地中海の征服とその影響
地中海の征服とその影響について考えてみます
・地中海の征服について
・ローマは中小農民の重装歩兵を、元老院の指導を受け入れつつ軍事力の中心としていた
→そこで、他のラテン人やエトルリア人、南部に住むギリシア人の都市国家を
次々と征服していった
=結果的に紀元前3世紀前半に全イタリア半島を支配した
※征服された都市は、個別にローマと同盟を結ばされ、
それぞれ異なる権利と義務を与えられた
=このような仕組みを分割統治と言い、
分割統治が支配された人たちの団結と反抗を上手に予防した
※さらに、ローマはギリシアと違い、ローマに従った住民の一部に
ローマ市民権を分け与えていた
→そのため、ローマへの気持ちが高まり、結果的により広い領域を支配できた
・その後ローマは、地中海西方を支配していたフェニキア人の植民市のカルタゴ
というところの勢力とぶつかった
→そのため、結果的にポエニ戦争という戦争が
3回にわたって起きた(紀元前264~紀元前146年)
→戦争は、カルタゴの将軍だったハンバルニという人がイタリアに侵入してきて、
ローマが危ない状況になった
→しかし、スキピオという人の活躍などによって状況を逆転させた
=その結果、ローマ側が勝利した
・ローマは、その後ヘレニズムの部分にも進出するようになっていった
→ローマは紀元前2世紀半ばにマケドニアとギリシアのポリスを支配していった
=その結果、ローマが地中海全体をほぼ制覇した状態になった
・征服の時のローマ内部の様子について
・ローマ内部では、いくつかの大きな変化が起きていた
・中小農民は長期間の征服戦争に出征するうちに農地が荒廃して没落してしまった
→没落した中小農民の多くは、ローマに流れ込んでいった
※このような無産市民は、属州から大量に輸入される安い穀物で生活するなど、
ローマ支配の恩恵を受けていた
=そのため、無産市民たちは、征服戦争を積極的に行うことを願っていた
※属州・・イタリア半島以外のローマの征服地のこと
第1回ポエニ戦争の勝利によって獲得されたシチリアというところが
最初の属州だった
・一方で、属州の管理を行った元老院議員や、属州の税金の徴収を担当した騎士階層は、
属州が拡大していったことで大量の富を得た
※騎士階層・・最初は軍務を行う人たちを指していたが、
共和政末期に軍事的な意味を失ってしまったことで、
元老院議員の次に富裕な社会階層を意味するようになった
→さらに元老院議員や騎士階層は、ローマの支配階層であり、
イタリアで農民が手放した土地を買い集めたり、征服によって生まれた公有地を
手に入れたりして、戦争捕虜だった奴隷を大量に使った大土地所有を営んだ
※この時の大土地所有をラティフンディアと言う
※ローマはギリシア以上に奴隷制が発達し、
共和政末期から帝政初期にかけてが最盛期だった
=このような状況だったため、ローマの支配層は、征服戦争を期待するようになっていった
=以上の流れを受け、富裕層も貧困層も征服戦争を期待し、
実際に征服戦争が拡大していった
※それと同時に、市民の間の経済的な格差も広がっていった
=その結果、紀元前2世紀後半から市民の平等を原則としていた
ローマの都市国家としてのスタイルが変わってきた
→そのため、共和政の土台が揺らぎ始めてしまった
※当時、貧富の対立が激しくなると、政治家が閥族派と平民派に分裂してしまった
・閥族派・・元老院の伝統的な支配を守ろうとする派閥のこと
・平民派・・無産市民や騎士が支持した派閥のこと
ポイント
・地中海の征服の様子についておさえる
・征服の時のローマ内部の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです