特需と経済復興について
特需と経済復興について考えてみます
・特需と経済復興について
・戦後は、ドッジ=ラインの影響もあって、日本の経済が深刻な不況だった
※ドッジ・ライン・・復興金融金庫債の中止/補助金の削減/課税の強化などを行って、
インフレの抑制をする/1ドル=360円の単一為替レートを
設定して、貿易を活発にする/全く赤字を出さない予算を作って、
財政支出を減らす/などを目指すような政策のこと
→上のような日本経済は、朝鮮戦争という戦争で不況が少しずつ回復してきた
※朝鮮戦争の時に、特需や軍需の輸出の増加などがあったため、
繊維や金属を中心として特需景気という景気が起きた
=そのため、鉱工業の生産は1950年代初めに、戦前の水準に戻った
※特需・・兵器を含んだ軍需物資、自動車の修理など、アメリカの大量の特殊需要のこと
・1951年以降、政府は重要な産業に対して、国家のお金を大量に出したり、
税制の面で優遇するような対応をとったりした
→そのため、電力、造船、鉄鋼などの分野については活発な設備投資が行われた
※電力・・当時は深刻な電力不足だったため、中部地方の山岳地域でダムを使った
大型の水力発電が大量に作られた
※造船・・政府が中心となって、計画造船が行われたため、1956年に日本の造船量が
イギリスを抜いて世界1位になった
・1952年に、日本は国際通貨基金(IMF)と世界銀行に加盟した。
・1955年~1957年には「神武景気」という景気を、
1958年~1961年には「岩戸景気」という景気を、
1963年~1966年には「オリンピック景気」という景気を、
1966年~1970年には「いざなぎ景気」という景気をむかえ、
日本経済は急激な成長を見せていった
・太平洋戦争以降、深刻な食糧難が続いた
→そこで、以下の2つの動きが取られた
・占領地行政救済資金(ガリロア資金)による緊急の食料輸入
・農地改革による農業生産の回復
※特に、農地改革の影響については、1955年以降、米の豊作が続いたことが挙げられ、
食糧不足という問題が無くなった
→さらに、消費が朝鮮戦争をきっかけに上昇に変わった
=1956年の政府の「経済白書」というものの中で、「もはや戦後ではない」
と記されるまでになった
ポイント
・特需と経済成長についておさえる
このあたりが今回のポイントです