バブル経済から現在までの日本経済の歴史について
バブル経済からの日本経済の歴史を考えてみます
・バブル経済になるまでの日本の経済の動きについて
・1970年代の石油危機は、産業構造の高度化と企業の減量経営によって
乗り切ったと言われている
※産業構造の高度化・・産業の比率が、第一次から第三次に動いていくこと
減量経営・・労働者、借金、在庫などを減らしつつ、
少しの成長で収益を増やしていこうとする経営の方式のこと
→しかし、日本は1985年のプラザ合意がきっかけで、不況になった
※プラザ合意・・ドル高を直すために各国が認めた合意のこと
→これによって急に円高になり、輸出に頼っていた日本は
ダメージを受けた
=この動きによって起きた不況を円高不況と言う
※企業の中には、円高の影響を避けるために、日本で作って海外に輸出するのではなく、
そもそもの作る場所を海外に移す、という行動を取る人もいた
=このように、産業が日本から海外に出ていってしまう現象を、産業の空洞化と言う
・1987年に、ルーブル合意という合意によって、円高だった為替相場が安定してきて、
輸出もできるようになってきたので景気がまた上を向き始めた
→ここで上向きになった景気が続き、日本の経済は1990年代の頭まで、
長期間の好景気が続いた
=この時の景気を平成景気(バブル景気)と言う
・バブル景気の時の動きについて
・バブル景気の時は、低金利の状態で資金を調達することができる状況だった
→そのため、予想以上に調達することができるようになり、
お金が余るところも出てきた
→そこで、お金をどのように使うかということが考えられ、
主に下の2つのような使い道があった
・新製品を作るための開発の費用や、企業を合理的に動かしていくための経費などに使われた
・財テクに使われた
※財テク・・株式や土地などを買って、効率的にお金を動かすこと
→この2つの影響によって、株や土地の値段が、経済的に見て適していると言われた金額を
大きく上回った
=この現象をバブルという
→しかし、上のような現状があっても・・
・株や土地の値段が上がっていったので、資産効果(価格の上昇で家計の消費なども
増えたりすること)が働いて消費がどんどん増え、消費の先が株や土地に向けられ、
資産効果が高まり・・という状況が続いた
・エクイティ・ファイナンスという資金調達を積極的に行って、
これで得た資金の多くを財テクに使った
※エクイティ・ファイナンス・・様々な株式の発行によって資金を調達すること
→というようなことがあったので、結果的にバブルはどんどん大きくなっていった
・1990年代の日本経済の状況について
・1990年代に入ったあたりに、バブル経済の行きすぎを不安に思った日本銀行が、
金融引き締めを行った
→結果的に株や土地の値段が一気に下がり、バブル経済が崩れてしまった
→バブル経済の崩壊によって、日本の経済は突然、長期の不況になってしまった
=この不況のことを平成不況とも言う
※平成不況は、1991年4月から1993年10月までだったが、
景気が回復することはなく、96年に少し回復したものの、97年にまた低迷した
・日本経済の現状について
・バブル崩壊後の10年間は、「失われた10年」と言われている
→なぜ「失われた10年」と言われているのか
・景気の回復のために公共支出を増やしたが、結果が出ず、逆に支出を増やした分の
赤字が増えてしまった
・金融機関の不良債権を処理して、金融システムを落ち着かせることを目指したが、
結果が出なかった
・産業の面で、韓国、中国、ASEANに追いつかれ、
IT技術の面でアメリカに引き離された
→このように、様々な動きをしても、結果が出なかったことから
失われた10年と名づけられていると言われている
・「失われた10年」を打破するための動きとして、「構造改革」を目標にして、
小泉内閣が動き、以下のようなことを行った
・金融財政改革という改革を行った
・産業再生機構が産業再生を行ったりした
=債権を企業から買い取って、企業を復活させることを目指した
・経済の自由化を展開し、国立大学の法人化、郵政民営化などを行った
・日本の各地で構造改革特区というところを設定して、教育、医療などの様々な分野で、
様々な実験を行った
※構造改革特区・・どこかの地域を限定して、その地域の規制を緩和するというために
設定した地域のこと
→小泉改革の構造改革は、格差を生み出したと言われている
ポイント
・バブル経済までの動きを押さえる
・バブル経済の時のそれぞれの動きを押さえる
・1990年代の流れと、「失われた10年」の特徴を押さえる
・小泉内閣の動きを押さえる