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	<title>アラエス &#187; 蒋介石</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>第一次大戦後の日本の混乱の様子をまとめてみた　－不景気の日本と中国との関係－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2506</link>
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		<pubDate>Thu, 20 Feb 2014 10:33:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[世界恐慌]]></category>
		<category><![CDATA[労働争議]]></category>
		<category><![CDATA[娘の身売り]]></category>
		<category><![CDATA[小作争議]]></category>
		<category><![CDATA[日本の不景気]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[満州]]></category>
		<category><![CDATA[蒋介石]]></category>
		<category><![CDATA[財閥]]></category>
		<category><![CDATA[軍部]]></category>

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		<description><![CDATA[第一次大戦後の日本の混乱の様子　 &#160; &#160; &#160; 第一次世界大戦後の日本は、不景気が続いていた ※1929年に世界恐慌の影響も受けて、日本の不景気がさらに深刻になった →不景気によって、以下のよ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2506">第一次大戦後の日本の混乱の様子をまとめてみた　－不景気の日本と中国との関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第一次大戦後の日本の混乱の様子　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦後の日本は、<strong>不景気</strong>が続いていた</p>
<p>※1929年に<strong>世界恐慌</strong>の影響も受けて、日本の不景気がさらに深刻になった</p>
<p>→不景気によって、以下のようなことが起きた</p>
<p>・都市：多くの企業が倒産、失業者が増えた</p>
<p>・農村：農産物が値下がりし、生糸の輸出が減ったことで、養蚕農家も打撃を受けた</p>
<p>・東北地方や北海道：冷害で凶作になり、「<strong>娘の身売り</strong>」が問題になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→不景気に対して、以下のようなことが起きた</p>
<p>・企業の賃金の切り下げや解雇などに対する<strong>労働争議</strong>が増えた</p>
<p>・農村でも<strong>小作争議</strong>が激しくなった</p>
<p>※労働争議や小作争議は、<strong>治安維持法</strong>によって取り締まられた</p>
<p>・<strong>財閥</strong>が倒産した会社や銀行の合併などによって、さらに勢力を広げた</p>
<p>・財閥と政党政治家が選挙資金などを通して強く結びつき、汚職なども何度か起きた</p>
<p>※汚職は、国民の間で政党政治や財閥に対する不満と不信が強くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>不景気の裏で、中国の<strong>蒋介石</strong>が共産党をおさえ、国民政府の手によって<strong>中国をほぼ統一</strong>した</p>
<p>※日本政府と軍部は中国に介入したが、失敗に終わっている</p>
<p>→一方で、<strong>満州</strong>では、日本に奪われた権益を取り戻そうとする動きが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※加えて、世界恐慌や日本の不景気が、日本の植民地（台湾や朝鮮）に重くのしかかった</p>
<p>＝だから、学生、労働者、農民を中心に、日本に対抗する運動が激しくなった</p>
<p>→1930年には、先住民が警察署や学校をおそっている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→そこで、日本国内では、軍部や国家主義の団体が、恐慌による日本の危機を中国に侵略することで突破していこうとした</p>
<p>※財閥の中にも、<strong>軍部</strong>と結んで大陸進出を目指す動きが起きた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2506">第一次大戦後の日本の混乱の様子をまとめてみた　－不景気の日本と中国との関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2474</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2474#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 07 Feb 2014 06:05:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[三・一独立運動]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[中国国民党]]></category>
		<category><![CDATA[五・四運動]]></category>
		<category><![CDATA[同化]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[封建主義]]></category>
		<category><![CDATA[帝国主義]]></category>
		<category><![CDATA[蒋介石]]></category>

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		<description><![CDATA[大戦後の朝鮮と中国の民族運動について →代表的なものとして、三・一独立運動と五・四運動があげられる &#160; &#160; 日本の植民地とされた朝鮮の人たちは、1919年3月1日に、ソウルなどの都市で朝鮮の独立を宣言 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2474">第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大戦後の朝鮮と中国の民族運動について</p>
<p>→代表的なものとして、<strong>三・一独立運動</strong>と<strong>五・四運動</strong>があげられる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本の植民地とされた朝鮮の人たちは、1919年3月1日に、<strong>ソウル</strong>などの都市で朝鮮の独立を宣言した</p>
<p>※運動自体は、平和的に非暴力で進められた</p>
<p>→日本は、軍隊や警察の力で運動を弾圧した</p>
<p>→日本の弾圧に対して、朝鮮の人々は各地で立ち上がり、独立運動が朝鮮全体に広がっていった</p>
<p>※日本が朝鮮をおさえつけていたため、多くの犠牲者が出た</p>
<p>→結果的に、運動は3カ月にわたって続けられ、約200万人が参加し、自由と独立を求める朝鮮の力を内外に示した</p>
<p>＝これら一連の独立運動を、三・一独立運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※三・一独立運動の後、学校での朝鮮語の授業がだんだん少なくなり、<strong>日本への同化</strong>が進められた</p>
<p>※1929年に朝鮮で、日本人の中学生が朝鮮人の女学生を侮辱した、という出来事によって、争いが起きたが、結果的に朝鮮人学生ばかりが非難された</p>
<p>→この非難をきっかけに、再び日本の支配に反対する運動が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1919年5月4日に中国で、<strong>ペキン</strong>の学生が日本の侵略に反対する運動を起こした</p>
<p>※この時に、労働者や商人もストライキで参加した</p>
<p>→結果的にこの運動は、外国の<strong>帝国主義</strong>と国内の<strong>封建主義</strong>に反対する革命運動になって、各地に広がった</p>
<p>＝これら一連の運動を、五・四運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※この時に<strong>孫文</strong>が<strong>中国国民党</strong>を作って、革命運動を進めた</p>
<p>→この勢いもあって、労働者や農民の運動も高まり、1921年に<strong>中国共産党</strong>が作られた</p>
<p>＝孫文は結果的に、ソ連や中国共産党と手を結んで、革命運動を発展させた</p>
<p>※ただし、孫文が死ぬということが起きた</p>
<p>→その後、<strong>国民党</strong>の<strong>蒋介石</strong>は、資本家や地主、外国の勢力などと手を結んだ</p>
<p>＝結果的に1927年に、ナンキンに国民政府を作って、中国共産党と対立した</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2474">第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>東アジアと東南アジアの分断について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1055</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1055#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 16:37:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後世界史・冷戦・第三世界]]></category>
		<category><![CDATA[インドシナ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[カイロ会談]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム独立同盟]]></category>
		<category><![CDATA[中ソ友好同盟相互援護条約]]></category>
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		<category><![CDATA[大韓民国]]></category>
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		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
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		<description><![CDATA[東アジアと東南アジアの分断について考えてみます &#160; &#160; ・東アジアと東南アジアの分断について &#160; &#160; 　・中国は戦後、５大国の一員としての地位を認められた 　　※しかし、国内では第 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1055">東アジアと東南アジアの分断について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東アジアと東南アジアの分断について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東アジアと東南アジアの分断について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は戦後、５大国の一員としての地位を認められた</p>
<p>　　※しかし、国内では第二次大戦の末期から、国民党と共産党の戦いが復活した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→蒋介石は１９４８年に総統になったが、国民党幹部の腐敗、激しいインフレによる</p>
<p>　　　　経済の混乱などで、民衆から批判された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→共産党はこの間に、農村で土地の改革を実行して農民を支持を得た</p>
<p>　　　　※支持を得た後に、１９４７年から反攻に出た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→その後、国民党軍が負けを重ねたため、１９４９年１２月に蒋介石が台湾に逃げ、</p>
<p>　　　　台湾で中華民国政府を維持した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・共産党は、１９４９年の９月に、民主勢力を北京の人民政治協商会議に招集した</p>
<p>　　→この会議で１０月に、毛沢東を主席として、周恩来を首相とする</p>
<p>　　　中華人民共和国の成立を宣言した</p>
<p>　　　※この時に、首都を北京と定めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５０年２月に、モスクワで中ソ友好同盟相互援助条約が調印された</p>
<p>　　※この時に、中国は社会主義圏に参加する姿勢を見せた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５３年に、第１次五カ年計画によって、工業化と農業の集団化を推進した</p>
<p>　　※そして、１９５４年に新憲法が採択された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※新中国は、社会主義諸国をはじめとしてインドやイギリスなどから承認された</p>
<p>　　　→しかし、アメリカは台湾の中華民国政府を中国の正式代表とする立場をとった</p>
<p>　　　　＝そのため、長い間中華人民共和国と対立することになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮は、１９４３年のカイロ会談で第二次大戦後の独立が承認されていた</p>
<p>　　※しかし、戦後は北緯３８度線を境界にして、北半分をソ連が、</p>
<p>　　　南半分をアメリカが管理した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、１９４８年に南部で、アメリカから帰国した李承晩という人を大統領にして</p>
<p>　　　大韓民国（韓国）が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→また、北部で、金日成という人を首相（１９７２年以降主席）として、</p>
<p>　　　朝鮮民主主義人民共和国（北朝鮮）の独立が宣言された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝その結果、完全に南北が分立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フィリピンは、日本に対する抵抗運動が活発だった</p>
<p>　　→１９４６年にフィリピンは、フィリピン共和国として独立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オランダ領東インドでは、１９４５年８月にスカルノという人を指導者として、</p>
<p>　　インドネシア共和国の成立が宣言された</p>
<p>　　※オランダは、武力で介入したものの、失敗に終わった</p>
<p>　　　→そのため、１９４９年にインドネシア共和国は独立を達成した</p>
<p>　　　　※この時に、スカルノが初代大統領になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランス領インドシナでは、ホー＝チ＝ミンが日本の占領下に、</p>
<p>　　ベトナム独立同盟（ベトミン）を組織した</p>
<p>　　→そして、終戦直後にベトナム民主共和国の独立を宣言した</p>
<p>　　　※しかし、フランスはこの独立を認めなかった</p>
<p>　　　　→そのためフランスは、１９４９年に阮朝最後の王であったバオダイを建て、</p>
<p>　　　　　フランス連合国内の一国としてベトナム国を発足させた</p>
<p>　　　　　※フランス第四共和政は、１９４６年憲法で、フランスの海外領と植民地を</p>
<p>　　　　　　フランス連合と規定した</p>
<p>　　</p>
<p>　　→この一方で、フランスはベトナム民主共和国と戦った</p>
<p>　　　＝この時の戦いを、インドシナ戦争という</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→インドシナ戦争で、１９５４年にフランスが、ディエンビエンフー</p>
<p>　　　というところで負けた</p>
<p>　　　＝そのためフランスは、ベトナムとジュネーヴ休戦協定を結んで、</p>
<p>　　　　インドシナから撤退した</p>
<p>　　　　※この時に、北緯１７度線を暫定的軍事境界線として南北間を分けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５３年に、カンボジアが完全な独立を果たした</p>
<p>　　※カンボジアは、シハヌークという人のもとで中立政策を進めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５３年に、ラオスも独立した</p>
<p>　　※しかし、左派と右派の政治的な勢力の対立が原因で、内戦が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東アジアの国々の戦後の動きをおさえる</p>
<p>・東南アジアの国々の戦後の動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1055">東アジアと東南アジアの分断について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>中国の国民党と共産党について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1032</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1032#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 08:15:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[中華ソヴィエト共和国臨時政府]]></category>
		<category><![CDATA[五・三〇運動]]></category>
		<category><![CDATA[北伐]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[山東出兵]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[第1次国共合作]]></category>
		<category><![CDATA[蒋介石]]></category>
		<category><![CDATA[軍閥打倒]]></category>

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		<description><![CDATA[中国の国民党と共産党について考えてみます &#160; &#160; ・中国の国民党と共産党について &#160; &#160; 　・１９１９年に、ソヴィエト政府が中国に対して、外務人民委員代理の 　　カラハンという人の [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1032">中国の国民党と共産党について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中国の国民党と共産党について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国の国民党と共産党について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１９年に、ソヴィエト政府が中国に対して、外務人民委員代理の</p>
<p>　　カラハンという人の名前で、旧ロシア政府が中国に対して持っていた</p>
<p>　　全ての帝国主義的特権の放棄を宣言した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２１年に、コミンテルンの支援によって、陳独秀を指導者とする</p>
<p>　　中国共産党が結成された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、国民党の教化を目指していた孫文が、ソ連の援助を受けて顧問を招き、</p>
<p>　　１９２４年に国民党を改組して党の組織の近代化を狙った</p>
<p>　　※これに加えて、共産党員が個人の資格で国民党に入党することを認めた</p>
<p>　　　＝これを、第１次国共合作という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・孫文は、「連ソ・容共・扶助工農」をかかげて、打倒軍閥、打倒帝国主義の</p>
<p>　　路線を打ち出した</p>
<p>　　※孫文は１９２５年に病死した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２５年に、上海の日本人経営の紡績工場での労働争議をきっかけとして、</p>
<p>　　五・三○運動が起きた</p>
<p>　　※この運動は、中国で打倒帝国主義運動の盛り上がりを示したと言われている</p>
<p>　　</p>
<p>　　※五・三〇運動とは</p>
<p>　　　・会社側によるスト労働者の射殺に抗議するデモ隊が、５月３０日に</p>
<p>　　　　上海の租界警察に弾圧され、数十名の死傷者を出した事件のこと</p>
<p>　　　・五・三〇運動は、全国的に拡大していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２５年７月に、国民党が広州で国民政府を誕生させた</p>
<p>　　→次の年に、蒋介石を中心とした国民政府軍が中国の統一を目指して北伐を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・軍閥打倒は、共産党員の指導する農民運動に支援されて、順調に進んだ</p>
<p>　　※１９２７年３月には、南京と上海を占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、国民政府の内部では、大衆運動の拡大を目指す共産党員などの左派と、</p>
<p>　　左派を警戒する右派とが対立を深めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・蒋介石は、１９２７年４月に、上海クーデタを起こして、共産党を弾圧した</p>
<p>　　→その後蒋介石は、南京に国民政府を作って主席になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２８年に、北伐が再開された</p>
<p>　　※その後すぐに、北京にせまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、国民政府の全国統一を妨害するために山東出兵を繰り返した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、今まで日本が支援していた奉天軍閥の張作霖という人が北伐軍に負けて、</p>
<p>　　北京から東北へ引き上げるということを行った</p>
<p>　　→日本軍は、張作霖が東北に引き上げる途中に、列車を爆破して張作霖を死亡させ、</p>
<p>　　　東北の支配を狙った</p>
<p>　　　※しかし、この戦略は失敗に終わった</p>
<p>　　　※さらに、張作霖の子どもの張学良という人が、日本に対抗するために</p>
<p>　　　　国民政府の東北の支配を認めた</p>
<p>　　　　＝そのため、国民政府の全国統一が一応達成された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・蒋介石は、上海を中心に銀行資本を通して中国の経済界を支配していた</p>
<p>　　浙江財閥と手を組んだ</p>
<p>　　→蒋介石は、この行動によって、アメリカやイギリスの支配のもとに</p>
<p>　　　国民党一党独裁体制による統一政権を目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で中国共産党は、１９２７年に国共分裂が起きてから、数回の蜂起を狙った</p>
<p>　　※しかし、この蜂起は失敗に終わった</p>
<p>　　　＝そこで中国共産党は、農村でソヴィエト政権を作る方針に変えていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・毛沢東を中心とした紅軍（共産党軍）が、井崗山で作った根拠地が</p>
<p>　　しだいに広がっていった</p>
<p>　　＝その結果、１９３１年に、江西省瑞金に毛沢東を主席とする</p>
<p>　　　中華ソヴィエト共和国臨時政府が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※国民政府はソヴィエト政権に対して包囲戦を繰り返した</p>
<p>　　　→しかし、これを消滅させることができなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中国の国民党と共産党についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1032">中国の国民党と共産党について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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