安定成長と産業構造の高度化の時の日本経済の歴史について -石油危機からバブル経済-
安定成長と産業構造の高度化を中心にして考えてみます
・1970年代の日本経済について
→1970年代から、日本の成長の勢いが弱まってきた
・決定的に高度経済成長を止めた原因は、1973年の石油危機(第一次石油危機)だった
→1973年に第四次中東戦争という戦争が発生し、
その時にOPEC(石油輸出国機構)というところが石油の値段を約4倍に引き上げた
※石油危機の影響で、日本はスタグフレーションとなった
・スタグフレーション・・不況と物価上昇が同時に起きること
→1979年にも石油危機(第二次石油危機)が起き、
1980年代前半までの年平均成長率は4.1%になった
・さらに、日本政府は経済成長のために産業を優先したので、
この動きが公害問題、都市問題などを引き起こした
※都市問題・・地域が都市化することによって発生する問題のこと (環境の破壊など)
→上のような、石油危機、公害や都市の問題などの影響を受けて、様々な動きが見られるようになった
・政府は安定成長を目標にした
※安定成長・・人々の生活レベルを上げることと、
出来るだけ高く持続的な経済成長を同時に行うこと
・企業は、資源を多く消費するスタイルを辞めて、資本集約型から、
知識集約型産業へ移ることを目指した
※知識集約型産業・・研究者や技術者を多く使い、
研究開発にコストを多くかける産業のこと
(コンピューターやICの産業などが当てはまる)
・1980年代に円高で経済摩擦が起きた
→そこで、外需を中心とした動きから、内需を大きくする動きを目指した
=海外への輸出を増やすよりも、日本国内での消費を多くする動きを目指した
・産業構造の高度化について
※そもそもの高度経済成長の内容
→第二次産業が大きくなり、中でも重化学工業が大きくなっていった
※産業の種類分けについて
・第一次産業・・農業、林業、水産業などの産業のこと
・第二次産業・・製造業、ガス電気業などの産業のこと
・第三次産業・・サービス業や通信業、金融業などの産業のこと
・1980年代の産業の様子
・第一次産業と省エネ型の産業以外の第二次産業の生産額と就職する人が低下ぎみだった
→これに変わって、第三次産業の比率が高まっていった
※上のように、産業の比率の大きい分野が、第一次から、二次、三次と変わっていくことを、
産業構造の高度化と言う
→その中でも、経済成長と所得の上昇が影響して、労働力が第一次から三次に
シフトするということがある
=この動きのことを、ぺティ・クラークの法則と言う
・第三次産業について
・第三次産業には、経済のサービス化と経済のソフト化が進むことがあると言われている
・経済のサービス化・・第三次産業の比率が高くなること
※第三次産業のほとんどの産業は、サービスを生産していることから
言われるようになった
・経済のソフト化・・モノ自体ではなく、モノについているソフトの価値の
重要度が高まること
※経済のソフト化は、第三次産業だけでなく、製造業(特に加工組立型産業)でも
進んだと言われている
→この2つは、お互いに影響を与えながら進むと言われている
ポイント
・1970年代の日本経済の流れを押さえる
・石油危機や様々な問題に対するそれぞれの動きを押さえる
・産業構造の種類と1980年代の産業を押さえる
・第三次産業の特徴を押さえる