マンガやアニメやオタク文化と少数派への偏見
最近、マンガやアニメといったサブカルチャーが大変な人気となっています。
ここまでくると、社会現象といっても過言ではないかもしれません。
ただし、そういったサブカルチャー(通称サブカル)に対して、
一部の人たちは、このような印象を抱いているはずです。
サブカルは良くないものである。
サブカル好きの人たちは、ふざけるなとか思うかもしれませんが、
現実問題として、そういう意識を持っている人はいます。
でも、ボクは思うんですね。
それは、偏見でしかないだろうと。
例えば、「図書館戦争」という本をご存知でしょうか。
ドラマにもなった「フリーター、家を買う」の著者である、有川浩さんの作品です。
ストーリー自体はラブコメディですが、
「もしも、日本に検閲という制度が存在していたら・・・」という仮定の物語設定があり、
ストーリーが単純に面白いだけでなく、日本の法律や憲法なんかを考えさせられます。
東京都の都条例と重なるところもあり、一口では語りつくせないようなものです。
他には、「ヘタリア」というアニメを知っているでしょうか。
これは、登場人物は国の名前で、世界各国を擬人化したコメディなのですが、
日独伊三国同盟とか、ある程度世界史を知っていたりすると、より面白さを感じることができます。
ボクは、どちらも友達に進められて触れてみました。
正直、ボクも最初は嫌悪感を抱いていましたが、
実際に触れてみると、どちらも内容の深さに驚かされました。
でも、こういう感覚って実際に触れてみないとわからないんですよね。
多くの人は、多数派に流されて、少数派を排除してしまうという傾向があります。
しかし、歴史的な背景を見てみると、
昔は、北原白秋の白樺派なんていう文化などが、サブカルチャーとして扱われていました。
そして、昔のサブカルの中には、大衆に受け入れられ始めてから、
ハイカルチャーに変化していったというものがいくつかあります。
現在はハイカルチャーとして、高貴な印象を持っていますが、
昔は、現在のアニメやマンガと同じ立ち位置だったんですね。
そのため、ある意味では北原白秋の白樺派などは、
マイノリティを排除しないで、残した結果とも言えると思います。
だから、ボクは言っておきたいと思います。
偏見を持たずに日本のアニメやマンガの文化に触れてみましょうと。
正直、日本に存在している、これだけ優秀な文化を放っておくのはもったいないです。
ハイカルチャーに良さがあるように、サブカルチャーにも良さがあります。
もしかしたら、10年後にアニメやマンガがハイカルチャーになっているかもしれません。
それだけ、大衆に受け入れてもらいやすい文化でもあると思います。
サブカルに対して偏見を抱く人がいると思いますが、
ぜひ、一度触れてみることをオススメします。
偏見を抱いていた自分を反省するかもしれませんし、
サブカルに対しての見方が変わるかもしれません。
嫌悪感を抱いていた人が、良いかもしれないと感じるということは、
それだけインパクトがあり、価値の高いものであるような気がします。
まずは、「図書館戦争」あたりからでも、触れてみてください。
(今回は、図書館戦争だけ載せておきますが、図書館危機、図書館内乱、図書館革命と
4冊で1シリーズなので、興味のある方は、図書館戦争以外も読んでみて下さい。)