民主主義の再検討―価値判断と事実の問題から

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投稿者:       投稿日時:2013/08/07 17:08      
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ダール著『デモクラシーとは何か』を読むことにおいて、私たち一般大衆がよりよい生活を送るため、または、そのような生活を送るためにどのように政治を運営してほしいのか、どういう政策を実現してほしいのか、などを主張するための政治制度として、民主主義が最もふさわしいと言えるのかを検討するという意味で、この本を読むことに意義があると思います。また、民主主義がふさわしい、もしくはふさわしくない、のどちらだとしても、政治制度について詳細に検討し考えることで、いずれ豊かな生活へと導くことにつながるだろうという点で、民主主義について考えることは非常に意義のあることだと思います。

 民主主義は価値判断の問題として、他の政治制度と比較して望ましいかという論点で、私は望ましいのではないかと考えています。その最大の根拠は、本質的平等の原理です。ダール氏は、「すべての人間が、生命、自由、幸福をはじめとする基本的な善や利益を平等に要求しうるものとして扱われるべきである」(ロバート・ダール『デモクラシーとは何か』岩波書店、2001年、88頁)という内容の道徳的判断を本質的平等の原理と呼んでいます。この原理には私も大いに賛同します。なぜなら、道徳的な問題としてそうあるべきであるからとしか言いようがなく、論理的に説明するのは今の私には難しいです。しかし、支配的な政治制度と比較して考えた際に、独裁者が市民を抑圧し、暴力的な権力をふるうような政治体制よりも、民主主義の方がふさわしく、受け入れやすい制度であることは間違いないと言うことができるでしょう。この点から民主主義の方が望ましいのではないかと考えています。

 「一人一票」の原則は、価値判断の問題からすれば擁護できると考えられます。その根拠としては、これも本質的平等の原理と深くかかわっています。人間としての基本的な諸権利や利益などを保障するためには、政治への実質的な参加が不可欠です。これを具体化したものが「一人一票」の原則だと考えられます。その意味で価値判断の問題からは「一人一票」の原則は擁護できると考えられます。一方、事実の問題としては微妙なところだと思います。まず問題となるのが規模の要因である。民主政治に関して、国のように集団が大規模になると、どのようにしたら大規模な集団でも市民参加が可能になるのかという点が問題となる。これを解決するためには、選挙で代表を選ぶ代表制が有効だと考えられますが、こうした場合には一票の格差が伴うことになる。一票の格差とは、有権者数が選挙区によって異なるために、有権者数が少ない選挙区ほど一票の価値が大きくなるということです。こうした格差が生じた状態で政治的平等と言えるのかを考えると、疑問が残ります。ダール氏は、「政治的平等を望ましいものとして受け入れるならば、市民の一人ひとりがすべて、平等かつ実際に行使できる投票の機会をもつだけでなく、すべての票が同じ重さをもつものとして数えられなければならない」(ロバート・ダール『デモクラシーとは何か』岩波書店、2001年、130頁)と述べている。

 では、すべての票が同じ重さをもつようにするためにはどうしたら良いのか。対策としては、選挙区の修正が考えられます。しかし、修正の仕方によっては地域の代表という性質が薄れてしまう可能性があるので、問題が残ります。ほかには、一票の価値が小さい地域では一人二票にするというのも考えられる。しかし、これに関しては複数の候補者に投票できてしまうので、不平等感が強い。事務量に関しても単純に二倍になるのでコストもかかる。どちらにしても、格差の是正はできたとしても、事実の問題として完全に一票を同じ重さにするのは難しいと考えられる。これらの点から、事実の問題として「一人一票」の原則を擁護しきるのは難しい。ただ、「一人一票」の原則を超えたふさわしい考え方が見当たらないのも事実であるから、価値判断の問題も含めて考えれば、「一人一票」の原則は擁護されるべきだと思います。

 優秀な守護者・専門家に決定を委任するのではなく「素人である一般大衆が最終決定する」という原則は、価値判断の問題としては擁護できると思います。これに関しては、あくまでも「最終決定」を一般大衆に委ねるという点を重視すべきだと言うことである。意志決定をする際に、合理的な決定を行うためには、その道に長けた専門家の意見を参考にすることはもちろん重要なことでしょう。しかし、そうした意見を参考にしたうえでどういう決定をするかは、本人の意志で決定されるべきだと思います。この点に関して、ダール氏は、「従属的な決定を専門家にまかせることと、主要な決定についての最終的な統制手段を専門家に引き渡すこととは同じことではない」(ロバート・ダール『デモクラシーとは何か』岩波書店、2001年、96頁)と述べている。この点から、価値判断の問題としては擁護できると考えられます。

 事実の問題としては、かろうじて擁護できると考えられる。その根拠としては、自らが望む政策を掲げた候補者に投票し、その候補者が選ばれた場合には、間接的にではあるが、一般大衆が最終決定をしていると考えることができるからである。しかし、事実の問題として候補者が掲げた政策をそのまま思うように実行しているかと考えると、疑問が残る。近年の日本においては、公約通りに進まないことの方が多いように思われる。すなわち、公約が選挙で当選するためだけの形式的なものとなっていると考えられます。こうした問題点を解決できれば、一般大衆が最終決定するという原則は擁護しうるものになると思います。

 これまで述べてきたことを踏まえたうえで、どのような民主主義のしくみを設計すればうまく運営できるかという論点を考えてみる。民主主義のしくみは、規模や文化の多様性、市民の能力など、さまざまな要因で設計する制度が国ごとに異なると考えられるので、ここでは日本に絞って考えてみる。日本においてうまく運営できる民主主義の設計は、他に選択肢がないという点で現状の議院内閣制ではないかと考えられる。現在うまく運営できているとは決して思えないが、規模の要因からみて代表制は絶対的に必要だと考えられる。また、一院制という議論もあるが、暴走気味の議論にストップをかけるという意味では、二院制の方がふさわしいと考えられる。これらの点から、日本の現在の政治制度自体にそれほど大きな問題があるとは思えない。すなわち、最終的には政治家の力量によって国の方向性が決まると言える。しかし、うまくいかないのは政治家の力不足だけではないはずである。国民自身も政治に関心を持ち、ちゃんとした力量をもった政治家を選ぶ能力を身につけなければならないでしょう。

 今後は、日本の首相を議会による指名ではなく、国民が直接選んだ場合にうまくいくのであろうか、ということにも注目する必要があると考える。首相が自ら選べるとなれば政治への関心は高まると考えられる。また、国民の責任も大きくなるので、慎重に一票を投じることになる。こうした環境のなかで慎重に選ばれた首相であれば、多少の失敗はあっても、直接選んだのだから長い目でみていこうという雰囲気が高まり、長期的にはうまく運営できるのではないかと考えられる。

 

参考文献

ロバート・ダール『デモクラシーとは何か』岩波書店、2001年

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