アラブの国々の分裂とその影響について
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アラブの国々の分裂とその影響について考えてみます
・アラブの国々の分裂とその影響について
・中東でのアラブの国々とイスラエルとの対立は、
1967年の第3次中東戦争でさらに深まっていた
※この戦争の時に、イスラエルがシナイ半島とゴラン高原を占領したために、
深まったと言われている
・1970年に、ナセルのあとを、エジプトのサダト大統領という人がついだ
→サダトは、1973年にシリアと一緒にイスラエルに反撃したものの、
すぐに停戦になった
=この時の戦争を、第4次中東戦争という
→その後、サダトはイスラエルとの和解に転じた
=その結果、1979年にエジプト=イスラエル平和条約が締結された
・サダトは1981年に暗殺された
→しかし、サダトの後を継いだムバラクという人は、サダトの政策を引き継いで、
シナイ半島を返還させた
・その後、イスラエルが戦争によって占領地を併合する姿勢を見せた
→そのため、パレスチナ解放機構とアラブ人の抵抗が強まっていった
・1993年に、イスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構の
アラファト議長が話し合いによる解決を目指した
→その結果、相互承認と、パレスチナ人の暫定自治樹立で合意した
※しかし、1995年にラビン首相がユダヤ教急進派に暗殺されるということが起きた
=すると、イスラエルもパレスチナ解放機構も対決の考え方にもどった
→2003年なかば以降は、アメリカなどの働きかけによって和解する道が探されている
・エジプトがアラブ世界の中心から降りると、それにかわってイランやイラクが
主導権を目指して出てきた
※イラン、イラク、フセインでは、以下のようなことが起きていた
・イランについて
→・イランは、パフレヴィー2世による近代化の政策によって農村が
打撃を受けるようになった
→その後、1978年から国王独裁への抗議運動が全国に広がっていった
・1979年1月に国王が亡命した
→その後、フランスから宗教指導者のホメイニという人が帰国して
イラン=イスラーム共和国が成立した
=この出来事をイラン革命という
・新しい国家は、イスラームを国家の原理にかかげ、欧米の国々との
対立も考える姿勢を見せていた
・イラクについて
→・イラクは、1968年から、アラブの統一と社会主義をかかげる
バース党が権力を握った
→そして、1979年にバース党の実権を握ったサダム=フセイン
という人が大統領になった
・1980年に、フセインは国境の紛争からイランと1988年まで
続く戦争を起こした
=この戦争をイラン=イラク戦争という
・1990年に、クウェートに侵攻した
→しかし、1991年1月に、国際連合の決議によって
アメリカ軍を中心とした多国籍軍の反撃を受けたため、撤退した
=この出来事を、湾岸戦争という
・アフガニスタンについて
→・アフガニスタンでは、1996年から、イスラーム原理主義を提唱する
ターリバーンが権力を握っていた
・2001年9月11日には、4機のアメリカの旅客機が乗っ取られ、
ニューヨークとワシントンのビルに突入するという
同時多発テロ事件というのが起きた
・民主党のクリントンの後に出てきた共和党のブッシュ大統領は、
ターリバーンの保護下にあったイスラーム急進派組織のアル=カーイダが
事件の実行者であると考えた
→そこでアメリカは、2001年の11月に、同盟国の支援のもとに、
アフガニスタンに対して軍事行動を起こし、ターリバーンを追放した
=その後、アフガニスタンには国際連合の主導で暫定政権が成立し、
国内の復興を目指している
→・アメリカはさらに、2003年3月に、イラクのフセイン政権が
中東地域の脅威になっていると考えた
→この考え方から、イギリスとともにイラクに武力を発動して、フセイン政権を倒した
・イラクはアメリカ、イギリスの軍を中心にした占領統治下におかれた
※この時に日本が、復興の支援のために自衛隊を派遣した
・2004年6月に、暫定政権に主権が渡された
※しかし、外国軍の駐留や暫定政権に対する反対が続いている
→そのため、正常化への道はなおも険しいと言われている
※有力な産油地帯での紛争の多発は、世界経済にも不安を与えていると言われている
ポイント
・中東地域の歴史的な概要についておさえる
・イラン、イラク、アフガニスタンと他の国々との関係についておさえる
このあたりが今回のポイントです
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