日本の経済の歴史について③ -産業構造の変化とバブル経済-

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投稿者:       投稿日時:2013/11/17 21:48      
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日本の経済の歴史について、産業構造とバブルの点から考えてみます

 

 

・産業構造の高度化について

 

 ※そもそもの高度経済成長の内容

  →第二次産業が大きくなり、中でも重化学工業が大きくなっていった

  

 ※産業の種類分けについて

  ・第一次産業・・農業、林業、水産業などの産業のこと

  ・第二次産業・・製造業、ガス電気業などの産業のこと

  ・第三次産業・・サービス業や通信業、金融業などの産業のこと

 

 

 

 ・1980年代の産業の様子

 

  ・第一次産業と省エネ型の産業以外の第二次産業の生産額と就職する人が低下ぎみだった

   →これに変わって、第三次産業の比率が高まっていった

 

  ※上のように、産業の比率の大きい分野が、第一次から、二次、三次と変わっていくことを

   産業構造の高度化と言う

   →その中でも、経済成長と所得の上昇が影響して、

    労働力が第一次から三次にシフトするということがある

    =この動きのことを、ぺティ・クラークの法則と言う

 

 

 ・第三次産業について

 

  ・第三次産業には、経済のサービス化と経済のソフト化が進むことがあると言われている

   

   ・経済のサービス化・・第三次産業の比率が高くなること

    ※第三次産業のほとんどの産業は、サービスを生産していることから

     言われるようになった

 

   ・経済のソフト化・・モノ自体ではなく、モノについているソフトの価値の

             重要度が高まること

    ※経済のソフト化は、第三次産業だけでなく、製造業(特に加工組立型産業)でも

     進んだと言われている   

 

   →この2つは、お互いに影響を与えながら進むと言われている

 

 

 

 

・バブル経済になるまでの日本の経済の動きについて

 

 ・1970年代の石油危機は、産業構造の高度化と企業の減量経営によって

  乗り切ったと言われている

  ※産業構造の高度化・・産業の比率が、第一次から第三次に動いていくこと

   減量経営・・労働者、借金、在庫などを減らしつつ、

         少しの成長で収益を増やしていこうとする経営の方式のこと

 

 

  →しかし、日本は1985年のプラザ合意がきっかけで、不況になった

 

   ※プラザ合意・・ドル高を直すために各国が認めた合意のこと

            →これによって急に円高になり、輸出に頼っていた日本は

             ダメージを受けた

             =この動きによって起きた不況を円高不況と言う

 

   ※企業の中には、円高の影響を避けるために、日本で作って海外に輸出するのではなく、

    そもそもの作る場所を海外に移す、という行動を取る人もいた

    =このように、産業が日本から海外に出ていってしまう現象を、産業の空洞化と言う

 

 

 ・1987年に、ルーブル合意という合意によって、円高だった為替相場が安定してきて、

  輸出もできるようになってきたので景気がまた上を向き始めた

  →ここで上向きになった景気が続き、日本の経済は1990年代の頭まで、

   長期間の好景気が続いた

   =この時の景気を平成景気(バブル景気)と言う

 

 

 

 

・バブル景気の時の動きについて

 

 ・バブル景気の時は、低金利の状態で資金を調達することができる状況だった

  →そのため、予想以上に調達することができるようになり、

   お金が余るところも出てきた

  →そこで、お金をどのように使うかということが考えられ、

   主に下の2つのような使い道があった

 

  ・新製品を作るための開発の費用や、企業を合理的に動かしていくための

   経費などに使われた

  ・財テクに使われた

   ※財テク・・株式や土地などを買って、効率的にお金を動かすこと

 

  →この2つの影響によって、株や土地の値段が、

   経済的に見て適していると言われた金額を大きく上回った

   =この現象をバブルという

 

  →しかし、上のような現状があっても・・

 

   ・株や土地の値段が上がっていったので、

    資産効果(価格の上昇で家計の消費なども増えたりすること)が働いて

    消費がどんどん増え、消費の先が株や土地に向けられ、

    資産効果が高まり・・という状況が続いた

 

   ・エクイティ・ファイナンスという資金調達を積極的に行って、

    これで得た資金の多くを財テクに使った 

    ※エクイティ・ファイナンス・・様々な株式の発行によって資金を調達すること

    →というようなことがあったので、結果的にバブルはどんどん大きくなっていった

 

 

 

 

・1990年代の日本経済の状況について

 

 ・1990年代に入ったあたりに、バブル経済の行きすぎを不安に思った日本銀行が、

  金融引き締めを行った

  →結果的に株や土地の値段が一気に下がり、バブル経済が崩れてしまった

 

 →バブル経済の崩壊によって、日本の経済は突然、長期の不況になってしまった

  =この不況のことを平成不況とも言う

 

  ※平成不況は、1991年4月から1993年10月までだったが、

   景気が回復することはなく、96年に少し回復したものの、97年にまた低迷した

 

 

 

 

・日本経済の現状について

 

 ・バブル崩壊後の10年間は、「失われた10年」と言われている

 

 →なぜ「失われた10年」と言われているのか

  ・景気の回復のために公共支出を増やしたが、結果が出ず、

   逆に支出を増やした分の赤字が増えてしまった

  ・金融機関の不良債権を処理して、金融システムを落ち着かせることを目指したが、

   結果が出なかった

  ・産業の面で、韓国、中国、ASEANに追いつかれ、

   IT技術の面でアメリカに引き離された

 

   →このように、様々な動きをしても、結果が出なかったことから

    失われた10年と名づけられていると言われている

 

 

 ・「失われた10年」を打破するための動きとして、「構造改革」を目標にして、

  小泉内閣が動き、以下のようなことを行った

  

  ・様々な規制緩和(規制を弱くしたり、無くしたりすること)を行った

  ・金融財政改革という改革を行った

  ・産業再生機構が産業再生を行ったりした

   =債権を企業から買い取って、企業を復活させることを目指した

  ・経済の自由化を展開し、国立大学の法人化、郵政民営化などを行った

  ・日本の各地で構造改革特区というところを設定して、

   教育、医療などの様々な分野で、様々な実験を行った

   ※構造改革特区・・どこかの地域を限定して、

            その地域の規制を緩和するというために設定した地域のこと

 

  →小泉改革の構造改革は、格差を生み出したと言われている

 

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