土建国家の合理性
土建国家とは、経済成長を前提としつつ、減税によって中間層を宥和するとともに貯蓄を増大させ、その貯蓄を財源にした財政投融資を活用して公共事業を行うことで地方への利益分配も可能にしたシステムと言えます。土建国家を考える上でのキーワードは、①公共事業②減税③財政投融資の三つです。まず①から検討します。
高度成長期における公共事業の目的は、企業の経済活動の基盤を整えることにありました。そのきっかけとなったのが所得倍増計画や全国総合開発計画などです。こうした国の経済計画の策定によって道路や港湾、鉄道、工業用地など、産業基盤への投資が拡大していきました。他方で地方自治体もこの動きに連動して総合開発計画を次々に策定し、国からの補助金を元手に産業基盤の強化を図りました。こうした政策は製造業や建設業の競争力強化につながりました。これに伴い、就業構造も変化しました。農家の機械化によって余剰人員が生まれ、彼らが建設業や製造業へと就業し、農家は兼業化していきました。農家の兼業化は所得の増大を促し、所得格差を小さくしました。このように、公共事業によって就労機会を提供し、所得を増大させながら農業と建設業、製造業との所得格差を小さくすることで合意形成を図っていました。
次に減税について検討します。土建国家という視点は公共事業だけでは語れません。公共事業には前述のように地方への資源配分や低所得層への雇用保障という側面がありました。しかし、この政策だけで統治を図ろうとするならば、中間層の政治抵抗を強めることになっていたと思われます。「地方や低所得者ばかり支援しやがって!」となるわけです。そこで中間層を宥和する役割を担ったのが減税です。井手氏が指摘するように、「減税による中間層への利益分配、これこそが土建国家を支えるもうひとつの重要な原動力(井手、2013)」だったのです。
減税は高度成長期において、公共事業と同じように重要視されました。高度成長期の各年度税制改正を見ると、1972年度予算以外は1961年度から1975年度まで、すべての年で減税が行われました。中低所得者対しては基礎控除や扶養控除、配偶者控除というかたちで所得税を減税しました。中小企業に対しては税率の軽減や租税特別措置の拡大によって対応しました。このような減税政策は、「高度成長が税収を生み、減税が高度成長を生むという好循環を作り出した。(井手、2012)」のです。また、減税によって還付された資金は貯蓄に向けられました。日本は明らかに小さな政府であったため、西欧では政府が提供するようなサービス、例えば教育、育児、介護、住宅などを購入するための資金として減税分を貯蓄したのです。このように、減税が人々の生活設計に組み込まれていったために、減税という政策から脱却しづらくした側面があるのです。
土建国家を考える上でもう一つ重要な論点は、財政投融資です。財政投融資とは、郵便貯金や簡易保険などの国民の貯蓄を活用し、政府が行う投融資活動のことです。減税政策によって還付された資金が貯蓄に向けられたことは前述しましたが、その貯蓄先は金利的に優遇されていた郵便貯金に集中しました。この貯金を活用して実施されたのが財政投融資です。財政投融資は厳密に言えば公共事業関係費とは区別されなければなりません。しかし、その内訳をみると、住宅建設、道路・港湾・橋梁の整備、生活環境の改善など、実質的には公共事業と言えるもので、財政投融資=公共事業と言っても問題はないものと思われます。要するに、貯蓄が公共事業の財源となっていたのです。
以上をまとめると、土建国家とは、経済成長を前提としつつ、減税によって中間層を宥和するとともに貯蓄を増大させ、それを財源にした財政投融資を活用して公共事業を行うことで地方への利益分配も可能にしたシステムでした。このシステムは経済成長を前提とした社会においてはそれなりに合理的に機能したのです。しかし、1970年代に入り、ニクソンショックやオイルショックなどに伴う経済の低成長化によって減税と公共事業による利益分配には限界が見えてきました。経済危機などを背景に国債の発行が増大していく一方で、人々の生活設計には度重なる減税が根付いていたために増税への転換を難しくしたのです。このような「減税グセ」が示す歳入不足が赤字国債の発行を不可避にし、今日の膨大な財政赤字の基礎を作ったと言えるかもしれません。
〈参考文献〉
・井手英策『財政赤字の淵源―寛容な社会の条件を考える』有斐閣、2012年
・同上『日本財政―転換の指針』岩波書店、2013年
コメント
公共事業もかつては機能していたのですね。今は…