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	<title>アラエス &#187; 工場法</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>労働問題について　－労働運動と労働組合の歴史－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1745</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1745#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 22:12:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ロンリ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[経済の諸問題]]></category>
		<category><![CDATA[ラッダイト運動]]></category>
		<category><![CDATA[企業別組合]]></category>
		<category><![CDATA[労働問題]]></category>
		<category><![CDATA[労働組合]]></category>
		<category><![CDATA[国家総動員法]]></category>
		<category><![CDATA[工場法]]></category>
		<category><![CDATA[日本的経営方式]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[産業革命]]></category>
		<category><![CDATA[第1インターナショナル]]></category>

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		<description><![CDATA[労働問題について、歴史的な視点から考えてみます &#160; &#160; ・労働問題がなぜ考えられるようになったのか &#160; 　※労働問題とは・・職場の状況や失業の問題など、 　　　　　　　　　　労働に関する様々 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1745">労働問題について　－労働運動と労働組合の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>労働問題について、歴史的な視点から考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・労働問題がなぜ考えられるようになったのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※労働問題とは・・職場の状況や失業の問題など、</p>
<p>　　　　　　　　　　労働に関する様々な問題をまとめた呼び方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・労働問題は、産業革命が起きて資本主義が出来た時と、今現在存在している発展途上国は、</p>
<p>　　悪い労働条件というのが当たり前だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→現代では、労働条件だけでなく、働きたくても働くことができないというような</p>
<p>　　　問題も生まれるようになってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝上のようなことがあり、労働問題が考えられるようになったのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※なぜ労働問題が生まれるようになってしまったのか</p>
<p>　　→労働力という商品が、働く人の身体や精神の面を無視して売買することはできないから</p>
<p>　　　だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・どのような労働運動が起きたのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・資本主義が出来た頃に、ラッダイト運動（機械打ちこわし運動）という運動が</p>
<p>　　様々なところで行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※なぜ、ラッダイト運動のような運動が起きたのか</p>
<p>　　　→・手工業（人の手で行う仕事）を行っていた人達は、産業革命によって機械が</p>
<p>　　　　　使われるようになったことが原因で、仕事を失ってしまったから</p>
<p>　　　　・工場で働く人達が、資本主義の仕組みと、工場で働く人達へ</p>
<p>　　　　　指示を出す資本家に反発したから</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→ラッダイト運動は誰かが指示をしたわけではなく、自然と起きたが、</p>
<p>　　　　この運動が起きた後から、労働者は、労働組合というものを作ることで、</p>
<p>　　　　資本家、雇用側に対抗するような動きが出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・資本主義が出来てしばらくしてから、労働する側で国際的な組織が作られるようになった</p>
<p>　　→代表的な組織の例</p>
<p>　　　・１８６４年には、ロンドンで第１インターナショナルという組織が、</p>
<p>　　　　１８８９年には、パリで第２インターナショナルという組織が作られた</p>
<p>　　　・第一次世界大戦後の１９１９年に、国際労働機関（ＩＬＯ）という組織が作られた</p>
<p>　　　　→・この組織の運営は、政府、労働者、使用者の３者によって</p>
<p>　　　　　　行われることになっている</p>
<p>　　　　　・この組織は、労働者の労働条件を改善することを目的として作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本の労働運動について</p>
<p>　</p>
<p>　・日本では、日清戦争の後に産業革命が起き、その時に労働組合を作る動きが</p>
<p>　　見られるようになった</p>
<p>　　→しかし、労働組合は取り締まりの対象になってしまった</p>
<p>　　　※特に、１９００年に治安警察法という法律で労働運動を厳しく取り締まられ、</p>
<p>　　　　労働運動が減っていった</p>
<p>　　　　→そこで、取り締まりを減らすために、１９１１年に工場法という法律が作られた</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※工場法の内容</p>
<p>　　　　・１２歳未満が就職して働くことを禁止した　　</p>
<p>　　　　・１５歳未満と女子は、労働時間を１日１２時間以内にした</p>
<p>　　　　　※工場法は、戦前にできた唯一の労働者を保護するための立法だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・昭和に入った時に、１９２５年に治安維持法などの法律によって、</p>
<p>　　労働組合の運動などがおさえつけられた</p>
<p>　　→そして、日中戦争の時の１９３８年に国家総動員法という法律が作られ、</p>
<p>　　　産業報国運動という運動が起こった</p>
<p>　　　※・国家総動員法・・国家の力を最大限に発揮させるために、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　人やモノの動きに関する権限を全て政府が握るという法律のこと</p>
<p>　　　　・産業報国運動・・産業を通して、国に貢献するという運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※この運動の時に、日本的経営方式が生まれたと言われている</p>
<p>　　　　・日本的経営方式・・終身雇用、年功序列賃金、企業別組合を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　中心とする経営方式のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第二次世界大戦の後に、日本国憲法と労働組合法という法律が作られた</p>
<p>　　→労働組合は初めて労働者の基本的な権利として認められるようになったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※このとき、戦前の職業別組合とはスタイルが違う、企業別組合という組合が</p>
<p>　　　どんどん生まれてきた</p>
<p>　　　→企業別組合は、産業ごとに分けられた</p>
<p>　　　　＝公務員と公企業の労働者は官公労という組織を、</p>
<p>　　　　　それ以外の産業は単産という組織を作った</p>
<p>　　　　　※単産（単位産業別労働組合連合会）は、</p>
<p>　　　　　　ナショナルセンター（労働組合の中央的な組織）として組織化された</p>
<p>　　　　　　→ナショナルセンターには、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　　　・総評・・組合主義（経済的な条件の改善を目的とする考え方のこと）の</p>
<p>　　　　　　　　　　　立場で作られた労働組合のことで、労働組合の中欧的な存在だった</p>
<p>　　　　　　・同盟・・民間産業が中心の労働組合のこと</p>
<p>　　　　　　・中立労連・・総評、同盟、新産別（全国産業別労働組合連合）という組合の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　どれにも属さない労働組合のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・高度経済成長期の時は、労働組合の組織率（組合員数を雇用者数で割った数）は、</p>
<p>　　３５％前後が続いていた</p>
<p>　　※しかし、石油危機が原因で産業の構造自体が変わってしまったため、</p>
<p>　　　組合組織率が少しずつ下がっていった</p>
<p>　　　→そこで、戦後の労働組合運動を引っ張ってきた総評や同盟などの全国的な組織は、</p>
<p>　　　　１９８９年に新しいナショナルセンターとして、連合、全労連、全労協などと</p>
<p>　　　　呼ばれる組織に再編成された</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1745">労働問題について　－労働運動と労働組合の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>社会運動の登場と当時の生活様式について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1276</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1276#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 01:59:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代後期]]></category>
		<category><![CDATA[ストライキ]]></category>
		<category><![CDATA[労働組合期成会]]></category>
		<category><![CDATA[大逆事件]]></category>
		<category><![CDATA[工場法]]></category>
		<category><![CDATA[治安警察法]]></category>
		<category><![CDATA[特高]]></category>
		<category><![CDATA[産業革命]]></category>
		<category><![CDATA[社会民主党]]></category>
		<category><![CDATA[繊維産業]]></category>
		<category><![CDATA[足尾銅山鉱毒事件]]></category>

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		<description><![CDATA[社会運動の登場と当時の生活様式について考えてみます &#160; &#160; ・社会運動の登場について &#160; &#160; 　・工場制工業が活発になるにつれて、賃金労働者が増えてきた 　　※１９００年の工場労働 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1276">社会運動の登場と当時の生活様式について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>社会運動の登場と当時の生活様式について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・社会運動の登場について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・工場制工業が活発になるにつれて、賃金労働者が増えてきた</p>
<p>　　※１９００年の工場労働者の大半は繊維産業で働き、労働者は女性がほとんどだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・女性労働者（女工または工女とも言う）のほとんどは、家計を助けるために</p>
<p>　　出稼ぎに行った小作農家の子供などだった</p>
<p>　　→女工は、賃金の前借りや宿舎に泊まって仕事をさせられる、</p>
<p>　　　ということなどによって工場で縛られることになった</p>
<p>　　　※さらに、悪い労働環境、ものすごい低賃金、長時間労働</p>
<p>　　　　という状況で仕事をしていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・紡績業では、基本的に２交代制で昼と夜に分けて仕事をさせられた</p>
<p>　　※製糸業では、１５～１８時間の労働時間などで働いていたこともあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、重工業の男子の熟練の工員はまだ少なかった</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・男子は、鉱山業や運輸業などで働いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→当時の苦しい労働の状況について書かれたものに、以下のようなものがある</p>
<p>　　・１８８８年に、高島炭鉱の悲惨な様子について書かれた「日本人」という雑誌</p>
<p>　　・１８９９年に、横山源之助という人が書いた「日本之下層社会」という本</p>
<p>　　・１９０３年に、農商務省というとことが出した「職工事情」という本　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日清戦争前後の産業革命の時に、待遇の改善や賃金の引き上げなどを求めて、</p>
<p>　　工場労働者がストライキを起こすようになった</p>
<p>　　※１８９７年には、全国で４０件近くのストライキが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９７年に、アメリカの労働運動に影響を受けて、高野房太郎や片山潜などの人達が</p>
<p>　　労働組合期成会という団体を作って、労働運動の指導をするようになった</p>
<p>　　→このような動きに刺激されて、鉄工組合や日本鉄道矯正会などと</p>
<p>　　　呼ばれる労働組合が作られた</p>
<p>　　　＝そのため、熟練工の人達を中心に、労働者が団結して</p>
<p>　　　　資本家に対抗する動きが出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９１年に、栃木県の足尾銅山という銅山から出ている鉱毒が</p>
<p>　　渡良瀬川流域の農業や漁業に被害をもたらすという公害事件が起きた</p>
<p>　　＝この公害事件を足尾銅山鉱毒事件という</p>
<p>　　　※この事件に対して、田中正造という人が戦った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような動きに対して、政府は１９００年に治安警察法という法律を作った</p>
<p>　　→この法律で、労働者の団結権やストライキ権などの権利を制限することで、</p>
<p>　　　労働運動を取り締まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で政府は、労働条件を改善して、労働者と資本家の対立を減らそうと考えた</p>
<p>　　→そこで、社会政策という考え方から、日本最初の労働者保護法として</p>
<p>　　　工場法という法律が考えられるようになった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→工場法は、資本家の反対があったため、１９１１年に作られることになった</p>
<p>　　　※しかし、工場法の内容が充実していないのと同時に、</p>
<p>　　　　工場法は実際には１９１６年に始まった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※工場法の内容</p>
<p>　　　　・少年と少女の労働時間について１２時間を限度にした</p>
<p>　　　　・少年と少女を深夜で働かせることを禁止した</p>
<p>　　　　・工場法が適用されるのは、１５人以上を使う工場だけだった</p>
<p>　　　　・製糸業は１４時間まで認められた</p>
<p>　　　　・紡績業は期限付きで深夜に働かせることを認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況の中で、安部磯雄、片山潜、木下尚江、幸徳秋水などが集まった</p>
<p>　　→この人達は、１９０１年に最初の社会主義政党として社会民主党という党を作った</p>
<p>　　　※しかし、社会民主党は治安警察法によって、すぐに解散させられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争が近づいている時に、幸徳秋水や堺利彦などは平民社という団体を作った</p>
<p>　　→平民社は、「平民新聞」というものを発行して戦争反対（反戦論や非戦論などと言う）を</p>
<p>　　　国民に呼びかけた</p>
<p>　　　＝このようにして、社会主義運動が政治運動に進む動きが強まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争の後の１９０６年に、日本社会党という団体が作られたが、</p>
<p>　　次の年に解散させられた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※なぜ日本社会党が解散させられたのか</p>
<p>　　　・日本社会党が出来た時の第１次西園寺公望内閣は、日本社会党をすぐには禁止しなかった</p>
<p>　　　・しかし、日本社会党の中で、議会で政策を考えるべきという派（片山潜など）と</p>
<p>　　　　直接行動すべきという派（幸徳秋水など）が対立するということが起きた</p>
<p>　　　　→その時に、直接行動派が優勢になったので、日本社会党を解散させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１０年に大逆事件という事件が起きた</p>
<p>　　→政府は、この事件をきっかけにして社会主義運動を本格的に抑えつけていくようになった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※大逆事件とは・・</p>
<p>　　　　・第２次桂太郎内閣は、天皇の暗殺を計画していた社会主義運動の人達を捕まえた</p>
<p>　　　　・その時に、全国で数百人の社会主義者や無政府主義者を検挙した</p>
<p>　　　　　→その中で、幸徳秋水など２６人を大逆罪という罪で起訴した</p>
<p>　　　　　　＝この出来事を大逆事件という</p>
<p>　　　　　　　※次の年に２６人全員が有罪判決を受け、そのうち１２人は死刑判決を受けたが</p>
<p>　　　　　　　　ほとんどは天皇の暗殺計画に直接は関わっていなかった</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※大逆事件の時に、警視庁の中に特別高等課（特高）という思想警察が出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→大逆事件の後から、第一次世界大戦が始まるまで、社会主義の人達は動くことが</p>
<p>　　出来ない時代に入った</p>
<p>　　＝この時代を「冬の時代」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の生活様式について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治時代に、大都市の官庁、会社、軍隊、学校などは、ガラス窓の建物になり、</p>
<p>　　机や椅子を使い、洋服を着て、時間通りに行動するという西洋に近い生活様式を取り入れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８０年代の終わりに、大都市で電灯が使われるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治初年に鉄道が開通して、１８８０年代に鉄道馬車が走るようになった</p>
<p>　　→１８９０年代には、京都で路面電車が走るようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・女性は、日本髪から束髪というスタイルに変わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のように、日本の生活様式は、日本と西洋が混じったような状態だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※地方の農村や漁村では、石油を使うランプや人力車、洋風の駐在巡査などが</p>
<p>　　　出てきたものの、人々の日常生活に大きな変化はなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・社会主義の動きについて押さえる</p>
<p>・当時の生活様式を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1276">社会運動の登場と当時の生活様式について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>桂園時代の日本について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1271</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1271#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:37:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[地方改良運動]]></category>
		<category><![CDATA[大逆事件]]></category>
		<category><![CDATA[工場法]]></category>
		<category><![CDATA[帝国在郷軍人会]]></category>
		<category><![CDATA[戊申詔書]]></category>
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		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>
		<category><![CDATA[西園寺公望]]></category>
		<category><![CDATA[鉄道国有法]]></category>

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		<description><![CDATA[桂園時代の日本について考えてみます &#160; &#160; ・桂園時代の日本について &#160; &#160; 　・１９０１年に、第１次桂太郎内閣が誕生した 　　→この内閣は、日英同盟の成立や日露戦争など様々な出来 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1271">桂園時代の日本について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>桂園時代の日本について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・桂園時代の日本について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９０１年に、第１次桂太郎内閣が誕生した</p>
<p>　　→この内閣は、日英同盟の成立や日露戦争など様々な出来事があった時期を担当していた</p>
<p>　　　※第１次桂太郎内閣は１９０５年の終わりに終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第１次桂太郎内閣の時に、野党だった立憲政友会は、</p>
<p>　　鉄道や港を充実させていくことを目標にして、</p>
<p>　　地方で力のある人達の支持を得ながら勢いを伸ばしていった</p>
<p>　　＝その結果、第１次桂太郎内閣が終了した時の、次の内閣を立憲政友会のトップの</p>
<p>　　　西園寺公望という人が担当することになった</p>
<p>　　　※西園寺公望内閣は、１９０６年に鉄道国有法という法律を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西園寺公望内閣は、１９０７年に起きた恐慌によって、行き詰まってしまった</p>
<p>　　→そのため、次の年の総選挙で圧勝したにも関わらず、桂太郎に政権を渡した</p>
<p>　　　＝結果的に、第２次桂太郎内閣が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次桂太郎内閣は、１９０８年に戊申詔書という詔書を出すと同時に、</p>
<p>　　内務省を中心にして地方改良運動という運動を行うことを推奨していった</p>
<p>　　※地方改良運動・・江戸時代からあった村落共同体である旧町村を、</p>
<p>　　　　　　　　　　　新しい町村に組み替え直して、税金を負担する力を</p>
<p>　　　　　　　　　　　高めさせようとした運動のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→地方改良運動によって、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・旧村落のお金が新しく組み替えられた町村に吸収された</p>
<p>　　　　・旧村落の青年会が新しく組み替えられた町村の青年会に組み替えられた</p>
<p>　　　　　→この結果、青年会が内務省や文部省とのつながりを強めることになった</p>
<p>　　　　・１９１０年に帝国在郷軍人会というものが出来た</p>
<p>　　　　　→そのため、町村ごとにあった在郷軍人会というものが、</p>
<p>　　　　　　帝国在郷軍人会の下に編成されることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次桂太郎内閣は、１９１０年に起きた大逆事件という出来事をきっかけとして、</p>
<p>　　社会主義者と無政府主義者を抑えつけるという行動を取った</p>
<p>　　※しかし、工場法という法律を作るなど、社会的な配慮をちょっとだけ行っている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次桂太郎内閣は、韓国併合を行った後、１９１１年にもう一度西園寺公望に内閣を渡した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のように、１０年以上も桂太郎と西園寺公望が交互に内閣を担当した</p>
<p>　　　＝そのため、この２人が中心になって動いていた時代を、</p>
<p>　　　　２人の苗字から一文字ずつとって、桂園時代と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・桂園時代の政治とその様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1271">桂園時代の日本について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>近代ヨーロッパの社会主義思想の誕生について</title>
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		<pubDate>Wed, 16 Oct 2013 06:34:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史後期・末期]]></category>
		<category><![CDATA[「共産党宣言」]]></category>
		<category><![CDATA[エンゲルス]]></category>
		<category><![CDATA[オーウェン]]></category>
		<category><![CDATA[サン＝シモン]]></category>
		<category><![CDATA[フーリエ]]></category>
		<category><![CDATA[マルクス]]></category>
		<category><![CDATA[ラッダイト運動]]></category>
		<category><![CDATA[工場法]]></category>
		<category><![CDATA[機械打ちこわし運動]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義]]></category>

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		<description><![CDATA[社会主義思想の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・社会主義思想の誕生について &#160; &#160; 　・産業革命期のイギリスでは、人口が急増し、全体として国の富が増大していた 　　→このような状 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/973">近代ヨーロッパの社会主義思想の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>社会主義思想の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・社会主義思想の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・産業革命期のイギリスでは、人口が急増し、全体として国の富が増大していた</p>
<p>　　→このような状況の一方で、労働者の生活は悲惨だった</p>
<p>　　　※１８１０年代には、手工業者による機械打ちこわし（ラッダイト）運動が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、工場主だったロバート＝オーウェンという人は、労働者の待遇の改善を提唱した</p>
<p>　　→そのためオーウェンは、労働組合や協同組合の設立を目指した</p>
<p>　　　※オーウェンは共産社会の建設も目指していたが、失敗に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスでは、１８３３年に工場法という法律が作られた</p>
<p>　　→工場法によって、年少者の労働時間が制限されたことを始めとして、</p>
<p>　　　労働条件がしだいに改善されていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランスでは、サン＝シモンやフーリエという人などが、</p>
<p>　　労働者階級を保護する新しい社会秩序を作ろうとした</p>
<p>　　→サン＝シモンやフーリエなどの社会主義者は、生産手段を社会の共有にして</p>
<p>　　　資本主義の問題を取り除き、民主的な社会を作るべきであると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ルイ＝ブランという人は、生産を国家が統制すべきだと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・プルードンという人は、すべての政治的な権威を否定するという、</p>
<p>　　無政府主義を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドイツ生まれのマルクスという人は、友人のエンゲルスという人と協力をして、</p>
<p>　　以下のようなことを考えた</p>
<p>　　→・資本主義体制がダメになるのは歴史的に必然であるという経済学説を展開した</p>
<p>　　　・労働者階級の政権獲得と、国際的な団結による社会主義社会の実現を提唱した</p>
<p>　　　　→これらの考え方は、以後の社会主義運動に大きな影響を与えたと言われている</p>
<p>　　　　　＝マルクスやエンゲルスの考え方は、</p>
<p>　　　　　　１８４８年に発表された「共産党宣言」というのに要約されている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※マルクスやエンゲルスは、自分たちの理論を「科学的社会主義」と称して、</p>
<p>　　　他の社会主義者の理論を「空想的社会主義」と批判した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・近代の社会主義者の考え方をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/973">近代ヨーロッパの社会主義思想の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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