第二次世界大戦でのファシズムの敗北と大戦の終了について
第二次世界大戦でのファシズムの敗北と大戦の終了について考えてみます
・第二次世界大戦でのファシズムの敗北について
※太平洋戦争が始まると同時に、ドイツとイタリアがアメリカ合衆国に宣戦した
=その結果、枢軸国と連合国との戦争になり、世界全体での戦争に発展していった
※・枢軸国・・日本、ドイツ、イタリアなどのファシズム勢力
・連合国・・アメリカ、イギリス、ソ連などの反ファシズム勢力
・1942年の後半から、以下のような形で連合国軍は総反撃に出た
→・1943年の初めに、ソ連軍はスターリングラード(現在のヴォルゴグラード)で
ドイツ軍を降伏させた
・アメリカ軍が、日本軍をガダルカナル島から撤退させて、
以後太平洋地域の日本軍をどんどん倒していった
・連合軍が北アフリカに上陸した後、イタリア本土にせまるということが起きた
→すると、イタリア国内では、軍部やファシスト党の内部からムッソリーニに
反対する動きが出てきた
=その結果、1943年7月に、ムッソリーニが国王に解任され、
ファシスト党が解散した
→そして、1943年9月に、連合軍がイタリア本土に上陸するということが起きた
=その結果、イタリア新政府(バドリオ政府)は無条件降伏を申し出た
・1941年8月に、ローズヴェルトとチャーチルとの会談で大西洋憲章が発表された
→大西洋憲章には、その後ソ連など26カ国が加わり、
1942年1月の連合国共同宣言で戦後の構想の原則として確認された
・1943年11月に、ローズヴェルト、チャーチル、蒋介石の3人がカイロ会談という会談が行なわれた
→この会談で、日本の処理方針を決めたカイロ宣言が発表された
・その後、ローズヴェルト、チャーチル、スターリンがテヘラン会談という会談を行った
→この会談では、連合軍の北フランス上陸作戦が協議された
=この会談の内容にもとづいて、1944年6月に、アイゼンハウアーを指導者とした連合軍が
ノルマンディーに上陸した
・連合軍が8月にパリに入り、ド=ゴールが臨時政府を作った
・1945年2月に、アメリカ、イギリス、ソ連の3国の首脳がクリミア半島の
ヤルタというところでヤルタ協定を結び、以下のようなことを決めた
→・ドイツの処理の概要
・秘密条項として、ドイツ降伏後のソ連の日本への参戦 など
・ドイツが、連合軍の空襲によって多くの都市や工業施設や交通網が破壊された
→そのため、1945年にドイツが総崩れになった
※さらに、1945年4月の終わりにヒトラーが自殺するということが起きた
=その結果、ベルリンが占領され、1945年5月7日にドイツが無条件降伏した
・太平洋の地域では、アメリカが以下のようなことを起こした
→・アメリカ軍が1944年中にサイパン島とフィリピンのレイテ島を奪回した
・アメリカ軍が1945年2月にマニラを奪回した
・アメリカ軍が1945年4月に沖縄本島に上陸した
※沖縄本島の時に、アメリカ軍が日本本土への爆撃を強めたため、
主要な都市や住民が大きな被害を受けた
・1945年4月にローズヴェルトが急死するということが起きた
→そこで、トルーマンという人が大統領になった
・1945年7月に、チャーチル(途中で労働党のアトリーと交替)、スターリン、トルーマンの
3人でポツダムで会談を行った
=この会談で、ドイツ管理の問題の協議と、日本の降伏を求めるポツダム宣言を発表した
→その後アメリカは、8月6日に広島へ、8月9日に長崎へ、新兵器の原子爆弾を投下して、
広島市と長崎市を壊滅させた
※原子爆弾は、現在でも後遺症に苦しむ人がいた
→その裏でソ連が、ヤルタ協定にもとづいて、日ソ中立条約の規定を無視して、8月8日に日本に宣戦し、
中国東北地方、朝鮮、樺太に軍を出した
※ソ連は、1945年4月に日ソ中立条約の破棄を日本に通告していたが、規定上条約は
破棄を通告してから1年間は有効だった
※第二次世界大戦末期のアメリカとソ連の軍事行動は、
戦後世界で主導権を得ようとする意図があったと言われている
→日本は、1945年8月14日にポツダム宣言を受諾して降伏した
※ポツダム宣言の降伏は、8月15日に日本国民にも明らかにした
=このポツダム宣言の受諾によって、6年もの第二次世界大戦が終了した
ポイント
・ファシズムの敗北の様子と、連合国の動きについておさえる
・第二次世界大戦終了までの流れをおさえる
このあたりが今回のポイントです