院政について① ―院政のスタート―

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投稿者:       投稿日時:2013/10/22 02:03      
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院政について考えてみます

 

 

・院政が始まるまでの流れについて

 

 ・後三条天皇の後に、白河天皇という人が政治を行うようになった

 

 ・1068年に、白河天皇はまだ小さかった堀河天皇という人に位を譲った

  →そこで、白河天皇は自分を上皇(院)にして、院庁という役職を作った

  →白河上皇は、天皇を補佐しながら、政治の実権を握るという、政治のスタイルを作った

   =このような政治のことを、院政と言う

 

   ※・院は、元々は上皇の家のことだったが、後に上皇のことを院というようになった

    ・天皇の后妃や娘が上皇と同じような待遇を与えられた場合を、女院と言う

 

 

 ・白河上皇は、荘園整理を行うことに賛成の立場を取る国司(受領)を、

  白河上皇を支持する勢力として取りこみつつ、院の権力を強化していったので、

  堀河天皇の死後に、本格的な院政を始めた

  ※院の権力の強化のために、白河上皇が行ったこと

   ・北面の武士(院司という院庁の職員の一つで、院の北面で警護する

    武士のこと)を設置した

   ・平氏や源氏の武士を側近にした

 

 

 ・院政は、法律や慣例などにこだわらないで、上皇が政治の実権を専門的に使うようになった

  ※そのため、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、というように、100年近く院政が続いた

 

  ※摂関家は、勢力が衰退していたので、院に近づくことで、勢力を取り戻そうとした

 

 ・院政では、院庁下文や院宣が国の政治において権力を持つようになった

  ※・院庁下文・・院庁から出される文書のこと

   ・院宣・・上皇の命令を伝える文書のこと

 

 ・3人の上皇は、仏教を推していたので、出家して法皇になった

  →そこで、六勝寺や仏像などを作って、法会という催しを行うようになり、

   何回か熊野詣や高野詣などを行った

   ※六勝寺・・院政の時期に天皇家によって作られた「勝」のつく6つの寺のこと

         例:堀河天皇の尊勝寺、白河天皇の法勝寺 など

    熊野詣、高野詣・・熊野や高野に参詣すること

 

 

 ・京都の郊外である白河や鳥羽に、離宮(皇室の別宮)を作った

  ※離宮の費用を稼ぐために、成功などを始めとした売位、売官などが盛んになった

   =そのため、政治が乱れることになってしまった

 

 

 

ポイント

・院政が始まるまでの流れについて押さえる

 

このあたりが今回のポイントです



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