飛鳥朝廷について③ -飛鳥文化-

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投稿者:       投稿日時:2013/10/21 18:16      
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飛鳥文化について考えてみます

 

 

・飛鳥の朝廷について

 

 ・6世紀の終わりころから、飛鳥(奈良盆地南部)という場所に、

  大王の王宮が大量に作られた

  →飛鳥に王権が集中して、その近くに王様に関する様々な施設が作られるようになった

   =飛鳥は段々と都になっていき、結果的に宮都(宮と京が一緒になるような状態)が

    作られるようになった

 

 

 

・飛鳥の文化について

 

 ・7世紀の前半に、蘇我氏が中心となって、仏教を広めようとした

  =このような仏教中心の文化を、飛鳥文化という

 

 →飛鳥文化は、渡来人の影響もあり、百済、高句麗、南北朝時代の中国の影響を受けた

   ※・百済の僧である観勒という人が暦法を伝えた

    ・高句麗の僧である曇徴という人が彩色、紙、墨の技術を伝えた

 

 

 ・当時作られた物について

 

  ・蘇我馬子・・596年に飛鳥寺(法興寺)を作っていて、

         飛鳥寺に伽藍建築が取り入れられている

    ※伽藍建築・・今までの掘立柱とは違い、礎石の上に柱を立て、

           屋根に瓦を敷く建築技法のこと

    

  ・舒明天皇・・百済大寺を作った

 

  ・聖徳太子・・四天王寺と法隆寺(斑鳩寺)を作った

    ※法隆寺は、一度焼けて、再建していると言われている

 

    →寺院を作ることは、古墳の代わりに豪族の力を示すものになった

 

 

  ・鞍作鳥・・法隆寺金堂釈迦三尊像という像を作った

    →この作品は、中国の南北朝のスタイルを取り入れて作られたと言われている

   

 

ポイント

・飛鳥文化についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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