政治のスタイルや体制について② -社会主義と民主化-
政治のスタイルについて、世界を比較しながら考えてみます
・社会主義について
・社会主義とは・・資本主義を無くして、人々が元々持っている自由と平等を
復活させようとする考え方のこと
※社会主義へ向かう方法として代表的なものに3種類存在する
・マルクス・レーニン主義・・革命を起こすことで独裁の権力を得る考えのこと
・社会民主主義・・議会制民主主義を土台にして、少しずつ社会主義を
目指して行こうとする考え方のこと
・民主社会主義・・資本主義の中で、社会的な部分(福祉など)を変えていくことを
目指す考え方のこと
・社会主義は、基本的に共産党の一党独裁だから、全ての権力が共産党に集中する
・中国の政治スタイルについて (中国の一党独裁が有名)
・中国で最も権力のある機関は、一院制の全国人民代表大会(全人代)
※全人代は年に一回開催され、解散はない
・全人代の下に、国務院と最高人民法院がある
・国務院・・行政を担当する機関で、国務院のトップの人が首相にあたる
・最高人民法院・・司法を担当する機関のこと
・全人代には、いつも設けてある機関として、常務委員会という機関がある
・常務委員会・・法令を決める、法律の解釈をする、条約に同意する、など
様々な権限を持っていて、様々なことを行う機関のこと
・共産党は、中国の政府の中でも権力が強く、共産党が全人代の中心も担っている
・中国と社会主義の歴史
・1991年12月にソ連邦が解体し、世界的にも大きな出来事だった
→この出来事によって、共産党が一党制から複数政党制に変わり、
社会主義経済から市場経済に変わった
・中国は、経済中心の改革開放政策という政策を展開し、外国のお金を
中国に取り入れることで、経済の自由化を狙った
→結果的に、中国が資本主義と社会主義の区別がつかなくなった
・中国では、政治の自由化を目指して、共産党の一党独裁を批判する運動が起きている
(例:1989年の天安門事件)
→共産党は、経済の自由化は狙っても、一党独裁の体制は変えようとしていない
※天安門事件・・民主化を求める人達が天安門広場という場所に集まったが、
集まった人達が武力によって結果的に鎮圧された事件のこと
この事件によって、ヨーロッパの国々から批判され、
中国は経済的に罰を受けている
・民主化の動きへの歴史と社会主義に揺れる国々について
・第二次世界大戦の終了後、中南米を始めとして多くの国が、
一党独裁や軍事政権の支配を受けた
※軍事政権・・軍隊の力を使って、軍人が政治を仕切るという政治スタイルのこと
→しかし、1980年代になると中南米や東アジアの国々が、
一党独裁や軍事政権を辞めた
※なぜ、一党独裁や軍事政権を辞めた国が多かったのか・・
・開発独裁体制(福祉などを後回しにして、経済の開発に力を入れる体制のこと)を
行ってある程度の結果を出した
→その時に、中流の階級の人というのが誕生し、この誕生が一党独裁や軍事政権に
嫌悪感を抱くようになり、結果的に政府が倒される、という流れが一般的だった
※実際にこのような流れになった例として、
韓国やフィリピン、インドネシアなどがある
→一方で、アフリカの貧しい国などは、一党独裁や軍事政権の状況から抜け出せずに
苦しんでいる場面もある
・イスラム諸国の政治スタイルについて
・イスラム諸国の人々が、自分の国の経済や社会に不満が多いため、
昔からのイスラムの教えのに戻ることを考える人達が増えてきた
=このように、昔のイスラムの教えに戻る考え方を、
イスラム原理主義(イスラム復興主義)と言う
※このような考え方は、イラン革命という革命の後に強い流れとなっている
・イラン革命以降の動き
・宗教の雰囲気が強く、欧米化に反対するような政治の仕組みを作るところが現れた
・イスラム原理主義を目指す派と反対派で武力による争いがある
ポイント
・社会主義への方法は3種類あり、社会主義は基本的に共産党の一党独裁
・中国は、共産党がすごい力を持っているが、その下に全人代や国務院、最高人民法院、
常務委員会などがある
・社会主義が大きく変わったのは、ソ連邦の解体だった
・中国は改革開放政策などを行っているが、天安門事件なども起きている
・第二次世界大戦後は、一党独裁や軍事政権などが出てきたが、
1980年代に開発独裁体制などで、一党独裁や軍事政権などが衰退していった場所がある
・貧しいアフリカなどでは独裁の状況から抜け出せていない
・イスラムでは、イスラム原理主義が強い