古代オリエントの統一について
古代オリエントの統一について考えてみます
・古代オリエントの統一について
・アッシリア王国について
・紀元前2000~紀元前1001年間の初めに、
北メソポタミアにアッシリア王国という王国が出来た
→アッシリア王国は、小アジア方面との中継貿易によって栄えた
→しかし、紀元前15世紀に、一時的にミタンニ王国に従うようになっていた
=その後独立を回復し、鉄製の武器や戦車、騎兵隊などを使って
紀元前7世紀の前半に全てのオリエントを征服した
・アッシリア王国を支配したアッシリア王は、強力な専制政治かつ君主制だった
→アッシリア王は以下のようなことを行った
・政治、軍事、宗教を自分で管理した
・国内を州に分けた
・駅伝制(道路の所々に駅を置くという、交通・通信の制度)を作った
・各地に総督という役職の人を置いて、統治を行った
→アッシリア王国は、重い税と圧政によって住民の反発を招いてしまったため、
紀元前612年に崩壊した
=結果的に、オリエントにはエジプト、リディア、新バビロニア(カルデア)、メディアという
4つの王国が分立することになった
・アケメネス朝について
・紀元前6世紀のなかばごろに、イラン人(ペルシア人)によるアケメネス朝という王朝が誕生した
→この時に、第3代のダレイオス1世という人が、エーゲ海からインダス川にいたる大帝国を作った
・ダレイオス1世は以下のようなことを行った
→・各州に知事(サトラップ)を置いて、全国を統治した
・「王の目」「王の耳」などと呼ばれる監察官を巡回させることで中央集権化を目指した
・金貨や銀貨を作って、税制を整備した
・フェニキア人の貿易を保護して、財政の基礎を作った
・全国の重要な場所を結ぶために「王の道」という国道を作って、駅伝制を整えた
・ダレイオス1世に従った異民族には寛容な政治を行った
※しかし、結果的にアケメネス朝は紀元前5世紀の前半にペルシア戦争という戦争で
ギリシアと戦って負けてしまった
=そのため、アケメネス朝は紀元前330年に
アレクサンドロス大王という人によって征服された
・イラン人について
・イラン人は、以下のようなことを行った
→・領土内の様々な民族の文化を統合して、建築や工芸などの面で成果を上げた
・楔形文字を表音化させてペルシア文字を作った
・イラン人はゾロアスター教(拝火教)を信仰した
※ゾロアスター教について
・基本的な考え方
→この世は善(光明)の神であるアフラ=マズダと、悪(暗黒)の神であるアーリマン
との耐えることのない戦いであるという考えを土台にしている
→そのうえで、人間の幸福は光明神の恩恵を得て、最後の審判で楽園に入ることだと考えた
・ゾロアスター教の考えは、ユダヤ教やキリスト教にも影響を与えた
・南北朝や隋唐時代の中国に伝わって、祆教と呼ばれた
・インド・イランが起源のミトラ神の信仰は、ゾロアスター教の一部にも取り入れられた
→後に、ローマ世界に伝えられて、ミトラ教となった
ポイント
・アッシリア王国についておさえる
・アケメネス朝についておさえる
・イラン人とゾロアスター教についておさえる
このあたりが今回のポイントです