奈良時代の農民について
奈良時代の農民について考えてみます
・当時の農民について
・農民は、班給された口分田だけでなく、乗田(口分田の振りわけ以外で余った土地)や
寺社、貴族などの土地を借りて耕作を行った
=この農業の方法を、賃租と言う
※賃租は、原則として一年間土地を借りて、そこでの収穫の5分の1を、
土地を借りた料金として政府や持ち主に渡した
・農民には、兵役、雑徭、運脚などの負担があったので、生活に余裕が無かった
・農業は天候不順や虫による被害などに影響されてしまうので、飢饉が起こりやすかった
※国司や郡司が勧農政策(農業を推奨する政策)を行っても
不安定な生活が続いてしまっていた
※「万葉集」で山上憶良が歌った貧窮問答歌という歌は、
農民の貧窮な生活に共感して作られた歌だと言われている
・当時の農民の変化について
・農民の中で、貧富の差が出てくるようになった
・貧しい農民の動きについて
→・口分田を捨てて、戸籍に登録された土地を離れて、他国に浮浪する人が出てきた
・都を造る工事現場から逃亡して、地方豪族などのところに移動する人が増えた
・富裕になり、有力になった農民の動きについて
→・農業経営を拡大することを目指して浮浪する人が出てきた
・私度僧(勝手に僧侶になること)が増えた
・自分から貴族に従う立場を取ることで、税の負担から逃れようとする人が出てきた
→このような動きがあったので、8世紀の終わりころに以下のようなことが起きた
・調や庸などで送られる物の品質が悪くなったり、滞納が起きたりしたので、
国家財政に影響を与えた
・兵士が弱くなっていったので、軍備に影響を与えることになった
ポイント
・当時の農民を押さえる
このあたりが今回のポイントです