<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 所得倍増計画</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%89%80%e5%be%97%e5%80%8d%e5%a2%97%e8%a8%88%e7%94%bb/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%89%80%e5%be%97%e5%80%8d%e5%a2%97%e8%a8%88%e7%94%bb/feed" />
	<item>
		<title>地方財政と地域政策の動向と歴史</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2522</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2522#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 07 Mar 2014 18:08:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本政治・政治の仕組み]]></category>
		<category><![CDATA[三位一体の改革]]></category>
		<category><![CDATA[国庫支出金]]></category>
		<category><![CDATA[地域政策]]></category>
		<category><![CDATA[地方債]]></category>
		<category><![CDATA[地方分権]]></category>
		<category><![CDATA[地方財政]]></category>
		<category><![CDATA[平成の大合併]]></category>
		<category><![CDATA[所得倍増計画]]></category>
		<category><![CDATA[拠点開発方式]]></category>
		<category><![CDATA[新産業都市]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=2522</guid>
		<description><![CDATA[※地域政策とは・・全国を対象とした政策ではなく、特定地域を対象とした政策のこと &#160; ・国の地域政策への姿勢（高度成長期）・・国土の均等ある発展、地域間の格差是正 &#160; ・1960年：「所得倍増計画」太平 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2522">地方財政と地域政策の動向と歴史</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>※<strong>地域政策</strong>とは・・全国を対象とした政策ではなく、特定地域を対象とした政策のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国の地域政策への姿勢（高度成長期）・・国土の均等ある発展、地域間の格差是正</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・1960年：「<strong>所得倍増計画</strong>」太平洋ベルト地帯の重点化</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・1962年の全総：<strong>拠点開発方式</strong>による、特定地域の開発・整備</p>
<p>→1962年の全総の目玉：1963年の「<strong>新産業都市</strong>」の建設</p>
<p>※「新産業都市」・・産業の地方分散が主な目的であり、工業整備が遅れている地域が対象</p>
<p>＝新産業都市の結果・・太平洋ベルトの一部の都市を除き、大企業の誘致が進まず</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・1964年：工業整備特別地域（工特）の制定＋所得倍増計画の推進（太平洋ベルトに集中）</p>
<p>→この時に、条件が整っている地域に工場誘致（＝整備が遅れている地域ではなく、工場立地に適している地域）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・1969年：新全国総合開発計画・・過疎化と過密化の同時解決、生活水準格差是正＋「大規模プロジェクト構想」</p>
<p>→地方で用地整備を進めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＝全総・新全総の反省・・地域経済の格差是正において、政策の役割は限定的</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>地方財政</strong>の構成内容・・地方税、地方交付税、地方債（＋国庫支出金）</p>
<p>※歳入状況・・都市部ほど自主財源比率が高く、農村部ほど依存財源比率が高い</p>
<p>・地方財源の理想と現実</p>
<p>・理想：自主財源比率が高いのが望ましい</p>
<p>・現実：人口規模が小さく、産業基盤のない自治体ほど、依存財源に頼らざるを得ない＋国による制度や金額計算方法の決定</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1980年代：国の特定目的補助金（国庫支出金）削減と、一般財源の拡大</p>
<p>→穴埋めとして、地方債発行基準緩和と、後年の地方交付税措置</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1990年代：</p>
<p>前中盤・・景気対策のために公共事業を促進</p>
<p>＝地方債負担が急激に増加</p>
<p>バブル崩壊後・・建設業単独事業の増加、公共施設の整備での起債</p>
<p>※1998年、2002年：国の財政効率化と、都市への財政配分強化</p>
<p>＝住民1人あたりの交付額の基準見直し</p>
<p>1990年代の地方財政：地方自治体で公債費負担の増加、農山村での地方交付税の財源保障機能低下</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2000年代</p>
<p>〇<strong>地方分権</strong>の必要性＋<strong>三位一体の改革</strong>＋「<strong>平成の大合併</strong>」</p>
<p>・三位一体の改革：①国税から地方税へ　②国庫補助負担金の削減　③地方交付税の改革</p>
<p>＝三位一体の改革で、地方歳入額が大幅に減少</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2522">地方財政と地域政策の動向と歴史</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/2522/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/2522" />
	</item>
		<item>
		<title>高度経済成長期の日本経済の歴史について　－高度成長から石油危機まで－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1734</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1734#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 21:15:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[現代人]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本経済]]></category>
		<category><![CDATA[「投資が投資を呼ぶ」]]></category>
		<category><![CDATA[所得倍増計画]]></category>
		<category><![CDATA[消費革命]]></category>
		<category><![CDATA[経常収支]]></category>
		<category><![CDATA[規模の利益]]></category>
		<category><![CDATA[貯蓄優遇税制]]></category>
		<category><![CDATA[資本自由化]]></category>
		<category><![CDATA[集積の利益]]></category>
		<category><![CDATA[高度成長]]></category>
		<category><![CDATA[ＩＭＦ－ＧＡＴＴ体制]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1734</guid>
		<description><![CDATA[高度経済成長期の日本経済の歴史について考えてみます &#160; &#160; ・高度経済成長について &#160; 　・高度成長・・日本は１９５０年代の半ばから、高度経済成長という急速な経済成長が起きた 　　※特に、１ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1734">高度経済成長期の日本経済の歴史について　－高度成長から石油危機まで－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>高度経済成長期の日本経済の歴史について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・高度経済成長について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・高度成長・・日本は１９５０年代の半ばから、高度経済成長という急速な経済成長が起きた</p>
<p>　　※特に、１９５５年から１９７３年の石油危機までは、平均１０％前後の成長をして、</p>
<p>　　　この期間にＧＮＰが約６倍になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・高度経済成長を引き起こしたポイントは何だったのか</p>
<p>　→高度成長のポイントは、間接的なものと直接的なものがあったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・間接的な要因</p>
<p>　　</p>
<p>　　・戦後から政治や経済の制度を改革していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・安くて質の高い労働力が多かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日本国民の貯蓄の意識が高かった</p>
<p>　　　（日本の国民は、世界と比べても、所得の中から貯金をする割合が高い）</p>
<p>　</p>
<p>　　・ＩＭＦ－ＧＡＴＴ体制という体制の中で、自由貿易が行われた</p>
<p>　　・世界全体も景気が良かった</p>
<p>　　・原油の価格が安定していた</p>
<p>　　　→国際という面での経済の状態が良かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・直接的な要因</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・企業が設備への投資を大量に行っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※なぜ設備への投資が積極的に行われていたのか</p>
<p>　　　　・様々な分野で、アメリカやヨーロッパの技術が取り入れられるようになり、</p>
<p>　　　　　企業どうしで、設備の投資へ競争をする、といったような状態が起きた</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・「投資が投資を呼ぶ」と言われ、一つの産業への投資が、</p>
<p>　　　　　　他の産業への投資を促進する結果となった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・「消費革命」という言葉が生まれたほどの消費がされたことによって、</p>
<p>　　　　　大量消費社会という社会になった</p>
<p>　　　　　→結果的に投資によるメリットや効果が高まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・産業によって、様々な利益を狙うようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・鉄鋼、機械、自動車、電気機器などの産業</p>
<p>　　　　→設備を大きくすること、工程を一貫したものにすることが進められ、</p>
<p>　　　　　「規模の利益」が追求されるようになった</p>
<p>　　　　※規模の利益・・設備の規模を大きくすることで、商品１つあたりの</p>
<p>　　　　　　　　　　　　生産コストが小さくなり、企業の収入が増えることを狙った利益のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・石油化学の産業</p>
<p>　　　　→コンビナートというのが、様々な場所で作られ、それに関連する産業を集めるという、</p>
<p>　　　　　「集積の利益」が追求されるようになった</p>
<p>　　　　※集積の利益・・生産を一定の地域に集まって行うことで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　流通や移動のコストを削ることができ、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　そこを削ることによって生まれる利益のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　→集積の利益は、集積する産業が多すぎると、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　土地代が上がったり、混雑したりして、逆効果を生む可能性がある</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　＝このことを、集積の不利益と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→規模の利益と集積の利益も、設備投資の拡大を引き起こすポイントだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・高度経済成長の時の世界と日本の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・世界との動き</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・貿易、為替の自由化が展開され、日本は１９６３年にＧＡＴＴ１１条国、</p>
<p>　　　６４年にＩＭＦ８条国に指定された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※・ＧＡＴＴ１１条国・・国際収支（海外との取引による収支）の悪化が理由で、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　輸入の量を制限することができない国のこと</p>
<p>　　　・ＩＭＦ８条国・・国際収支の悪化が理由で、為替を制限することができない国のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日本が１９６４年にＯＥＣＤ（経済協力開発機構）に加盟して、</p>
<p>　　　６７年に資本の自由化を行った</p>
<p>　　　※資本自由化・・国際間での資本移動を自由にする動きのこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※日本は、戦後から資本自由化までは、外貨法と為替管理法という法律によって、</p>
<p>　　　　国際間の資本の取り引きを制限していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の動き</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日本政府が、池田勇人首相のもと、所得倍増計画という計画を出し、</p>
<p>　　　経済成長を積極的に目指していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※所得倍増計画の例</p>
<p>　　　　・金融面・・財政投融資の資金が、重要な産業に多く貸しつけられるようになった</p>
<p>　　　　・財政面・・高度経済成長の時に、ドッジ・ラインに基づく、</p>
<p>　　　　　　　　　　均衡財政主義（収入と支出を同じにする）というのが取られた</p>
<p>　　　　　　　　　　</p>
<p>　　　　※しかし、この時に・・</p>
<p>　　　　　→・支出の配分について、公共投資の部分を多くした</p>
<p>　　　　　　・企業や家計が貯蓄をするように、貯蓄優遇税制という制度を作った</p>
<p>　　　　　　　→このような動きが、さらなる経済成長へとつながっていった</p>
<p>　　　　　　　　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→日本は、以上のようにして経済成長をして、時々不況になったことはあったものの、</p>
<p>　　　神武景気、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気、などの景気を経験してきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本の高度経済成長期を、大きな視点で見ると、どうだったのか</p>
<p>　→高度経済成長期の前半と後半で違った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・前半・・経常収支は、基本的に赤字だった</p>
<p>　　　　　　景気が良くなれば、輸入も増えたが、赤字を減らさなければいけないので、</p>
<p>　　　　　　仕方なく好景気を押さえる動きになった</p>
<p>　　　　　　＝このような状態は、国際収支の天井と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・後半・・経常収支が常に黒字になる状態となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・高度経済成長の間接的なポイントと直接的なポイントをそれぞれ押さえる</p>
<p>・規模の利益と集積の利益を押さえる</p>
<p>・高度成長の時の、世界との動き、日本の中での動きを押さえる</p>
<p>・高度成長を、マクロの視点で見た概要を押さえる</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1734">高度経済成長期の日本経済の歴史について　－高度成長から石油危機まで－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1734/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1734" />
	</item>
		<item>
		<title>日本財政の類型化―2、開発主義国家型財政（2-1公共事業）</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/744</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/744#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 09 Oct 2013 01:54:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ルーブル]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[もはや戦後ではない]]></category>
		<category><![CDATA[全国総合開発計画]]></category>
		<category><![CDATA[公共事業]]></category>
		<category><![CDATA[所得倍増計画]]></category>
		<category><![CDATA[開発主義]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=744</guid>
		<description><![CDATA[2､開発主義国家型財政 1950年代中頃に入ると戦後復興も一段落しました。1956年、経済企画庁が『経済白書』の中で述べた「もはや戦後ではない」という文言にも表れているように、本格的な経済成長の局面を迎えることとなりまし [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/744">日本財政の類型化―2、開発主義国家型財政（2-1公共事業）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>2､開発主義国家型財政</p>
<p>1950年代中頃に入ると戦後復興も一段落しました。1956年、経済企画庁が『経済白書』の中で述べた「もはや戦後ではない」という文言にも表れているように、本格的な経済成長の局面を迎えることとなりました。これに伴って、政府の財政運営のあり方は、戦後復興のための財政から、経済成長のための財政へとシフトしていきました。後藤が指摘するように、「経済成長」を第一の目的とする長期的・系統的な国家介入のことを「開発主義」と呼びます(後藤下記参考文献、130頁)。時期区分的には、1950年代半ばから60年代半ばに相当します。以下では、前述の開発主義の定義を受け入れた上で、その中身を見ていきましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2-1　公共事業</p>
<p>　開発主義について考える上では、まず公共事業が重要です。戦後直後の日本においての公共事業は、戦災からの復興、自然災害への対処、軍需産業から民需産業への転換など、重要な役割を担っていました。政治的にも、1946年に制定された日本国憲法では、軍事力の放棄が明記され、60年には日米安全保障条約も成立し、防衛関係費の重要性は急激に低下したため、その財源を公共事業に振り向けられるようになりました。</p>
<p>　高度成長期に入ると公共事業は、前節で触れたような戦後復興から企業の経済活動の基盤整備へと重点を移していきました。そのきっかけとなったのが1960年の所得倍増計画や62年の全国総合開発計画です。こうした国の経済計画の策定によって道路や港湾、鉄道、工業用地など、産業基盤への投資が拡大していきました。こうした政策が製造業や建設業の競争力強化につながりました。</p>
<p>この時期で重要なのは、第1に、民間の旺盛な需要に応じるための公共事業だったという点です。この時期はいわゆる「投資が投資を呼ぶ」状態で、公共事業による産業基盤整備が民間設備投資をいっそう有利にさせ、これが更なる公共事業を要請するという循環を作りました。つまり、民間設備投資を下支えする役割の公共事業だったのです。</p>
<p>　第2に重要なのは、公共事業を地域別にみると、関東、東海、近畿といった大都市に集中しているという点です(藤田下記参考文献、172-173頁、第14表を参照)。これは50年代半ばから60年代半ばの公共事業が、民間設備投資や人口の大都市集中、つまり大都市の大きな需要に対応して行われたことを反映しています。図3-1が示すように、高度成長による大規模な地域開発によって、労働力が第1次産業から第2・3次産業へと移動しています。これは言い換えれば、地方から大都市へと人口移動が起きたことを示します。地方から大都市へと人口移動が起きたということは、総務省統計局の『都道府県別人口増減率』をみても明らかです。</p>
<p>このような大都市集中配分は、1965年前後まで続くことになります。現在は公共事業と聞けば無駄であるという話になりがちですが、60年代中頃までは、旺盛な民間設備投資に応えるための重要な役割を果たしていたのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>以上をまとめると、50年代中頃から60年代中頃の公共事業の役割は、企業の旺盛な需要に応えるための、純粋に必要とされた公共事業でした。こうした公共事業の役割は、都市部への労働移動に伴う地方の過疎化の進行や高度成長の終焉、世界経済の不況などを背景に次第に変質していきます。これについてはケインズ主義型財政として別途詳述します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>図3-1</p>
<p> <br /><img src="http://ahlaes.com/wp-content/uploads/2013/11/image0011.png" alt="Image" width="599" height="378" /></p>
<p>出所：総務省統計局『産業,従業上の地位,男女別就業者数19-8-a』より作成</p>
<p>　<a href="http://www.stat.go.jp/data/chouki/19.htm" class="broken_link">http://www.stat.go.jp/data/chouki/19.htm</a>（閲覧日：2013年11月1日）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考文献、資料</p>
<p>・石弘光『現代税制改革史』東洋経済新報社、2008年、169-183、229-232、243-248頁</p>
<p>・井手英策『財政赤字の淵源―寛容な社会の条件を考える』有斐閣、2012年、122-157頁</p>
<p>・同上『日本財政　転換の指針』岩波書店、2013年、36-66頁</p>
<p>・後藤道夫『反「構造改革」』青木書店、2002年、130頁</p>
<p>・藤田武夫『現代日本地方財政史(中巻)』日本評論社、1978年、170-176頁</p>
<p>・藤田武夫『現代日本地方財政史(下巻)』日本評論社、1984年、頁</p>
<p>・宮本憲一『現代資本主義と国家』岩波書店、1981年、209頁</p>
<p>・総務省統計局『労働力調査年報』「19-8-a  産業，従業上の地位，男女別就業者数」<a href="http://www.stat.go.jp/data/chouki/19.htm" class="broken_link">http://www.stat.go.jp/data/chouki/19.htm</a>（閲覧日：2013年9月20日）</p>
<p>・『都道府県別人口増減率―総人口(大正9年～平成12年)』</p>
<p><a href="http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000000090004&amp;cycode=0">http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000000090004&amp;cycode=0</a> (閲覧日：2013年11月1日)</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/744">日本財政の類型化―2、開発主義国家型財政（2-1公共事業）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/744/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/744" />
	</item>
		<item>
		<title>土建国家の合理性</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/280</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/280#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 21 Aug 2013 18:17:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本経済]]></category>
		<category><![CDATA[全国総合開発計画]]></category>
		<category><![CDATA[公共事業]]></category>
		<category><![CDATA[土建国家]]></category>
		<category><![CDATA[所得倍増計画]]></category>
		<category><![CDATA[減税]]></category>
		<category><![CDATA[経済成長]]></category>
		<category><![CDATA[財政投融資]]></category>
		<category><![CDATA[財政赤字]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=280</guid>
		<description><![CDATA[土建国家とは、経済成長を前提としつつ、減税によって中間層を宥和するとともに貯蓄を増大させ、その貯蓄を財源にした財政投融資を活用して公共事業を行うことで地方への利益分配も可能にしたシステムと言えます。土建国家を考える上での [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/280">土建国家の合理性</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>土建国家とは、経済成長を前提としつつ、減税によって中間層を宥和するとともに貯蓄を増大させ、その貯蓄を財源にした財政投融資を活用して公共事業を行うことで地方への利益分配も可能にしたシステムと言えます。土建国家を考える上でのキーワードは、①公共事業②減税③財政投融資の三つです。まず①から検討します。</p>
<p>　高度成長期における公共事業の目的は、企業の経済活動の基盤を整えることにありました。そのきっかけとなったのが所得倍増計画や全国総合開発計画などです。こうした国の経済計画の策定によって道路や港湾、鉄道、工業用地など、産業基盤への投資が拡大していきました。他方で地方自治体もこの動きに連動して総合開発計画を次々に策定し、国からの補助金を元手に産業基盤の強化を図りました。こうした政策は製造業や建設業の競争力強化につながりました。これに伴い、就業構造も変化しました。農家の機械化によって余剰人員が生まれ、彼らが建設業や製造業へと就業し、農家は兼業化していきました。農家の兼業化は所得の増大を促し、所得格差を小さくしました。このように、公共事業によって就労機会を提供し、所得を増大させながら農業と建設業、製造業との所得格差を小さくすることで合意形成を図っていました。</p>
<p>　次に減税について検討します。土建国家という視点は公共事業だけでは語れません。公共事業には前述のように地方への資源配分や低所得層への雇用保障という側面がありました。しかし、この政策だけで統治を図ろうとするならば、中間層の政治抵抗を強めることになっていたと思われます。「地方や低所得者ばかり支援しやがって！」となるわけです。そこで中間層を宥和する役割を担ったのが減税です。井手氏が指摘するように、「減税による中間層への利益分配、これこそが土建国家を支えるもうひとつの重要な原動力（井手、2013）」だったのです。</p>
<p>　減税は高度成長期において、公共事業と同じように重要視されました。高度成長期の各年度税制改正を見ると、1972年度予算以外は1961年度から1975年度まで、すべての年で減税が行われました。中低所得者対しては基礎控除や扶養控除、配偶者控除というかたちで所得税を減税しました。中小企業に対しては税率の軽減や租税特別措置の拡大によって対応しました。このような減税政策は、「高度成長が税収を生み、減税が高度成長を生むという好循環を作り出した。（井手、2012）」のです。また、減税によって還付された資金は貯蓄に向けられました。日本は明らかに小さな政府であったため、西欧では政府が提供するようなサービス、例えば教育、育児、介護、住宅などを購入するための資金として減税分を貯蓄したのです。このように、減税が人々の生活設計に組み込まれていったために、減税という政策から脱却しづらくした側面があるのです。</p>
<p>　土建国家を考える上でもう一つ重要な論点は、財政投融資です。財政投融資とは、郵便貯金や簡易保険などの国民の貯蓄を活用し、政府が行う投融資活動のことです。減税政策によって還付された資金が貯蓄に向けられたことは前述しましたが、その貯蓄先は金利的に優遇されていた郵便貯金に集中しました。この貯金を活用して実施されたのが財政投融資です。財政投融資は厳密に言えば公共事業関係費とは区別されなければなりません。しかし、その内訳をみると、住宅建設、道路・港湾・橋梁の整備、生活環境の改善など、実質的には公共事業と言えるもので、財政投融資＝公共事業と言っても問題はないものと思われます。要するに、貯蓄が公共事業の財源となっていたのです。</p>
<p>　以上をまとめると、土建国家とは、経済成長を前提としつつ、減税によって中間層を宥和するとともに貯蓄を増大させ、それを財源にした財政投融資を活用して公共事業を行うことで地方への利益分配も可能にしたシステムでした。このシステムは経済成長を前提とした社会においてはそれなりに合理的に機能したのです。しかし、1970年代に入り、ニクソンショックやオイルショックなどに伴う経済の低成長化によって減税と公共事業による利益分配には限界が見えてきました。経済危機などを背景に国債の発行が増大していく一方で、人々の生活設計には度重なる減税が根付いていたために増税への転換を難しくしたのです。このような「減税グセ」が示す歳入不足が赤字国債の発行を不可避にし、今日の膨大な財政赤字の基礎を作ったと言えるかもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>〈参考文献〉</p>
<p>・井手英策『財政赤字の淵源―寛容な社会の条件を考える』有斐閣、2012年</p>
<p>・同上『日本財政―転換の指針』岩波書店、2013年</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/280">土建国家の合理性</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/280/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/280" />
	</item>
	</channel>
</rss>
