エーゲ文明について
エーゲ文明について考えてみます
・エーゲ文明について
※エーゲ文明とは・・東地中海の沿岸で、オリエントからの影響を受けてヨーロッパで
初めて誕生した青銅器文明のこと
→エーゲ文明は、19世紀以降に、ドイツのシュリーマンやイギリスのエヴァンスなどの
発掘によって明らかになった
・エーゲ文明は、最初にクレタ島というところで栄えた
・紀元前2000年ころに、クレタ文明という文明が始まる
※クレタ文明について
・特徴として、壮大で複雑な構造を持つ宮殿の建築があることが挙げられる
→代表的な宮殿にクノッソスがある
・当時の宮殿は、宗教的な権威を背景に大きな権力を握った王の住居だった
・クレタ文明を作った人たちの民族系統は不明
※しかし、クレタ文明を作った人たちは、外の敵への警戒心が薄かった
=そのため、宮殿に城壁がなかった
・宮殿の壁画には、人物や海の生物などが生き生きと描かれている
→ここから、開放的で明るく、平和な文明だったことがわかる
・一方で、ギリシア本土で紀元前2000年ころに、ギリシア人が北方から移住してきた
→この時のギリシア人は、クレタやオリエントの影響を受けて、
紀元前16世紀ころから、ミケーネ文明という文明を作り始めた
・ミケーネ文明のギリシア人は、ミケーネ、ティリンス、ピュロスなどと呼ばれる場所に、
大きな石でできた城塞の王宮とそれを中心にした小さな王国を建てた
※ミケーネ文明のギリシア人は、クレタ文明の人達に比べて、
戦闘的で軍事に関心が高かった
・ミケーネ文明のギリシア人は、紀元前15世紀にクレタ島にも侵入して支配するようになった
→この勢いは、小アジアのトロイア(トロヤ)というところにまで及んだ
※トロイアについては、イギリスのヴェントリスという人が粘土板に残された
線文字B文書を解読したことで、明らかにされた
※線文字B文書について
・線文字Bとは・・ミケーネ時代のギリシア人がクレタ文明の線文字A(未解読)を
参考にして作った音節文字のこと
・線文字B文書の解読によると、以下のようなことが分かった
→・トロイアなどの小王国では、専制権力(支配的な立場の人が独断でやりたいように
出来る権力のこと)を持った王様が、役人の組織を使って地方の村々の農民から
農産物、家畜、武器などの手工業製品を貢納(貢物を納めること)という名目で
取り立てていた
→そして、貢納を使って、王宮で働く多くの職人や奴隷を養っていた
ということが分かった
=このような仕組みを、貢納王政という
・ミケーネ文明の様々な王国は、紀元前1200年ころに突然破壊されて、滅亡した
※ミケーネ文明の滅亡については、以下のような説をはじめとして、
複数の原因があると考えられている
・貢納王政の衰退
・外敵の侵入(この外敵は、同じころに東地中海一帯を襲った系統不明の
「海の民」ではないかという説がある)
・気候変動 など
→しかし、滅亡のはっきりとした理由は不明だと言われている
・ギリシアは、ミケーネ文明の滅亡後に、暗黒時代と呼ばれる混乱した時代に入った
→暗黒時代の後に、鉄器時代へと移っていった
※暗黒時代について
・暗黒時代は400年ほど続いていた
・この時代に人口が減少し、線文字Bも忘れ去られていた
・王国を捨て去った人達は、新しい定住地を探して移動していた
※移動については、混乱をさけるために小アジア西岸やエーゲ海の島々に
移住する人達もいた
→移動が終わるころには、ギリシア人が方言の違いから、
イオニア人、アイオリス人、ドーリア人というように分かれてしまっていた
ポイント
・エーゲ文明の概要をおさえる
・クレタ文明についておさえる
・ミケーネ文明について、滅亡後の動きを含めておさえる
このあたりが今回のポイントです