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	<title>アラエス &#187; 自発的納税倫理</title>
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	<item>
		<title>「原子論的・機械論的国家論」―納税は「権利」という考え方</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2348</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2348#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 27 Dec 2013 03:04:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ルーブル]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界史全般]]></category>
		<category><![CDATA[デカルト]]></category>
		<category><![CDATA[ホッブズ]]></category>
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		<category><![CDATA[原子論]]></category>
		<category><![CDATA[自発的納税倫理]]></category>

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		<description><![CDATA[  タイトルで？？？となる人も多いかもしれません。自分なりにわかりやすくまとめてみますので、少々お付き合いくださいませ。 &#160; まず、本記事の「原子論的・機械論的国家論」を理解するためには、ホッブズとロック、デカ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2348">「原子論的・機械論的国家論」―納税は「権利」という考え方</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p align="center"> </p>
<p>タイトルで？？？となる人も多いかもしれません。自分なりにわかりやすくまとめてみますので、少々お付き合いくださいませ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まず、本記事の「原子論的・機械論的国家論」を理解するためには、ホッブズとロック、デカルトを理解する必要があります。ホッブズ、ロックは↓↓↓、デカルトは本記事でも簡単に説明します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2309" class="broken_link">社会契約説―ホッブズ</a></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2335" class="broken_link">社会契約説―ロック</a></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1645">デカルトについて</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「原子論的・機械論的国家論」は、19Cドイツの「有機的国家論」と比較するとより明確になるのですが、それについては改めてまとめるとして、本記事では「原子論的・機械論的国家論」に焦点を当てたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・個人と国家のドライな関係</p>
<p>上記の関連記事では、もっぱらホッブズとロックの国家論に焦点を当ててきました。しかし、彼らの思想の意義は、「個人の析出」にもありました。</p>
<p>⇒個人が国家をつくるということ。逆に言えば、国家が死滅したとしても個人は残るという論理。こうしたイギリス的社会契約論=「原子論的・機械論的国家論」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もう少し説明します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>原子論的・機械論的国家論とは・・・</p>
<p>⇒原子(=個人)が結合して国家が生まれるという考え方。</p>
<p>個人と国家=要素と全体(部分と全体)の関係として捉えられる。ホッブズが強調したように、国家は何か神聖で不可侵なものではなく、人間(個人)によってつくられる人工物(機械)として捉えられる。つまり、国家は機械のアナロジー(類似)だから、外部から分析が可能であるということ(これまでは国家とは神聖不可侵なもので、分析不可能だとされていた)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆国家と個人は峻別され、両者は運命共同体ではなく、契約を介在させるドライな関係だということです。税との関係でいえば、個人は国家が生命と財産の保護という便益を提供する限りにおいて、その対価として税金を納めるが、国家がその便益を満たさないようであれば、ただちに税金を納めることを停止することができるということ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ではなぜ、こうした原子論的・機械論的国家論が生まれたのでしょうか。その背景にいるのがデカルトです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>デカルト：ホッブズと同時代人で、近代哲学の父と呼ばれ、近代の新しい思想的パラダイムを生み出した。もっとも有名なのが「われ惟う、ゆえにわれ在り」です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この「われ惟う、ゆえにわれ在り」というのが、近代的な「個人の析出」であった。</p>
<p>⇒「個(=原子)」と「全体」を峻別し対比する考え方。そして、この「個人の析出」を国家や社会の問題へと昇華させたのがホッブズやロックの社会契約論なのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆これは中世的・封建的・キリスト教的な思想パラダイムから、近代的・合理的・科学的な思想パラダイムへの劇的な大転換でした。このあたりを合わせて読むと理解が深まると思います。↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1755" class="broken_link"> 近代とは何か</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆☆☆☆</p>
<p>以上のような原子論は、ある意味で近代民主主義と親和性を持っていました。また、「なぜ税金を納めるのか」という根本的な問いに対して、「自発的納税倫理」(国家が国民に提供する便益への対価)の観点から、一つの解答を見ることができます。こうした考え方によれば、納税=権利だと言うことができます。他方で、納税=義務という考え方が普及した国もあります。19Cドイツです。これは有機的国家論と関係してくるので、改めてまとめます。</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2348">「原子論的・機械論的国家論」―納税は「権利」という考え方</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>ホッブズとロックの国家論―租税という切り口から</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2347</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2347#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Dec 2013 04:19:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ルーブル]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界史全般]]></category>
		<category><![CDATA[リヴァイアサン]]></category>
		<category><![CDATA[上からの改革]]></category>
		<category><![CDATA[下からの改革]]></category>
		<category><![CDATA[王権神授説]]></category>
		<category><![CDATA[自発的納税倫理]]></category>

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		<description><![CDATA[  以前にまとめたものと重複する部分もありますが、重要なところなので改めて書いておきます。関連記事↓↓↓  社会契約説―ホッブズ 社会契約説―ロック &#160; &#160; ・租税とは何か ⇒その有力な答えは、ホッブ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2347">ホッブズとロックの国家論―租税という切り口から</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p align="center"> </p>
<p>以前にまとめたものと重複する部分もありますが、重要なところなので改めて書いておきます。関連記事↓↓↓</p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2309" class="broken_link"> 社会契約説―ホッブズ</a></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2335" class="broken_link">社会契約説―ロック</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・租税とは何か</p>
<p>⇒その有力な答えは、ホッブズとロックによって与えられた。「国家が市民に提供する生命と財産の保護、この2つへの対価としての租税」という考え方。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これは今でいえば当たり前と思われるかもしれませんが、当時は革命的な考え方でした。</p>
<p>こうした彼らの思想の意義は、「国家の担い手」像の転換にありました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>国家の担い手：神ではなく、神によって権限を与えられた王(王権神授説)でもなく、市民である</p>
<p>⇒「生命と財産の保護」は、<span style="text-decoration: underline">上からの恩恵</span>として与えられるのではなく、市民が自ら(<span style="text-decoration: underline">下から</span>)勝ち取ったもの</p>
<p>※この「上から」と「下から」という考え方はかなり重要で色々応用がきくので、覚えておいたほうがよいかと思います。これについては↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/556"> 近代化の2つのパターン―「上からの道」と「下からの道」という視点―</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>つまり、国家に生命と財産の保護という機能を持たせるために、それに必要な経費を<span style="text-decoration: underline">自発的に</span>拠出するということ。</p>
<p>⇒封建時代の領邦国家などにおける、税はとられるものという受け身の納税倫理から、自発的納税倫理への転換が起きた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆こうしてホッブズとロックは社会契約論に基づく国家論を樹立し、同時に近代国家における租税に正当性を付与した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それでは、ホッブズとロックの社会契約説を復習しながら、それぞれの国家論について見ていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ホッブズの国家論</p>
<p>…国家は人間自身によって製作される人工物であることを強調。その上で国家(コモンウェルス)をつくっている自然人たる人間とは何かを考えた。</p>
<p>⇒人間は自然権をもち、「自然状態」とした。詳しくは↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <a href="http://ahlaes.com/post/2309" class="broken_link">社会契約説―ホッブズ</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこで「自然状態」を解消するために出てくるのが「強制権力」(リヴァイアサン)</p>
<p>⇒国家の絶対権力を強調する以上、市民の革命権や抵抗権といった考え方は出てこない</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※こうしてみると、ホッブズが絶対王政を正当化したと言われるのも不思議ではないのですが、彼が生きた時代を考えると、当時は市民革命の渦中であり、どうしたらこの動乱がおさまるかを必死に考え抜いた結果として“仕方なく”絶対王政を正当化したという側面があるということも見逃せません。“絶対王政最高！”というようなポジティブな感覚ではなかったというのは案外重要だと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ロックの国家論</p>
<p>…国家の根拠はホッブズと似ている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>簡単にみると・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「自然法」の存在を主張→しかし、共通権力が存在しない自然状態ではこの自然法を維持する主体が存在しない→各人がそれぞれの自然法を行使→「戦争状態」と変わらない→その解決策は、社会成員の一人ひとりがこの自然の権力を放棄し、それを共同体の手に委ね、1個の政治体を結成することに同意すること、という主張。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ホッブズとの違い：「労働による私有財産の獲得」という論理を組み込んだこと</p>
<p>⇒国家の役割はホッブズのように生命の保存だけではなく、労働によって獲得された私有財産の保全も含むようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>更にロックは、市民の「革命権」と「抵抗権」についても言及</p>
<p>⇒もし国家が生命と財産の保全という基本原則を破るようなら、市民は国家を取り替えることができると主張</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ロックについては以下も↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <a href="http://ahlaes.com/post/2335" class="broken_link">社会契約説―ロック</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆☆☆</p>
<p>ここまで、もっぱら国家に焦点を当ててきましたが、ホッブズとロックの議論の画期的な意義は、「個人の析出」にありました。これが「原子論的・機械論的国家論」につながるのですが、これについては19Cドイツの「有機的国家論」との比較で改めて書きます。この2つは先に触れたように「下からの改革」と「上からの改革」を理解しておくとより深まるかと思います。</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2347">ホッブズとロックの国家論―租税という切り口から</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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