労働問題について -労働運動と労働組合の歴史-
労働問題について、歴史的な視点から考えてみます
・労働問題がなぜ考えられるようになったのか
※労働問題とは・・職場の状況や失業の問題など、
労働に関する様々な問題をまとめた呼び方のこと
・労働問題は、産業革命が起きて資本主義が出来た時と、今現在存在している発展途上国は、
悪い労働条件というのが当たり前だった
→現代では、労働条件だけでなく、働きたくても働くことができないというような
問題も生まれるようになってきた
=上のようなことがあり、労働問題が考えられるようになったのか
※なぜ労働問題が生まれるようになってしまったのか
→労働力という商品が、働く人の身体や精神の面を無視して売買することはできないから
だと言われている
・どのような労働運動が起きたのか
・資本主義が出来た頃に、ラッダイト運動(機械打ちこわし運動)という運動が
様々なところで行われた
※なぜ、ラッダイト運動のような運動が起きたのか
→・手工業(人の手で行う仕事)を行っていた人達は、産業革命によって機械が
使われるようになったことが原因で、仕事を失ってしまったから
・工場で働く人達が、資本主義の仕組みと、工場で働く人達へ
指示を出す資本家に反発したから
→ラッダイト運動は誰かが指示をしたわけではなく、自然と起きたが、
この運動が起きた後から、労働者は、労働組合というものを作ることで、
資本家、雇用側に対抗するような動きが出てきた
・資本主義が出来てしばらくしてから、労働する側で国際的な組織が作られるようになった
→代表的な組織の例
・1864年には、ロンドンで第1インターナショナルという組織が、
1889年には、パリで第2インターナショナルという組織が作られた
・第一次世界大戦後の1919年に、国際労働機関(ILO)という組織が作られた
→・この組織の運営は、政府、労働者、使用者の3者によって
行われることになっている
・この組織は、労働者の労働条件を改善することを目的として作られた
・日本の労働運動について
・日本では、日清戦争の後に産業革命が起き、その時に労働組合を作る動きが
見られるようになった
→しかし、労働組合は取り締まりの対象になってしまった
※特に、1900年に治安警察法という法律で労働運動を厳しく取り締まられ、
労働運動が減っていった
→そこで、取り締まりを減らすために、1911年に工場法という法律が作られた
※工場法の内容
・12歳未満が就職して働くことを禁止した
・15歳未満と女子は、労働時間を1日12時間以内にした
※工場法は、戦前にできた唯一の労働者を保護するための立法だった
・昭和に入った時に、1925年に治安維持法などの法律によって、
労働組合の運動などがおさえつけられた
→そして、日中戦争の時の1938年に国家総動員法という法律が作られ、
産業報国運動という運動が起こった
※・国家総動員法・・国家の力を最大限に発揮させるために、
人やモノの動きに関する権限を全て政府が握るという法律のこと
・産業報国運動・・産業を通して、国に貢献するという運動のこと
※この運動の時に、日本的経営方式が生まれたと言われている
・日本的経営方式・・終身雇用、年功序列賃金、企業別組合を
中心とする経営方式のこと
・第二次世界大戦の後に、日本国憲法と労働組合法という法律が作られた
→労働組合は初めて労働者の基本的な権利として認められるようになったと言われている
※このとき、戦前の職業別組合とはスタイルが違う、企業別組合という組合が
どんどん生まれてきた
→企業別組合は、産業ごとに分けられた
=公務員と公企業の労働者は官公労という組織を、
それ以外の産業は単産という組織を作った
※単産(単位産業別労働組合連合会)は、
ナショナルセンター(労働組合の中央的な組織)として組織化された
→ナショナルセンターには、以下のようなものがある
・総評・・組合主義(経済的な条件の改善を目的とする考え方のこと)の
立場で作られた労働組合のことで、労働組合の中欧的な存在だった
・同盟・・民間産業が中心の労働組合のこと
・中立労連・・総評、同盟、新産別(全国産業別労働組合連合)という組合の
どれにも属さない労働組合のこと
・高度経済成長期の時は、労働組合の組織率(組合員数を雇用者数で割った数)は、
35%前後が続いていた
※しかし、石油危機が原因で産業の構造自体が変わってしまったため、
組合組織率が少しずつ下がっていった
→そこで、戦後の労働組合運動を引っ張ってきた総評や同盟などの全国的な組織は、
1989年に新しいナショナルセンターとして、連合、全労連、全労協などと
呼ばれる組織に再編成された