デカルトについて -合理論-
デカルトについて考えてみます
・デカルトについて
・デカルトは合理論の生みの親と言われている。「方法序説」や「省察」などの本を書いた
・デカルトは、良識を重視した
・良識について(良識=理性と捉えられる)
→・良識とは、正しく物事を判断し、真偽を見極める能力のこと
・良識は、全員に平等にあるが、その良識を正しく使うことが大切だと考えた
※正しく使うところに人間の知恵と徳との共通の基礎がある
※デカルトの考える良識な人とは・・良い判断力を働かせて自分を作る人のことを指す
・デカルトの考え方
・根本・・自分の生活を正しく導く意志が大切だと考えていて、
そのために学問と生き方を一つにまとめることが大切だと考えた
・情念(感情や欲望)に左右されることなく、良識にもとづいて物事を実践していくべきだと考えた
・高邁の精神(神や教会の支配を避け、自分自身が自由を目指す心の気高さ)が
大切だと考えた
※高邁の精神は、「情念に最も効く薬」だと考えた
※合理論の代表的な人に、「エチカ」を書いたスピノザ、
「単子論」を書いたライプニッツなどがいる
・方法的懐疑について
・デカルトは-・適切に良識を使う事が大切だが、人々は実際のところ良識を
間違って使っているとした
・人間は正しいことと間違っていることをはっきり区別しないで、
本当らしさに引きずられているとした
→この2つの人間的事実からデカルトは自分の哲学をスタートさせた
・方法的懐疑とは・・
→確実な知識を得るために、全てのものを疑い、少しでも疑わしいものは
全て間違いであるとする考え方のこと
※デカルトはこの考え方のもと、実在するものや数学の答えなども疑うようになった
→しかし、様々なものを疑い続けたら、一つだけ疑うことができないものに気づいた
=疑っている自分自身だけは疑うことができないということがわかった
→この考え方を、デカルトは
「われ思う、ゆえにわれあり(コギト=エルゴ=スム)」と表現した
・近代的自我について
→デカルトは、ルネサンスや宗教改革にあった「個人の信仰」をさらに徹底させて、
近代的自我を誕生させようとした
・近代的自我に対するデカルトの考え方
・人間=「考える」もの(理性)とした→自分や自己を全て「考えるもの」に置き換えた
→このような考え方から、神や教会の支えは無く、全ての物事を自分の意志で行うことが
近代的自我であると考えた
・物体と精神に対する考え方について
・デカルトは、ベーコンの帰納法に対して演繹法を提唱した
※演繹法・・既存の事実から推測をして、様々な結論を導くこと
→この考え方のもと、デカルトは数学の考えを自然研究(哲学など)に
持ってくることで、不確実なものを全て無くそうと考えた
・デカルトは、方法的懐疑によって自分が物心二元論の立場に立つことがわかった
※物心二元論・・物体のことをいくら考えても物体であり、
精神とは全く別物であるという考え方のこと
→デカルトはこのような考え方から2つの考えを導き出した
・精神を主体に考えたい(物体が精神の邪魔をする)
・物事はただの物質であり、自然やモノに目的など無い=この考え方を機械論的世界観と言う
※ただし、この考え方だと・・
・人間も機械ということになる
・しかし、実際は精神と身体は関連している
→ということになり、デカルトは矛盾を抱えたので、
この矛盾が次の世代の課題となった
※スピノザは、物心二元論と機械論的世界観を批判して、「神即自然」の立場を取った
・神即自然・・自然は生きている(=精神はある)とする考え方のこと
※また、スピノザやライプニッツは汎神論(有神論)を提唱した
・汎神論・・全てのモノには神が宿り、神=全てのものごとであるという考え方のこと