとづいて、１９５２年２月に日米行政協定という協定が結ばれた</p>
<p>　　　＝この協定によって、日本は日本に留まっているアメリカ軍に基地を提供することと、</p>
<p>　　　　アメリカ軍が留まるための費用をある程度負担することが決められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・サンフランシスコ平和条約の内容と概要について押さえる</p>
<p>・日米安全保障条約の内容について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1325">サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>アメリカの占領政策の変化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1323</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1323#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 11:16:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[シャウプ勧告]]></category>
		<category><![CDATA[ドッジ＝ライン]]></category>
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		<description><![CDATA[アメリカの占領政策の変化について考えてみます &#160; &#160; ・アメリカの占領政策の変化について &#160; &#160; 　※中国の内戦で共産党が勝つことが分かった１９４８年から、アメリカは 　　日本への [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1323">アメリカの占領政策の変化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>アメリカの占領政策の変化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・アメリカの占領政策の変化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※中国の内戦で共産党が勝つことが分かった１９４８年から、アメリカは</p>
<p>　　日本への占領政策を変えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカは占領政策を変えて、日本を政治的に安定した工業国にとして</p>
<p>　　復興させることで、冷戦の西側陣営において東アジアでの主な友好国にする</p>
<p>　　という政策を取ることにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※政策の変化は、１９４８年１月にロイヤルという陸軍の長官が演説で</p>
<p>　　　方針を変えることを発表したことではっきり分かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→そのため、ＧＨＱは最初の目標だった非軍事化・民主化は達成されたとして、</p>
<p>　　　　日本の工業の生産能力を抑える方針を変えることで、</p>
<p>　　　　経済の復活を日本に求めるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカは、日本の経済復興を本格的に行うための前段階として、</p>
<p>　　以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・日本の外国に対する戦後の賠償が減らされた</p>
<p>　　　・過度経済力集中排除法による大企業の分割が大幅に緩和された</p>
<p>　　　・国家公務員法を改正して、官公庁の労働者は争議権を持つことが出来なくなった</p>
<p>　　　・公職追放が解除された</p>
<p>　　　・民間企業の育成に力が入れられた</p>
<p>　　　・日本の行政の権利をＧＨＱから大幅に日本政府に渡す　など</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカの占領政策が変わる時に、１９４８年１０月に芦田均の中道連立政権が終了した</p>
<p>　　→すると、民主自由党によって第２次吉田茂内閣が誕生した</p>
<p>　　　※民主自由党・・日本自由党が、民主党を抜けてきた人を吸収して出来た政党のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　→民主自由党は１９５０年に自由党になった</p>
<p>　　</p>
<p>　　→１９４９年１月の総選挙では、民主自由党が圧倒的な議席で勝利した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ＧＨＱは、日本の経済を復興させるために、以下のような本格的な行動を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→※日本は、アメリカの経済政策の前に、傾斜生産方式を行っていた</p>
<p>　　　　→傾斜生産方式は、生産を活発にするための起爆剤にはなったが、</p>
<p>　　　　　赤字財政で大量の資金をつぎ込んでいた</p>
<p>　　　　　＝そのため、傾斜生産方式にお金をつぎ込むことによるインフレが起きていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・そこで、ＧＨＱは１９４８年１２月に第２次吉田茂内閣に対して、</p>
<p>　　　　日本の経済の安定のために、徴税の強化、インフレの抑制などが含まれた、</p>
<p>　　　　経済安定９原則という原則を出した</p>
<p>　　　　※経済安定９原則は、インフレを抑えて輸出を中心に日本を成長させることを</p>
<p>　　　　　考えて出した</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・また、経済安定９原則を実施させるために、１９４９年に占領軍の経済担当である</p>
<p>　　　　ドッジという人を日本に送って、ドッジ・ラインというものを指示させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※ドッジ・ライン・・復興金融金庫債の中止、補助金の削減、課税の強化などを行って</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　インフレの抑制をする、１ドル＝３６０円の単一為替レートを</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　設定して貿易をより行うようにする、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　全く赤字を出さない予算を作って、財政支出を減らす、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　などを目指すような政策のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　　→第３次吉田茂内閣は、ドッジ＝ラインを忠実に行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９４９年に、シャウプ勧告が行われた</p>
<p>　　　　※シャウプ勧告・・シャウプという人が団長だったアメリカの税制調査団</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　というところが出した勧告のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　→シャウプ勧告によって、税制の大改革が行われたため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　直接税を中心に取ることや累進所得税制度などが採用された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドッジ＝ラインによって、インフレは収まったものの、収まりすぎて</p>
<p>　　逆にデフレになってしまった</p>
<p>　　→そのため、中小企業の倒産やリストラなどによる失業者の増加などが起きてしまった</p>
<p>　　　※強引なリストラは、共産党を始めとして労働側が抵抗した</p>
<p>　　　　＝しかし、１９４９年に起きた下山事件、三鷹事件、松川事件の影響もあって</p>
<p>　　　　　労働側は使用側に押し切られた　</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※・下山事件・・リストラを行っていた下山定則という当時の国鉄のトップが</p>
<p>　　　　　　　　　　　疑いのある死に方をした事件のこと　　　　　　　　　　　　　</p>
<p>　　　　・三鷹事件・・中央線三鷹駅の構内で無人電車が暴走するという事故が起きた</p>
<p>　　　　　　　　　　　事件のこと</p>
<p>　　　　・松川事件・・東北本線松川駅の近くで列車の脱線と転覆が起きた事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→これら一連の事件は、国鉄の労働組合や共産党が関係して起きた事件だと</p>
<p>　　　　　世間では発表されたため、労働側にとってはダメージだったが、</p>
<p>　　　　　事件が実際どうだったのかはまだ分かっていない</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・アメリカが変えた占領政策の内容とその理由、動機を中心に押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1323">アメリカの占領政策の変化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1321</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1321#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 11:02:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[二・一スト]]></category>
		<category><![CDATA[傾斜生産方式]]></category>
		<category><![CDATA[吉田茂]]></category>
		<category><![CDATA[平和主義]]></category>
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		<category><![CDATA[片山哲]]></category>
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		<description><![CDATA[戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について考えてみます &#160; &#160; ・戦後経済による人々の生活について &#160; &#160; 　※戦争によって、人々の生活がボロボロになった、という前提がある [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1321">戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・戦後経済による人々の生活について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※戦争によって、人々の生活がボロボロになった、という前提がある</p>
<p>　　→実際に、空襲によって様々なモノを失った人達は、防空壕や焼け跡に建てた</p>
<p>　　　バラック小屋で雨風をしのいだり、鉱工業の生産額が戦前の３分の１にまで</p>
<p>　　　下がっていたりした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・兵隊の復員（兵隊の生活を普通に戻して兵隊の招集をやめること）や</p>
<p>　　引揚げなどによって、人口が一気に増えた</p>
<p>　　→そのため、人口が増えたのにもかかわらず仕事は無く、失業者が急激に増えた</p>
<p>　　　※さらに、平和主義をかかげていたことがあり、軍事に関する工場が閉鎖されため、</p>
<p>　　　　さらに失業者が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年に、お米が記録的な凶作になったため、食糧不足がかなり深刻なものに</p>
<p>　　なっていった</p>
<p>　　※お米の収穫量は、戦前と比べると約３割も落ちた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・お米の配給が足りなくなって、さつまいもやとうもろこしなどの代用食に</p>
<p>　　かえられたり、配給の遅配や欠配が続いた</p>
<p>　　→そのため、都市の人々は農村に買い出しに行ったり、闇市で買ったり、</p>
<p>　　　自宅で自給したりして飢えと戦っていた</p>
<p>　　　※闇市・・闇取引（裏でひっそりと売買すること）の商品を扱う店が</p>
<p>　　　　　　　　集まっている場所のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・極度の物不足だけでなく、敗戦の時に支払うための軍事費や日本銀行が民間へ貸し出す</p>
<p>　　お金の増加などのような終戦に関する処理を行うために、通貨が大量に発行された</p>
<p>　　→そのため、ものすごいインフレーションが起きた</p>
<p>　　　※物不足にインフレーションというかなり苦しい状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、幣原喜重郎内閣は、１９４６年に金融緊急措置令という法律を作って、</p>
<p>　　　貨幣の量を減らそうとしたが効果が一時的だった</p>
<p>　　　※金融緊急措置令・・預金の出し入れをできないようにしつつ、旧円（昔のお金）の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　使用を禁止して新円（旧円に変わる新しいお金）を使わせるように</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　した法律のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　→ただし、新円も引き出す量を制限したため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　世の中に出回る貨幣の量が制限された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況を見て、第１次吉田茂内閣は、経済安定本部という組織を作って</p>
<p>　　対応することを考えた</p>
<p>　　→そこで吉田茂内閣は、傾斜生産方式を採用して、復興金融金庫（復金）を作った</p>
<p>　　　※傾斜生産方式・・生産の土台を立て直すために、資金や労働力を鉄鋼や石炭などの</p>
<p>　　　　　　　　　　　　基幹産業（その国の生命の源のような、特に重要な土台の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　産業のこと）に投入する方式のこと</p>
<p>　　　※復興金融金庫・・第２次世界大戦後の日本経済を復興させるために作られた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　金融機関のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大衆運動の活発化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※戦後の日本経済が不安定で、国民の生活自体が苦しかったため、</p>
<p>　　大衆運動が活発になるようになった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・敗戦直後に、労働者たちが自主的に生産や業務などを組織する生産管理闘争</p>
<p>　　というのが活発になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・全官公庁共同闘争委員会に集まった官公庁の労働者を中心に、吉田茂内閣を倒すことが</p>
<p>　　目標とされた</p>
<p>　　→そこで、１９４７年２月１日に、基幹産業を含めたゼネラル・ストライキに入ることが</p>
<p>　　　計画された</p>
<p>　　　＝この時の、２月１日に企画されていたゼネラル・ストライキを二・一ストという</p>
<p>　　　　※二・一ストは、決行する前日にＧＨＱの指令によって中止になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４７年４月に、日本国憲法での新しい政府を作るため、</p>
<p>　　衆議院と参議院の両方の議員の選挙が行われた</p>
<p>　　→その結果、大衆運動が活発になったこともあり、日本社会党がギリギリで勝利して</p>
<p>　　　衆議院の第一党になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本国憲法になって最初の内閣として、日本社会党の委員長だった片山哲という人が</p>
<p>　　選ばれた</p>
<p>　　→さらに、片山哲は民主党と国民協力党を誘った</p>
<p>　　＝そのため、片山哲による民主党と国民協同党の連立政権が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ＧＨＱは、日本が保守でも改革でもない「中道」を進んでいることが</p>
<p>　　　新しい内閣によって証明されたので片山哲内閣を評価していた</p>
<p>　　　※しかし、片山哲内閣は、連立政権が原因で政策を簡単に決めることが出来なかった</p>
<p>　　　　＝その後、炭鉱国家管理問題という問題が出てきて、左派の人達から攻撃されたため、</p>
<p>　　　　　１９４８年２月に内閣を総辞職した</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・片山哲内閣の後に、民主党のトップだった芦田均という人が、片山哲内閣と同じように</p>
<p>　　３つの政党での連立政権で芦田均内閣を作った</p>
<p>　　※しかし、昭和電工事件という政界からＧＨＱまで巻き込んだワイロの事件が起きた</p>
<p>　　　＝そのため、結果的に芦田均内閣が終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・戦後経済による人々の生活について押さえる</p>
<p>・大衆運動の活発化について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1321">戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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