イギリス革命について
イギリス革命について考えてみます
・イギリス革命について
・イギリスでは、1603年にスコットランド出身のステュアート家が
王位を継ぐということが起きた
※当時は、大地主の貴族やジェントリが地方の行政や議会で重要な役割を演じていた
→その背後では、商工業の発達で市民層が力を伸ばしていた
→一方で農村では、今までの領主層が力を失い、独立自営農民(ヨーマン)が活躍した
→富農の一部は、副業として毛織物マニュファクチュアを営んだ
=しかし、結果的に国王のジェームズ1世という人は、
王権神授説を提唱して専制政治を行った
※王権神授説・・神から授かった王権は人民にコントロールされないという考え方のこと
→国民のあいだでは、以下のような動きに対して批判が起きた
・国王が議会を無視して新しい税を取り立てた
・少数の大商人に独占権を与えた
※このような批判があったため、国教会に対する
カルヴァン派(ピューリタン、清教徒)の不満も強くなった
・1628年に、国王の専制政治を国民の歴史的な権利にもとづいて批判した権利の
請願が可決された
※しかし、1629年に議会を解散したチャールズ1世という人は、
その後11年間は議会を開かなかった
→その後、同君連合の関係にあったスコットランドで1630年代の終わりに反乱が起きた
→そこで、国王は、1640年の春に11年間の沈黙を破って議会を開いた
=これが、イギリス革命(ピューリタン革命)の発端になった
・国王は、1640年の春に議会と対立するとすぐに議会を解散した
※この議会を短期議会という
・その後、同じ年の秋に再び議会を招集した
※この議会を長期議会という
→長期議会でも国王は激しく批判された
=結果的に、1642年には王党派と議会派との間で
内戦が起こるようになった
※議会派は、独立派と長老派に分かれた(この2つは、
教会制度についても考え方が違っていた)
・独立派・・国王との戦いを徹底しようとする派閥
・長老派・・より穏健的で、立憲王政をめざす派閥
→独立派のクロムウェルという人は、ピューリタンを中心によく統率された鉄騎隊を編制し、
議会派を勝利させた
=その後、クロムウェルは以下のようなことを行った
・議会から長老派を追放した
・1649年にチャールズ1世を処刑して、共和政を作った
・ジェントリ出身のクロムウェルは、共和政を作った後に以下のようなことを行った
→・財産と参政権の平等を求めて、議会派の軍隊内で支持を広めていた水平派を弾圧した
・一方で、王党派の拠点となったという理由でアイルランドやスコットランドを征服した
※特に、大規模な土地の没収が強行されたアイルランドは、事実上植民地化された
→上のような動きがあった時でも、イギリスの重商主義政策は推進された
※中でも1651年に制定された航海法は、イギリスとその植民地への輸入品を
イギリスか原産国の船で輸送することを定めた
→航海法は、中継貿易を中心とするオランダに打撃を与えた
=そのため、イギリスとオランダとの間で、
第1次のイギリス=オランダ(英蘭)戦争が起きた
※イギリスとオランダとの戦いは、その後1660年代と1670年代にもあったが、
イギリスが優勢のうちに終わった
=結果的にイギリス革命は、資本主義経済の自由な発展を妨げる特権商人の
独占権を廃止するなど、市民層の立場を強めていった
※このような変革を「市民革命」という
→市民革命は、アメリカ独立戦争やフランス革命とも共通する面があったと言われている
ポイント
・イギリス革命までの流れと背景についておさえる
・イギリス革命の内容とその後、英蘭戦争についておさえる
このあたりが今回のポイントです