社会的分業と市場の成立
経済学とは:みんなが豊かになるためにはどうすべきかを考える学問
その創始者とも言えるのがアダム・スミスで、みんなが豊かになるために分業を唱える
・未開社会から分業社会へ
未開社会:採集や漁労などで生活をし、余剰(蓄え)がない状態
→イメージとしては縄文時代
A:採集や漁労、織物など、一つの共同体の中で分業
【社会的分業の発生】
米作ができると、分業が発生するようになります
A:米作専門
/ \
B:漁労専門 ― C:織物専門
かつてはあらゆるものを一つの共同体の中で作っていましたが、分業を行うことでそれぞれの共同体の中で得意分野のものだけを作るようになります。一つのものだけを作れば良いということは、他のものを作る手間が省け、作れる数も増えるので、余剰(蓄え)ができます。これを専門的な言い方をすれば、労働生産性(一人当たりの生産量)の向上といいます。こうしてできた余剰(蓄え)を持ち寄って物々交換をすることでお互いに豊かになるのです。
↓
それぞれの産物に特化→物々交換のための市場が成立=商業社会
・労働生産性の具体的説明
…100人で200俵作る→100人で300俵作る
この場合、一人当たりの生産量が2俵から3俵になっているので、労働生産性が向上したと言います。
・余剰の具体的説明
余剰― ・食料増→寿命が延びる(人口増)、奢侈品(酒など)→主食が余るとそれに根差した酒ができる 例)米焼酎など→物質的にも精神的にも豊かに
・余剰の取得=支配者
←余剰の生産=被支配者が年貢を納めるという関係
このように、余剰は生活を豊かにする一方で、支配者も生み出します。これがいわゆる格差で、マルクスは「階級社会」と呼びました。
☆こうした格差も生じるデメリットがあるけれども、未開社会よりはましである。というのがアダム・スミスの主張です。
ポイント整理
未開社会→分業社会→労働生産性向上→余剰の発生、格差の発生
コメント
格差の是正についてはどうお考えですか?
気になりました
語弊があるかもしれませんが、格差を許容出来る社会を作ることが理想かと思います。資本主義というシステム上、格差が生じるのは仕方がないと思いますので。その人の必死の努力によって富が築き上げられた場合、その努力を認め、賞賛できる社会が理想だと私は思います(すべてその人一人の努力によって富を築くことができたとも言い切れませんが)。しかしながら、現在の日本はどうもお金持ちを評価したがらない。その原因の一つとして、恐らく機会不平等があると思います。例えば、教育。日本はお金がかなりかかります。お金がないと高等教育は受けられないわけです。その一方で、学歴と年収はある程度の相関があるというデータもあるようです。これは格差を固定化し、機会不平等にしてしまいます。こうした格差の固定化はチャンスを奪うことにつながるので、そこに対する不満が増大するような気がします。少なくとも高等教育を受けたいと思う人には受けられるように(機会平等)することで、格差をある程度許容出来るようになるのではないでしょうか。
長くなってすみません。