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	<title>アラエス &#187; 国司</title>
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	<item>
		<title>院政について①　―院政のスタート―</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1135</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1135#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 17:03:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[六勝寺]]></category>
		<category><![CDATA[北面の武士]]></category>
		<category><![CDATA[国司]]></category>
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		<description><![CDATA[院政について考えてみます &#160; &#160; ・院政が始まるまでの流れについて &#160; 　・後三条天皇の後に、白河天皇という人が政治を行うようになった &#160; 　・１０６８年に、白河天皇はまだ小さかっ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1135">院政について①　―院政のスタート―</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>院政について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・院政が始まるまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・後三条天皇の後に、白河天皇という人が政治を行うようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１０６８年に、白河天皇はまだ小さかった堀河天皇という人に位を譲った</p>
<p>　　→そこで、白河天皇は自分を上皇（院）にして、院庁という役職を作った</p>
<p>　　→白河上皇は、天皇を補佐しながら、政治の実権を握るという、政治のスタイルを作った</p>
<p>　　　＝このような政治のことを、院政と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※・院は、元々は上皇の家のことだったが、後に上皇のことを院というようになった</p>
<p>　　　　・天皇の后妃や娘が上皇と同じような待遇を与えられた場合を、女院と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・白河上皇は、荘園整理を行うことに賛成の立場を取る国司（受領）を、</p>
<p>　　白河上皇を支持する勢力として取りこみつつ、院の権力を強化していったので、</p>
<p>　　堀河天皇の死後に、本格的な院政を始めた</p>
<p>　　※院の権力の強化のために、白河上皇が行ったこと</p>
<p>　　　・北面の武士（院司という院庁の職員の一つで、院の北面で警護する</p>
<p>　　　　武士のこと）を設置した</p>
<p>　　　・平氏や源氏の武士を側近にした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・院政は、法律や慣例などにこだわらないで、上皇が政治の実権を専門的に使うようになった</p>
<p>　　※そのため、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、というように、１００年近く院政が続いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※摂関家は、勢力が衰退していたので、院に近づくことで、勢力を取り戻そうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・院政では、院庁下文や院宣が国の政治において権力を持つようになった</p>
<p>　　※・院庁下文・・院庁から出される文書のこと</p>
<p>　　　・院宣・・上皇の命令を伝える文書のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・３人の上皇は、仏教を推していたので、出家して法皇になった</p>
<p>　　→そこで、六勝寺や仏像などを作って、法会という催しを行うようになり、</p>
<p>　　　何回か熊野詣や高野詣などを行った</p>
<p>　　　※六勝寺・・院政の時期に天皇家によって作られた「勝」のつく６つの寺のこと</p>
<p>　　　　　　　　　例：堀河天皇の尊勝寺、白河天皇の法勝寺　など</p>
<p>　　　　熊野詣、高野詣・・熊野や高野に参詣すること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・京都の郊外である白河や鳥羽に、離宮（皇室の別宮）を作った</p>
<p>　　※離宮の費用を稼ぐために、成功などを始めとした売位、売官などが盛んになった</p>
<p>　　　＝そのため、政治が乱れることになってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・院政が始まるまでの流れについて押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1135">院政について①　―院政のスタート―</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>荘園と国司について①　－国司の地方の支配－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1130</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1130#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:18:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[受領]]></category>
		<category><![CDATA[国司]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[官物]]></category>
		<category><![CDATA[延喜の荘園整理令]]></category>
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		<description><![CDATA[荘園について考えてみます &#160; &#160; ・国司の地方の支配について &#160; 　※１０世紀の初めは、律令体制が崩れてきていた時代だと言われている 　　→そこで政府は、以下のようなことを行って、律令を立て [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1130">荘園と国司について①　－国司の地方の支配－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>荘園について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国司の地方の支配について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１０世紀の初めは、律令体制が崩れてきていた時代だと言われている</p>
<p>　　→そこで政府は、以下のようなことを行って、律令を立て直すことを目指した</p>
<p>　　　・９０２年に延喜の荘園整理令という法律を作り、違法な土地の所有を禁止した</p>
<p>　　　・班田の推奨をすることを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※しかし、戸籍や計帳、班田収受の機能がダメになってしまっていたので、</p>
<p>　　　租・調・庸で国家の財政を維持することが出来なくなってしまった</p>
<p>　　　→その状況が分かるものとして、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　・阿波国の戸籍は、男が圧倒的に少ない状態で登録されていた</p>
<p>　　　　　＝調や庸を負担する男性の数を減らそうとする狙いがあったと考えられる</p>
<p>　　　　・三善清行という人が醍醐天皇に提出した「意見封事十二箇条」に、</p>
<p>　　　　　当時の混乱した様子が書かれている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→このような状況があったので、中央政府が以下のような行動を取った</p>
<p>　　　　・国司に、一定の額の税を納めることを義務とさせた</p>
<p>　　　　・その代わり、国司に自分の担当する国の統治を任せる、という方針を取ることにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→以上のような流れから、国司や国衙の役割が大きくなった</p>
<p>　　　　※しかし、実務の仕事を国司が担当する分、郡家や郡衙の役割が小さくなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国司について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その国の国司の中でもトップに立つ人は、受領と呼ばれるようになり、</p>
<p>　　政府に税を納めるための代行人のようになった</p>
<p>　　※受領の中には、自分の立場を使って、大量の利益を得ようとする人が多かったので、</p>
<p>　　　郡司や有力農民などに訴えられることが時々あった</p>
<p>　　　→受領の当時の様子について描かれたもので代表的なものに、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　・藤原元命という人が「尾張国郡司百姓等解」によって訴えられた、ということがある</p>
<p>　　　　・藤原陳忠という人が述べたことについて書いてある「今昔物語集」が有名</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この時代には、受領の国司が成功や重任を行うようになった</p>
<p>　　※・成功・・国司が自分のお金で朝廷の儀式や寺を作ることなどを行う代わりに、</p>
<p>　　　　　　　　中央の官職に任命してもらうこと</p>
<p>　　　・重任・・国司が自分のお金で朝廷の儀式や寺を作ることなどを行う代わりに、</p>
<p>　　　　　　　　収入の多い官職に再任してもらうこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※受領以外の国司は、実務から排除されるようになり、遙任が盛んになった</p>
<p>　　　・遙任・・赴任しないで、国司としての収入だけを受け取ること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・受領は、田堵と呼ばれる有力農民に、一定の期間田地の耕作を任せ、</p>
<p>　　官物と臨時雑役を課すようになった</p>
<p>　　→田堵の中には、国司と手を組んで大規模な経営を行った田堵が出てくるようになった</p>
<p>　　　＝このような田堵を、大名田堵と言う</p>
<p>　　　　※・官物・・租、調、庸の系統の税のこと</p>
<p>　　　　　・臨時雑役・・雑徭の系統の税のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　・課税の対象になる田地は、名という単位に分けられ、それぞれの名に負名という</p>
<p>　　請負人がつけられることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のような流れによって、戸籍上の成人男性に課税する（調、庸など）スタイルから</p>
<p>　　土地を使って受領が負名から徴税するスタイルに変わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※さらに、１１世紀後半には、受領は交代のとき以外は自分の担当する国に行かなくなった</p>
<p>　　→その代わり、目代という国司の代理人を派遣して、在庁官人を使うことで</p>
<p>　　　政治を行うようになった</p>
<p>　　　・在庁官人・・現地で採用した下級の役人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント<br />・国司がどのように地方を支配したかを押さえる<br />・国司と荘園についてを押さえる<br /><br />このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1130">荘園と国司について①　－国司の地方の支配－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>奈良時代の農民について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1120</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1120#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 15:06:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[足利]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[奈良時代]]></category>
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		<category><![CDATA[勧農政策]]></category>
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		<description><![CDATA[奈良時代の農民について考えてみます &#160; &#160; ・当時の農民について &#160; 　・農民は、班給された口分田だけでなく、乗田（口分田の振りわけ以外で余った土地）や 　　寺社、貴族などの土地を借りて耕作 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1120">奈良時代の農民について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>奈良時代の農民について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の農民について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・農民は、班給された口分田だけでなく、乗田（口分田の振りわけ以外で余った土地）や</p>
<p>　　寺社、貴族などの土地を借りて耕作を行った</p>
<p>　　＝この農業の方法を、賃租と言う</p>
<p>　　　※賃租は、原則として一年間土地を借りて、そこでの収穫の５分の１を、</p>
<p>　　　　土地を借りた料金として政府や持ち主に渡した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・農民には、兵役、雑徭、運脚などの負担があったので、生活に余裕が無かった</p>
<p>　</p>
<p>　・農業は天候不順や虫による被害などに影響されてしまうので、飢饉が起こりやすかった</p>
<p>　　※国司や郡司が勧農政策（農業を推奨する政策）を行っても</p>
<p>　　　不安定な生活が続いてしまっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※「万葉集」で山上憶良が歌った貧窮問答歌という歌は、</p>
<p>　　　　農民の貧窮な生活に共感して作られた歌だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の農民の変化について　</p>
<p>　</p>
<p>　・農民の中で、貧富の差が出てくるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・貧しい農民の動きについて</p>
<p>　　　→・口分田を捨てて、戸籍に登録された土地を離れて、他国に浮浪する人が出てきた</p>
<p>　　　　・都を造る工事現場から逃亡して、地方豪族などのところに移動する人が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・富裕になり、有力になった農民の動きについて</p>
<p>　　　→・農業経営を拡大することを目指して浮浪する人が出てきた</p>
<p>　　　　・私度僧（勝手に僧侶になること）が増えた</p>
<p>　　　　・自分から貴族に従う立場を取ることで、税の負担から逃れようとする人が出てきた</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→このような動きがあったので、８世紀の終わりころに以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　・調や庸などで送られる物の品質が悪くなったり、滞納が起きたりしたので、</p>
<p>　　　　国家財政に影響を与えた</p>
<p>　　　・兵士が弱くなっていったので、軍備に影響を与えることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・当時の農民を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1120">奈良時代の農民について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>奈良時代の生活様式と政府の政策について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1119</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1119#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 15:02:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[足利]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[奈良時代]]></category>
		<category><![CDATA[三世一身法]]></category>
		<category><![CDATA[初期荘園]]></category>
		<category><![CDATA[国司]]></category>
		<category><![CDATA[墾田永年私財法]]></category>
		<category><![CDATA[妻問婚]]></category>
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		<category><![CDATA[灌漑施設]]></category>
		<category><![CDATA[百万町歩開墾計画]]></category>
		<category><![CDATA[輸租田]]></category>

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		<description><![CDATA[奈良時代の生活様式と政府の政策について考えてみます &#160; &#160; ・当時の生活様式について &#160; 　・竪穴住居から、平地に建てる掘立柱住居に変わり、普及していった &#160; 　・妻問婚が主流だっ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1119">奈良時代の生活様式と政府の政策について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>奈良時代の生活様式と政府の政策について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の生活様式について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・竪穴住居から、平地に建てる掘立柱住居に変わり、普及していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・妻問婚が主流だった</p>
<p>　　※妻問婚・・男性が女性の家に通って結婚をすること</p>
<p>　　　→夫婦になった後は、どちらかの父母のもとで生活して、</p>
<p>　　　　その後に自分の家を持って生活するようになった</p>
<p>　　</p>
<p>　・女性は結婚をしても、男性に姓を合わせる必要はなく、別姓のままで良かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・女性は、自分の財産を持っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、中国の家族制度を参考にしていたので、父親系の相続を重視した</p>
<p>　　※ただし、一般の人々の家族では、生活のための職業や育児などの面で</p>
<p>　　　女性の権力が強かったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の政府の政策について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時人口が増加していたので、政府は人口の増加によって</p>
<p>　　足りなくなった口分田を補うことで、税の収入を増やすことを考えた</p>
<p>　　</p>
<p>　　→そこで、７２２年に百万町歩開墾計画という計画を立てた</p>
<p>　　　※この計画によって、農民に食料と開墾のための道具を渡して、</p>
<p>　　　　１０日間の開墾を行わせたが、成果が出なかった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、７２３年に三世一身法という法律を作った</p>
<p>　　　※この法律によって、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　・自分で新しく灌漑施設を用意して、まだ開墾されていない土地を開墾した場合は、</p>
<p>　　　　　三世のあいだ土地を持つことが認められた</p>
<p>　　　　・今までの灌漑施設を使って、新しく土地を開墾した場合は、</p>
<p>　　　　　本人一代のあいだ土地を持つことが認められた</p>
<p>　　　　　→三世一身法は、一般人が開墾することで耕地を増やすことを</p>
<p>　　　　　　　目指すための法律だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そして、７４３年に墾田永年私財法という法律を作った</p>
<p>　　　※この法律によって、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　・自分で開墾した土地を所有することを、永遠に認めた</p>
<p>　　　　・開墾した土地を持てる面積は、身分に合わせて制限された</p>
<p>　　　　・この法律によって持った土地は、輸租田（税を納める土地）として扱われた</p>
<p>　　　　※この法律は、７６５年に寺社以外の開墾が一度禁止されたが、</p>
<p>　　　　　７７２年に開墾と墾田の永遠保有が認められた</p>
<p>　　　　　→この法律には、政府がコントロールする土地を増やすことで、</p>
<p>　　　　　　土地による支配を強化しようとした背景があるが</p>
<p>　　　　　　貴族や地方の豪族の土地を増やす結果にもなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※この法律によって、東大寺などの大きな寺院は、広い土地を独占して、</p>
<p>　　　　　国司や郡司と協力しながら近くの農民や浮浪人と呼ばれる人達を使って、</p>
<p>　　　　　灌漑施設を作って、大量の土地の開墾を行った</p>
<p>　　　　　＝このようにして出来た土地のことを、初期荘園という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・奈良時代の生活様式についておさえる</p>
<p>・奈良時代の政府の政策についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1119">奈良時代の生活様式と政府の政策について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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