ホッブズとロックの国家論―租税という切り口から
以前にまとめたものと重複する部分もありますが、重要なところなので改めて書いておきます。関連記事↓↓↓
・租税とは何か
⇒その有力な答えは、ホッブズとロックによって与えられた。「国家が市民に提供する生命と財産の保護、この2つへの対価としての租税」という考え方。
これは今でいえば当たり前と思われるかもしれませんが、当時は革命的な考え方でした。
こうした彼らの思想の意義は、「国家の担い手」像の転換にありました。
国家の担い手:神ではなく、神によって権限を与えられた王(王権神授説)でもなく、市民である
⇒「生命と財産の保護」は、上からの恩恵として与えられるのではなく、市民が自ら(下から)勝ち取ったもの
※この「上から」と「下から」という考え方はかなり重要で色々応用がきくので、覚えておいたほうがよいかと思います。これについては↓↓↓
近代化の2つのパターン―「上からの道」と「下からの道」という視点―
つまり、国家に生命と財産の保護という機能を持たせるために、それに必要な経費を自発的に拠出するということ。
⇒封建時代の領邦国家などにおける、税はとられるものという受け身の納税倫理から、自発的納税倫理への転換が起きた。
☆こうしてホッブズとロックは社会契約論に基づく国家論を樹立し、同時に近代国家における租税に正当性を付与した
それでは、ホッブズとロックの社会契約説を復習しながら、それぞれの国家論について見ていきます。
・ホッブズの国家論
…国家は人間自身によって製作される人工物であることを強調。その上で国家(コモンウェルス)をつくっている自然人たる人間とは何かを考えた。
⇒人間は自然権をもち、「自然状態」とした。詳しくは↓↓↓
そこで「自然状態」を解消するために出てくるのが「強制権力」(リヴァイアサン)
⇒国家の絶対権力を強調する以上、市民の革命権や抵抗権といった考え方は出てこない
※こうしてみると、ホッブズが絶対王政を正当化したと言われるのも不思議ではないのですが、彼が生きた時代を考えると、当時は市民革命の渦中であり、どうしたらこの動乱がおさまるかを必死に考え抜いた結果として“仕方なく”絶対王政を正当化したという側面があるということも見逃せません。“絶対王政最高!”というようなポジティブな感覚ではなかったというのは案外重要だと思います。
・ロックの国家論
…国家の根拠はホッブズと似ている
簡単にみると・・・
「自然法」の存在を主張→しかし、共通権力が存在しない自然状態ではこの自然法を維持する主体が存在しない→各人がそれぞれの自然法を行使→「戦争状態」と変わらない→その解決策は、社会成員の一人ひとりがこの自然の権力を放棄し、それを共同体の手に委ね、1個の政治体を結成することに同意すること、という主張。
ホッブズとの違い:「労働による私有財産の獲得」という論理を組み込んだこと
⇒国家の役割はホッブズのように生命の保存だけではなく、労働によって獲得された私有財産の保全も含むようになった
更にロックは、市民の「革命権」と「抵抗権」についても言及
⇒もし国家が生命と財産の保全という基本原則を破るようなら、市民は国家を取り替えることができると主張
ロックについては以下も↓↓↓
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ここまで、もっぱら国家に焦点を当ててきましたが、ホッブズとロックの議論の画期的な意義は、「個人の析出」にありました。これが「原子論的・機械論的国家論」につながるのですが、これについては19Cドイツの「有機的国家論」との比較で改めて書きます。この2つは先に触れたように「下からの改革」と「上からの改革」を理解しておくとより深まるかと思います。
諸富徹『私たちはなぜ税金を納めるのか』新潮社、2013年